第31話 別視点8 /ハリボテ聖女 ※ざまぁ

 ルルミヤはその日、朝から珍しく上機嫌だった。

 筆頭聖女の座を奪ってからというもの、うまくいかないことばかりだった。しかし王太子ルイスの方からわざわざお誘いが来たのだ。


 何人めかの入れ替わった側仕え達に朝の支度をさせながら、ルルミヤはどうルイスを籠絡しようか考える。ルイスは相変わらず会うたびに痩せて弱気になってきていた。


(第二王子がもうすぐ帰ってくるわ。わたくしとの関係を強くして第二王子に対抗するため、王太子はこれからわたくしを大切にするでしょう)


 国王に溺愛される第二王子と王太子が並んだとき、婚約者・筆頭聖女ルルミヤ・ホースウッド公爵令嬢という手札は彼にとって大きな意味を持つはずだ。


(そしてわたくしにとっても、名誉を回復するチャンス)


 姿見に映る美しく支度をした己を見て、ルルミヤは微笑む。

 上機嫌で私室を後にするルルミヤと頭を下げる側仕え。彼女が見えなくなった頃、側仕えは顔を見合わせ、冷めた顔でため息をついた。


ーールルミヤは気づいていないものの、ルルミヤのこれまでの失敗は必然ではあった。

 教会内という狭い環境において人の心を操り脅し籠絡して地位を得てきたルルミヤは、己が箱庭の頂点に立った後も同じやり方を続けた。己の手駒を使い、疲弊させ、身の回りの有益な人間に媚びた。ルルミヤに筆頭聖女としての覚悟はない。聖女としての能力や手腕、求められるものもわかっていない。彼女は綻びを次々と出していく。

 しかし己のやり方を是とするルルミヤは、方向転換もできず、考えを改められず、掌握していた優位な立場をも失っていってしまった。


 ルルミヤは王宮の庭園で待つ王太子の元に到着する。

 花を眺めながら物憂げな顔をする王太子の横顔に、ルルミヤは明るく声をかける。


「王太子殿下、お待たせいたしました」

「……東屋に茶を用意させる。一緒に話をしようか」


 ルルミヤは気づいていない。王太子の表情が普段とは違うことに。


 二人はちょっとした応接間のような広さの東屋に腰を下ろす。四角いテーブルを囲んで四方向に置かれた椅子の、向かい合わせの位置ではなくあえて隣に腰を下ろすルルミヤ。

 並べられる豪奢なティーセットに可愛らしい反応をしても、お茶菓子を美味しそうに食べて流し目をしても、王太子は白けた顔をして遠い目をするばかりだ。

 ルルミヤを誘ったというのに、ルルミヤの顔を見ない。


(……なによ。いつにも増してぼんやりしてるんだから)


 心の中で悪態をついた瞬間、王太子がルルミヤをさっとみた。

 美しい碧瞳にまっすぐ見られ、心を見透かされたようにひやりとする。


「ルルミヤ。僕は君との婚約を破棄する」

「…………え?」

「理由を説明しなければ君に不誠実だね。少し長くなるけれど、話させてもらうよーー」


 王太子は定まった運命を語るように淡々と、しかしはっきりとルルミヤに理由を告げる。王太子から告げられるのはルルミヤが筆頭聖女になるまでにやってきたこと、筆頭聖女になってからやってきたこと、その全て。


 色香で籠絡し、神官らを手駒として扱ってきたこと。手駒にならない神官を何人も消したこと。

 掟を曲げてでも、聖女たちに有力者への『接待』をさせ、反抗した聖女を地方に飛ばしたこと。

 無料治療会が腐敗の温床だとわかった上で再開し、意図的に献金を煽り募ったこと。


「証拠がないと言いたいかもしれないけれど、残念ながら証拠はあるんだ。……君がシャーレーン・ヒラエスを陥れた時のような、姦淫の疑惑のような誇張したものではなく。疑いだけで言うのならば誹謗中傷、暴力行為、殺人教唆から売春斡旋、賄賂の融通まで、君の疑惑は膨れ上がる。……僕が今言ったのはあくまで証拠をはっきりと掴んだものだけだ」


 王太子はいつになく饒舌で、毅然とした態度をしていた。

 痩せてやつれた顔さえも手負の獣のような生命力を宿しているーールルミヤは足元がガラガラと崩れていくのを感じた。

 己の最後の拠り所が壊れていく。


「王太子殿下、落ち着いてください。……わたくしはあなた様の味方です。しっかり静養なさって、改めてお話しいたしませんこと?」

「僕の味方ではなく、君は常に君自身の味方でしかない。君は王太子の婚約者でありたいだけだ」

「王太子殿下」


 王太子はルルミヤを見据えた。強い眼差しの瞳の中に、青ざめたルルミヤの姿が映っている。


「僕も君に同情する。僕と同じで君もハリボテなんだ」


 王太子の瞳は、哀れな存在を見つめる色をしていた。

 ーールルミヤを見る、本妻と兄と姉の眼差しにそれはそっくりだった。


「狭い世界ではハリボテでも取り繕えば頂点に立てても、本当の信念がなければそれで終わりだ」

「そんな……」

「神の加護が消えた理由がよくわかるよ。神を蔑ろにするこの国をこれ以上破滅させたくない。今誰かが食い止めなければ……僕は国民に顔向けできない」

「神など……本当にいる訳がありません。治世の為の道具です」

「……君は、陛下とよく似ている」


 終わったとばかりに王太子は立ち上がった。その後何度も呼び縋っても、二度とルルミヤを振り返ることはなかった。


◇◇◇


「何がハリボテよ! ハリボテなのは下賎の野良猫のシャーレーン・ヒラエスよ!」


 教会に戻ったルルミヤは聖女寮そばの庭園、その枯れた噴水の前にいた。側仕えも護衛も人払し、大股でルルミヤは奥に入っていく。薬草ばかりの地味な生垣を手で払いのける。ローズマリーのアーチをぶちぶちと千切り、パセリを踏み荒らす。ミントを靴底で捻じ切りながら、ルルミヤはミルクティー色の髪を振り乱し、叫ぶ。


「わたくしは違うッ! わたくしは……わたくしは宰相ホースウッド公爵の令嬢にして、筆頭聖女! わたくしが愚民の上に立たずしてッ! 誰が……ッ! ああ、悔しい! 悔しい!!」


 叫びながら薬草園を荒らしまわるルルミヤのヴェールも筆頭聖女の装束も枝葉で汚れ、裂かれていく。それでもルルミヤはずんずんと先に進む。

 息を切らせた彼女が行き着いたのは、ただ水を湛えるばかりとなった池だった。手前から三層に分けられた池は、それぞれが土地神カヤを象徴する意味を持つ。ルルミヤはそれを知らない。

 本来、聖堂の溢れる霊泉は水路を通り池へと入り、ここでぬるく冷えて庭園の草花を潤わせていた。今ではただの冷たい、透き通った静寂の池となっている。


 水辺に座り込み、ルルミヤは水鏡に映った自分の顔を見下ろす。水鏡越しでもわかるほど憔悴した顔が、醜くてルルミヤは顔を覆って泣く。誰かに媚びるためではない、ただただ悔しさと絶望から溢れる涙だった。


「悔しい。悔しい。……わたくしは母のように惨めにならない。全てを奪い取る。奪い取らなきゃ、嘲笑われながら見下されながらでも生きてきた意味はないのに」


 王太子の冷めた眼差しと言葉が頭を反響する。


ーー僕と同じで、君もハリボテなんだ。


 ルルミヤの感情は涙と一緒に溢れ出す。


(何がハリボテよ。ハリボテだろうが、偽物だろうが取り繕わなければ、わたくしは王太子の婚約者にまで上り詰められなかった。生まれ持っての王太子の立場を生かさずにのうのうと鬱屈した顔をして生きてきたあなたとは違うのよ。必死なのよ……悔しい。許さない。わたくしの方こそ願い下げだわ、あなたみたいな甘ったれた泣き言ばかりの男)


 どれくらい泣いた頃だろうか。ルルミヤが涙を拭い視界を取り戻したところで、水鏡に人影が映っていた。


「誰!? 人払いはしていたはずよ!?」


 反射的に振り返って叫ぶ。

 そこには赤銅色の短髪に背の高い少年が立っていた。纏った臙脂色の詰襟は金の刺繍がふんだんにあしらわれている。眉の凛々しい、男らしい顔をした少年。

 ルルミヤは己の目を疑った。


「……第二王子殿下……」

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