第30話 別視点7 /操り人形と『意思』という名の鋏

「陛下。お待たせいたしました」

「近くに来い……ルイス。我が息子よ」


 午前中の国王の薄暗い寝室に、ルイスは香油を持って訪れていた。


「それはなんだ」

「良い匂いがして気分が楽になるそうです。薬師に配合させました」

「香油などよい。……こちらへ。手を貸しなさい」


 父に近づけと言われるのはいつぶりだろうか。

 淡い喜びを覚えながらベッドサイドから身を乗り出し、ルイスは父の手を握る。寝込んでからすっかり弱ってしまった父の手は土気色をしていて、ルイスの心は痛む。

 父は手を握り返しながら、噛み締めるように呟いた。


「お前も今年は21か。……成人の儀を終えて、3年が経過したか」

「陛下……」

「今まで何を遊んでいた?」


 ざらついた声で呟く。骨のようになった手とは思えない強さで、国王はルイスの手を握り込んだ。ルイスは突き落とされたような心地になる。

 国王は半身を起こす。そして息子の顔に顔を近づけ、血走った目で言った。


「もうすぐ第二王子(ケイゼン)が帰ってくる。ホースウッドの小娘と第二王子を会わせる前に、首に縄をつけろ」

「首に……縄、ですか」

「こちらとしては妾腹のどこの子供を産むかわからない小娘、しかも斡旋婦の真似事などする愚かな跳ね返りなどを第二王子にあてがうわけにはいかない。あの女はお前が世話をするべきだ」

「な……」


 ルイスは動揺した。

 妾腹の娘であることはともかく、『どこの子供を産むかわからない小娘』? 『アッセンフの真似事』? ルイスにはわからない単語に戸惑う。父はそんな息子の顔を見て蔑むような目をした。


「まあいい。お前でもなんとでもどうにかする方法はある」


 音もなく専属医がやってきて、ルイスに向かってトレイを差し出す。そこには手のひらに収まるほどのガラス瓶があった。


「これは……」


 ルイスの耳に、医師がそっと囁く。


「媚薬にございます。密室に鍵をかけ、こちらをお二人で飲み干せばたやすいでしょう」

「な……」


 ルイスは絶句して、薬を取りこぼす。蓋のしっかりした瓶は溢れずに、くるくると足元を転がって止まった。父が告げた。


「国王として命じる。ルルミヤを強制的に結婚に持ち込ませろ。意味はわかるな?」

「……ルルミヤと一線を超え、婚期を早まらせろということでしょうか」

「それだけではない。孕ませろ」


 信じられない思いで父の顔を見た。たくましく力強かった父は肌色も土色で、目が落ち窪んでいる。髪の白髪も増したようだ。呼吸をする度に、ひゅうひゅうと喉の奥から音がする。

 ルイスは息を呑んだ、混乱した。だから普段なら言えもしない自分の言葉で、父に訴えた。


「し、しかしそんなことをしては、貴族議会も教会も許してはくれません。それに筆頭聖女が……結婚するなど、前代未聞。神はそれをお許しになるのでしょうか」

「神は施政者の手駒よ。それ以上でも以下でもない」


 国王は血走った双眸でルイスを射抜く。

 病に伏しているとは思えないほどの強さで、ルイスの肩を掴み、潰さんばかりに握りこんだ。


「っ……!」

「男を見せろ、ルイス」

「……ッ……陛下……それと……これとは……」

「ホースウッドの小娘をたらしこめ。その母親譲りの顔だけが、お前の価値だ。どうせ不貞の咎を受けるのはお前とあの女、もしくはあの女一人だ。あれは淫奔と噂されているじゃないか。お前が上手くやれば全てホースウッドの小娘の責任にできる。不貞で強請るのも良いと思ってお前の婚約者にあてがったままにしていたが……。くく……とにかく、ケイゼンとあの女が近づけないようにしろ」

「そんな…………僕は……」

「弱音を吐くな。最悪子供などいないことにしてもいい。結婚式を終わらせた後に正しい子を孕ませればいいだけだ」

「…………………………」


 ルイスはその後の父親の言葉が何も耳に入らなかった。


『子供などいないことにしてもいい』


 父親にとって、母親似で線の細い、気の弱い自分は仮初の王太子でしかない。

 王の息子としての期待も愛情も栄光も、全て第二王子のもの。

 自分はその露払いでしかなく、あてがわれるルルミヤも、いずれ生まれる子も、おそらく自分と同じ。

 いないことにされる子供。正しい子。

 喝采と祝福の中で産声を上げる赤子の傍に冷たく置かれる想定内の我が子にーー己を重ねた。


「う……」


 ルイスは部屋に帰るなり、声を上げて泣き崩れた。


◇◇◇


 ルイスは憔悴したまま目を覚まし、朝日を浴びて思った。


「神に祈ろう」


 ルイスにとって縋れるものはもはや神しかない。

 王宮の隣に位置する小高い丘の麓が、教会の総本山だ。土地神カヤの聖堂は山の頂(いただき)にあり、国中の聖女異能者が集められた聖女寮もそこに近い場所に建てられている。

 大聖堂で祈りを捧げていると、無心になれる気がする。



(陛下ーー父は、病に伏してからますます酷いことを言われるようになった。在位のうちになんとかしなければならないからだと、わかってはいるけれど……神よ、僕はどうすればいいのか)


 神に祈る。神は返事を返してはくれない。


(このまま、この国はどうなってしまうのか……僕は……傀儡で居続けるしかないのか……)


 ここには「すでに神はいない」と、口さがない人は謗る。ここ最近の騒動を前には、そういう噂が立つのも当然だ。神の妻である聖女(シャーレーン)を殺した国が許されるとはとても思えない。ルイスは祈りながら絶望を深めていた。恭しく首を垂れることが無意味でしかない、その虚しさに打ちひしがれながら。


 空虚な礼拝を済ませ外にでたルイスは、ふと、大聖堂の近くの建物に人が集まっているのに気づいた。黒いお揃いの服を纏った若い女性ーー聖女たちだ。

 聖女たちは焼いたパンを詰め、神官たちに渡しているようだった。最近は暗い雰囲気が強かった聖女たちなのに、生き生きと働いている。

 目があった神官を捕まえてルイスは「あれは何をしている」と尋ねた。

 年老いた神官は、ぱっと明るい顔になった。


「以前のような慰問活動が難しくなったので、代わりに聖女と神官で焼いたパンを、各地の施設に届けているんです。聖女たちが寮の敷地内で育てたハーブを練り込んでいるので、滋養にも良いと評判なんですよ」

「そうか……」


 言葉にこそしないものの、シャーレーンの意思を継承した活動なのだろう。聖女たちも神官たちも上層部の混乱で疲弊しているだろうに、奉仕活動をやめようとはしない心に胸を打たれた。


「……ここに神はいるのだな」

「殿下……?」

「神が消えたと噂は立つが……消えたのではない。確かにそなたらの心ばえの中に生きているのだな」


 王太子の言葉として受け取り、胸に迫るものがあったのだろう。

 神官はみるみる目の端を赤く滲ませ、侘びながら目元を拭った。ルイスは彼にこっそりと囁いた。


「僕も父から与えられている所領はある。そこから援助を送ろう。……何か困ったことがあれば、僕の所領なら駆け込み場所にしてもいい。できる限り世話をする。この話は上層部には伝えるな、全て握り込まれるから」

「……ッ! ありがたきお言葉にございます」


 平伏する神官に、王太子は微笑みを返して立ち去った。

 すっきりしたくて祈りを捧げにきた教会で、王子は確かに神を感じた。そして。


「……シャーレーン……」


 シャーレーンが確かに残した痕跡に、胸が締め付けられる。

 彼女は嘘で塗り固められたハリボテの聖女だったが、聖女としての働きはハリボテではなかった。彼女はやるべき仕事をきちんと果たしていたのだ。

 報告できくだけでも、彼女は休む暇もなく国中に飛んで奉仕活動をしていた。彼女のやった改革で実を結んだものも多いという。全ては異世界生まれの特別な知恵ではなかったというのが信じがたい。

 生きている自分が今できるのは、彼女の残した成果を少しでも保護すること。

 それはーー王太子だからこそ、できる役目だ。


 ルイスは去っていく神官を呼び止めた。


「忙しいのに何度も。すまない。……聖女の実情について聞きたいことがある」


 先ほどまで和らいでいた神官の顔が、ルイスの言葉にさっと曇る。

 逃すまいと腕を捉え、ルイスは神官の顔を覗き込んで声を低くして訴えた。


「……頼む。教えてくれ。僕の婚約者ルルミヤ・ホースウッドがどんな聖女なのか」


 逃れられないとわかったのか。神官は首を振り、すっきりとした顔をしてルイスを見た。己の処断を覚悟した者特有の、澄んだ瞳だった。


「かしこまりました。申し上げられるのは老い先短い私くらいでしょう……王太子殿下への忠義を持って、本当のことをお伝えいたします」


 彼についていく。一歩踏み出すごとに、手足に括り付けられた操り人形の糸がぷつぷつと切れていく心地がした。


(……僕は傀儡じゃない。自分で考えて、行動してみるよ……シャーレーン)

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