第28話 神の箱庭を壊す者

 神様の言うところによると、モーセイ辺境伯領の騎士団は既に昼に出立したばかりだと言う。現場にあたしが行っても役に立たないーー魔術で吹っ飛ばすことはできるだろうけど、聖女異能に魔術のチートを出してしまうのは得策ではないし。


「でも、治療ならできる」


 あたしは早速従者を通じて王妃様に騎士団の援助を申し出た。騎士団の帰還後の治療は任せてほしいと。近くにいる派遣聖女を呼び寄せるよりも、あたしを使った方が早いしすぐ楽になると。

 8歳児では説明が複雑になりすぎるところは、神様の口を使って訴えた。

 王妃様は苦い顔をして答えた。


「わたくしは反対です。城内のものを癒すだけならともかく、騎士たちを癒すことは」


 王妃様と辺境伯領の人々が集まったところで、あたしは王妃様に尋ねられた。


「あなたは聖女異能を持つとはいえ、まだ正式な聖女ではないわ。騎士団の治療はその体には厳しいでしょう」


 王妃様の隣で辺境伯が髭を撫でながら厳しい顔をした。


「そもそも聖女としての正式登録前の少女に頼ったとなれば、問題が起きた場合の責任がな……」


 彼らの苦渋の顔はもっともだ。騎士団員を癒すのは大切なことだけれど、手順を踏むこともまた社会的には同じくらい大切だろう。


(奥の手を使うか。……『神様、あたしの髪に魔力をかけて、真っ直ぐにして』)


 神様が頷くのを横目で確認し、あたしは可愛らしく結われていたリボンを解く。

 ふわふわの髪が針のようなストレートになり、あたしの顔と背中を滑る。

 顔を傾けて片目を隠せばーー王妃様が顔を覆って小さく悲鳴を上げた。


「『お久しぶりでございます、王妃様。火急の事態ゆえ失礼をお許しください』」

「シャ、シャーレーン……!」


 あたしの顔を知らない辺境伯家の人々もざわっとする。あたしは「筆頭聖女シャーレーン」の顔をして、王妃様に訴えた。


「『この娘シャルテをお使いください。彼女は神に愛されし聖女……この娘を通じて、わたくしの聖女異能と同等の治癒を捧げましょう。……シャルテを信じてくださった辺境伯領に神の加護を』」


 あたしは目を閉じ、わざとらしいくらいカクッと倒れ込む。神様が支えてくれた。神様の口を使って、あたしは言い募る。


「『お願いします。どうかシャルテを信じてください。シャーレーン様もそれをお望みです』」


 王妃様は青ざめている。辺境伯家の人々は顔を見合わせ、覚悟を決めたように頷いた。

 辺境伯はあたしの前に片膝をつき、視線を合わせて言った。


「君に任せよう。頼んだぞーー聖女シャルテ」


◇◇◇


 それから夜まで、あたしは帰還する騎士団の迎えの準備と治療に奔走した。もちろんあたしだけの力ではなく、城下町ケィニガウニスの教会の神官たちが集まり治療場所の準備を手伝ってくれた。

 夕方。帰還より先に馬を走らせ、騎士団の状況を確認してくれたヒースサマヤが叫ぶ。


「シャルテちゃん! 結構重症者が多いんだ、対応できる!?」

「まかせてください!」


 そして太陽が沈んだ頃に騎士団員は帰還した。松明の明かりが煌々とした城の広場で、あたしは重症者から順番に治療する。


『神よ、善き信仰者に治癒の祝福を』


 神様は闇に溶けるようにあたしに寄り添い、黙々と治療を手伝ってくれた。8歳児の力では騎士の鎧を外したり、体を支えたりするのは困難だ。何よりこうしてどんどん治療できるのは神様のおかげだ。


「ありがとう、神様」


 治療の合間にお礼を言うと、神様は口元をにこりとさせる。

 ささやかな意思疎通を交わしながら、最後の一人になるまで治療は続いた。

 最後の軽傷者の治療は、言葉を交わしながら治療できる余裕があった。


「聖女ちゃん、俺は大丈夫だよ。怪我はしてないから」


 あたしに遠慮しようとする騎士に、あえて首を横に振って指摘する。


「右足の小指、少しかけていらっしゃいますよね。……こちらも癒します」

「なっ……十代の頃にやらかした怪我だ、無茶だ」


 あたしは微笑む。意図的に『筆頭聖女シャーレーン』を降臨(おろ)しながら。


「『わたくしがここであなた様と相見えたのも何かの縁でしょう。体を楽にしてください。すぐに癒せます』」


 あたしの働きぶりに驚いたのか、いつの間にか城中の人々が野次馬をしていた。

 呆然と立ちすくんだ王妃様が呟くのが、耳に入った。


「筆頭聖女シャーレーンの再来だわ……」


 ーーその後。

 あたしは治療を済ませたあとは8歳児特権をフルに利用し、後始末や報告をスキップしてそのまま寝室でぐっすりと眠った。

 翌日目を覚ますと正午で、侍女はあたしに「気が済むまでだらだらお過ごしくださいと王妃様からのご伝言です」と伝えた。

 ベッドの傍ら、目を開けっぱなしのまま横になっている神様を見下ろし、髪を撫でて言った。


「……とりあえず、これで聖女シャルテちゃんの奇跡は王都に広まるかな」

「間違いない」


 神様は頷いた。


◇◇◇

 

 それから言葉に甘えて、あたしはしばらくだらだらと過ごさせてもらった。

 退屈になってきたところで騎士団の詰め所に向かい、体調は大丈夫か確認に行った。

 彼らはあたしを見るなり大声で招集をかけて集まり、一糸乱れぬ敬礼をした。


「ッりがとうござッましたッ!! シャルテちゃん様ッッ!!」

「わ、わあ〜……」


 あまりの勢いに思わず神様の後ろに隠れると、筋骨隆々の騎士団長が狼狽える。


「あああ、シャルテちゃん様を怖がらせるつもりはなかったんですよ〜ッ」

「だ、だいじょうぶです……びっくりしただけです……えへ」


 それから彼らに「昼食は一緒に! ぜひ!」と強く請われ、あたしと神様は連れていかれるままに詰め所の裏手にある演習場でピクニックになった。


「ここ、演習場ではあるんですけど日差しが良くて気持ちいいんですよ〜あったんぽぽ」

「たんぽぽあげますね! シャルテちゃん!」

「バカッたんぽぽとかその辺の馬がションベン引っ掛けてそうな花やるなよ! 食事前に!」

「おっといけねえ!! ガハハ」


 騎士団の人たちは気さくで、あたしは8歳児らしく無邪気に笑った。

 彼らが敷いてくれたレジャーシートに座ってパンと牛乳をいただく。新鮮で素材の味がとても美味しくて、素直にもぐもぐと食べていると彼らの顔もバターのようにとろけていった。


 神様はというと、特に彼らから話題をふられることもなく隣に座っている。

 おとなしい神様にあたしは不思議になり、ちょいちょいと耳を引き寄せて囁いた。


「怒んねえんだな? 男があたしにあれこれ話しかけてるのに」

「指一本触れないのであれば、多少は許す。信者は信者だ。俺は夫だから」

「あ、あ……ああそう……」

「シャーレーンに風呂で髪を洗ってもらう権利は、俺以外の誰にもない」

「ばっ、声小さくてもここで言うな!」


 そんなこんなでのどかで楽しい会話をしながら、あたしは聞くことはしっかり聞いた。


「あの、そういえば魔物って……いつから出るようになったんですか?」

「あ……」


 魔物について尋ねると、彼らは顔を見合わせて口が重くなった。


「以前からまあ、ちょくちょくは出ていたんだけれどね!」

「俺たちがこれからは守るから大丈夫だよ、心配しないで!」

「さっお昼だお昼だ、このジャムあげるよ」


 彼らは嫌なことは忘れよう!とばかりに話題を変えていく。どうにも話したくなさそうだ。これ以上突っ込んで雰囲気を悪くしては元も子もない。

 ランチタイム終了後、あたしは肩を落とした。


「らちがあかねえな、質問しようにも……」

「俺がやる」

「ん?」

「騎士団長。ちょっといいか」


 神様が騎士団長を捕まえて、物陰に引っ張っていく。


「おっどうしたんですか、旦那さん。内緒話ですか?」

「……」

「えっ顔が怖い。不穏、何か……」


 神様は騎士団長の顔の脇に手を差し伸べる。

 そして神様は袖から蛇を出し、騎士団長の耳から蛇が入った。


「ーーーーーー!?」


 あたしは驚いて固まる。騎士団長は一瞬白目を剥いてガクガクと震え、そして逆側の耳から蛇が出てくる。何事もなかったかのように蛇を袖に仕舞い込む神様。

 騎士団長もまた、何事もなかったようにハッとした。


「わっ私は何を」

「なんでもない。尻に埃がついていたからとっただけだ」


 神様がそう言うと、彼は目をぐるぐるさせて「そういうことか〜」と言って去っていく。

 久しぶりに見たな、神様の洗脳。人気がなくなった後、あたしは神様を問い詰めた。


「何をしたんだ、神様」

「彼の記憶を拝借した。彼は何度も魔物の襲撃に遭っているから」

「なるほど……魔物について教えてくれないなら、記憶を借りると……!」


 神様しかできない行動だ。よかった!

 確かめるなら急げ急げとあたしたちは部屋に戻る。

 ベッドの上に腰掛け、神様は覗き見た景色をあたしに共有してくれた。

 額と額を合わせて目を閉じると、生々しく景色が再生される。


 ーー国境を示す壁の上、目に見えない亀裂を通り抜けるように魔物が溢れてくる。それは馬系の魔物で、狭い亀裂を通るだけですでに多少怪我をしている。

 馬系魔物は複数の首を振り乱し、複数本の足で蹴り、騎士団を襲う。

 騎士団は果敢に応戦して切り刻む。

 その生々しい画面にウッとなりながらもあたしは見る。


 彼らは魔物を殲滅した後、記録を取って、どこから発生したのかの記録をしていた。


『この記録、……本当に残したらちょっとまずいことになりませんか?』

『辺境伯様はこの件に関して、刺激をしないようにと仰せだ。……相手が悪すぎる』


 彼らが一旦書いて消した地名に、あたしは思わず目を疑う。

 映像を最後まで見たところで、あたしは神様を見た。


「……結界、壊れてたな」

「ああ、壊れていた」

「壊れていたのは、ノウスガウニス子爵領の近く……ホースウッド公爵家の所領だったよな」


 武力拡充と隣国への侵攻を訴える武断派の宰相、ホースウッド公爵。

 ノウスガウニス子爵継承者がなんらかの事情でいなくなり、ホースウッド公爵が相続したという話は知っている。貴族社会を学ぶ講義の中で、叩き込まれた知識だ。


「そうか、騎士団員が『いつ頃から魔物の侵入が増えたのか』言い淀んでいたのは、ホースウッド公爵にまつわるタイミングで増えた……おそらく、ルルミヤが筆頭聖女になった頃からと言うことか」


 つまり神様の国への加護が切れ、あたしが殺されかけた頃と一致する。

 あたしは考えながら続ける。


「ホースウッド公爵なら、魔物の侵攻が増えるのは嬉しいだろうな。自分の主張を通しやすくできるからな。……だが、意図的に神様の結界を壊すことってできるのか? 魔術師だってそんなこと無理だろ?」


 神様はじっと考え込んでいる。瞬きもせず、黒い瞳で宙を見つめたまま熟考の末ーー慎重に神様は答えた。


「……神の権能には神の権能をぶつければ、あるいは」

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