第26話 王妃様攻略大作戦

 あたしと神様を迎えに来た馬車には辺境伯領の家紋が掲げられていた。そのまま寄り道せずにまっすぐに、丘陵の上に鎮座する城へと案内される。窓から見る景色がだんだん高くなっていくと、丁重に扱われているものの逃げられない、という心地になる。

  

 要塞然とした石造りの頑強な城に入城したあたしたちは、さっそく応接間へと案内された。案内された応接間に生唾を呑む。家具と間取りが明らかに、その辺の平民を入れる場所じゃない。


「……聖女として呼ばれたな、これは」


 元王太子の婚約者の筆頭聖女とはいえ、ここ数ヶ月は野良猫のように過ごしていたので緊張する。

 金糸の刺繍が張り巡らされたソファに並んで座っていると、神様があたしの手を握ってくれた。


「シャルテ。今のあなたはシャルテだ。……子供なのだから、なんとでもなる」

「神様……」

「それに俺もいる。万が一の時は、こうするから」


 神様の袖口から出てきた蛇が、シャーッと口を開けて威嚇してくる。それが妙に可愛らしく見えてつい笑ってしまう。


「神様にそれをさせないように、頑張るよ」


 神様の力を使えば、王妃様や辺境伯家の人々をするのは容易い。けれど整合性を取る手間を考えるとやはり、実力で信用されるのが一番手堅い。

 従者の足音が近づいてくる。蛇をしまう。無駄話は終わりだ。

 あたしたちはソファから立ち上がる。いよいよ王妃様との対面の時だ。


 王妃イシュリア様は、鮮烈な赤のドレスを纏ってやってきた。

 銀髪をダイヤを散りばめたコサージュで纏めて、赤い口紅にきりりと描いた眉が凛々しい。王妃と言うより孤高の女王と言わんばかりの佇まいだった。

 御齢40歳ではあるけれど一目で年齢がわかる人はまずいないだろう。威厳は年齢より上にも見えるし、佇まいの美しさは若々しくも見えるし、真っ赤なドレスを纏った華奢な手足は上にも見えるほどやつれている。どこか現実離れした、不思議な印象を与える人だ。

 シャーレーン時代には二度ほど会ったことがあるが、その時の印象と変わらない。


 形式的な儀礼を終えたのち、腰を下ろした王妃様はさっそく扇子を広げてこちらをじろりと値踏みする。緊張で汗が流れるのを感じていると、彼女は唐突に口火を切った。


「礼儀作法は習っているようね。貴族の生まれかしら?」

「恐れながら申し上げますイシュリア様。わたしは礼儀作法や王家の方々のことは、シャーレーン様から教えていただきました」

「シャーレーン……」


 ぴく、と眉が動く。

 彼女はずっと『異世界から来た聖女』という胡散臭い存在を訝しんでいた。まずはシャーレーンの名を出して、彼女がシャーレーンの本当の出自を知っているのか確かめる。


「噂話を聞いたわ。あなたがたは『シャーレーンの御使』として奇跡を起こしていると。あの者は……異世界からあなたに何を伝えているのかしら?」


 あ、よかった。気づいてない。

 あたしは慎重に言葉を選び、返答する。


「異世界からかどうかは……わかりません。ただシャーレーン様の言葉が聞こえるのです」

「それはいつから?」

「シャーレーン様が『異世界にお帰りになられて』から、すぐです」

「それまでは何をしていたの?」

「夫と一緒に、いろんな街でお仕事をしていました」


 ここで神様にお願いして、持参した身分証明をテーブルに差し出す。

 王妃様の目配せ一つで、従者がさっと受け取り退出して行ったーーこれから正確な情報か当たるのだろう。神様がいじった情報がうまく通ることを祈るしかない。

 あたしは訴えた。


「シャーレーン様が『イシュリア様には素直に全てを話していい』と……話しています」

「そう。ではあなたの知るすべてを話してくれる?」

「はい。……少し下手で、話すのが難しい時は……夫のカインズにお願いしても良いですか?」

「できればあなたの言葉で聞きたいわ。シャーレーンの言葉が聞こえるのは、あなただけ。間違いないわよね?」

「はい」

「ではまず……とにかく、あなたの持つ情報を教えなさい。話はそれからです」


 王妃様の目が光る。あたしと神様を、部屋中の侍女と護衛が注目しているのがビリビリ伝わる。

ーー緊張しすぎるな。あたし。シャルテは8歳。まだこの殺気だった空間に気づいていないくらいでちょうどいい。


「お話ししたかったので、ありがとうございます! お話がんばります!」


 にっこり。宣戦布告の笑顔を浮かべ、あたしと王妃様の腹の探り合いが幕を開けた。


◇◇◇


 王妃様の質問ーーもはや尋問だったそれは、あまりにも過酷だった。まずは面談一回目。続いて出自の検査。一通りの『シャーレーンの御使』としての説明をさせられ、続いて面談二回目を兼ねた昼食会での厳しいマナーチェック。午後からは聖女異能の検査を経て、面談三回目。面談の度に話している内容に齟齬が生じていないか都度厳しくチェックされ、あたしの神経は陽が落ちる前に限界になった。

 辺境伯一家総出の夕食会にも参加させられ、あたしはそこでついに疲労と睡魔でテーブルから転がり落ちた。


(まずい、ボロを出した……ッ!)


 焦るあたしの上に降って来るのは、取りこぼしたナイフ。

 神様が手を出そうとするも、あたしは目で拒絶する。


(『神様は今は動くな』)


 ナイフの痛みに身構えたとき。それを振り払い、抱き止めてくれたのは、意外にも一日中厳しく接してきた王妃様だった。王妃様はあたしを腕に受けながら、厳しい顔に後悔を滲ませた。


「ごめんなさい。まだほんの子どもなのに、無理をさせてしまったわね。……少し、人間不信になりすぎていたわ、わたくしとしたことが」


 彼女は立ち上がり、あたしを神様に渡す。


「今夜は一旦、宿に帰っていいわ。……一日中見定められて、城ではゆっくりできないでしょう」

「王妃様、信じていただけるのですか……?」


 8歳児の体には酷すぎた眠気と疲労で朦朧としながら、あたしは王妃様に尋ねる。神様の腕に抱かれたあたしの頬を撫で、王妃様は初めて人の親らしい優しい顔を見せた。


「少なくともあなたの勇気と真剣さは信頼に値するわ。……どちらにしろ、あなたを保護するには『シャーレーンの御使』として周りを納得させるだけの証拠を早急に集める必要があったの。……明日からは宿を引き上げなさい。城の賓客として歓迎するわ」


 ーーかくして。

 見事あたしたちは、王妃様の一旦の信用を勝ち得てホテルに戻ることになった。


「はー……疲れた……噂にはかなり厳しい人とは聞いていたけど、子供相手になかなかやるなあ」

「俺は心配でたまらなかった。手出ししなかったことを褒めて欲しい」

「だから一緒に風呂入ってんじゃん。えらいえらい」

「ん」


 羞恥心はぶん投げて、あたしは神様と一緒に泡風呂に入っていた。マケイドで泊まった宿より少し狭い湯船は泳げない程度の広さで、前に座ったあたしの髪を神様が丁寧に泡で洗っている。


「髪なんか洗って楽しいのか? 長くて洗いにくいだろ」

「楽しい。ふわふわで、指通りも気持ちよくて好きだ」

「そ、そう」

「水底でゆらめく藻を思い出す」

「……ありがとよ」


 髪を洗われ、頭皮を丹念に大きな手で揉まれ、あたしは疲れがふわーっと出ていくのを感じる。くつろいだ気分で後ろに倒れ込んで神様の胸に背中を寄せれば、神様は嬉しそうにあたしを見下ろした。ふと気になって、泡風呂の泡を掬い、神様の黒髪に乗せてみる。


「洗わなくてもいいのに泡でもこもこにはできるんだな」

「食事が必要なくとも、捧げられる供物を食べられるのと同じだ。汚れなくても洗える」

「洗うとどうなるの?」

「洗ったこと……ないからわからない」

「ふーん。よくわかんないけど、神様って不思議だな……」


 ともあれ、こうして二人で緊張感なくだらっとできるのもしばらくはお預け。夫婦ということにはなっているけれど、城でこの関係を見られるとちょっと、色々まずいかもしれないし。

 少し寂しいと思いながらもーー決着をつけるため、あたしは頑張ろうと思った。


「神様と一緒なら、何も怖くないよ」

「いきなりどうした」

「ん。そう思っただけ」

「…………愛してる、シャーレーン」


 見下ろす神様が微笑む。

 それがあまりに幸せそうだったので、あたしは泡をさらに手に掴み、神様の髪も洗ってやることにした。

 洗うとそれなりに石鹸のいい匂いがした。神様は「シャーレーンと同じ匂いだ」とそれなりに喜んでいる様子だった。


◇◇◇


 翌日を境にあたしと神様は城で暮らすことになった。

 王妃様による身元調査はもちろん終わったわけではなく、昼食またはアフタヌーンティーの時間にはあれこれと深く質問されることもあったが、初日のような厳しさは随分と和らいでいた。

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