第25話 2週間未満のバカンス
「いやあ、まさかあのシャーレーン様ともう一度お会いすることができるなど。ええ、姿形は子供でもすぐにわかりました。降臨(おろ)したお言葉もお顔もお声も、全てあのシャーレーン様そのもの。……王都でお会いした時わしの足を癒していただいたことはわしとシャーレーン様しか知らない事実。ああ」
先ほどまでの仏頂面はどこへやら、ザイン老は早口で捲し立てながらシャキシャキと起き上がり、サクサクと教会の裏手へと案内してくれる。
教会の裏手に入り庭を進むと、むっとする湿度の高い熱が漂ってきた。煉瓦造りの扉のない、東屋のような小さな聖堂が見えてくる。その中心に噴水のように霊泉が湧き立っていた。
「湯量は……少ないですね」
あたしは聖域に入る前の礼拝を捧げたあと、霊泉を確かめた。通常ならブシャーッと成人男性の頭上くらいまで吹き出しているはずの霊泉が、8歳女児のあたしの目の高さほどしか湧いていない。これではこの街の全てに影響が出ているだろう。
神様がぺろ……と霊泉を舐めた。あたしは声をひそめて尋ねた。
「……どうだ?」
「俺の味がする」
「だろうな」
確認している素振りをしながら、神様は袖口からそっと小さな蛇を源泉に落とす。蛇が元気に穴に潜っていくとーーブシャーッ!!!と、勢いよく霊泉が溢れ出した!
後ろで様子を窺っていた神官二人が悲鳴をあげる。
「う、うわー!」
「ぎゃー!」
ノーガードで霊泉を真正面から浴び、あたしもべしゃべしゃだった。
「あったかくて気持ちいいけど、ずぶ濡れだなこりゃ」
「問題ない。俺が乾かす」
同じ距離で霊泉を浴びているはずの神様は全く濡れていない。神様があたしにそっと手をかざすと熱風を浴びる感覚がして、そのまま髪も服も全部カラッと乾いた。
「ありがとう」
「人間は服を纏うのが不便で大変だな」
「そりゃな……」
ーー待てよ、神様あんたが着てるその一張羅の黒い服はなんだ。
思ったけど今は深く追求している場合ではないだろう。
聖堂から出ると、へたり込んだ神官二人が手と手を取り合い、あたしたちを見上げて「ははあ」と頭を下げた。
「さっさすがシャーレーン様の御使ご夫婦! 霊泉が、今までわしが見たこともない湯量に!!」
「はわわ尊すぎて私どうにかなりそうです!! 最高ですッ! あ〜〜シャルテちゃん〜」
ーーおいおい。あんたら神官だろ。幼女(あたし)じゃなくて神に感謝しろよ。
思ったけれど口には出さず、あたしは恐縮しきった愛想笑いをする。
「そんな……頭をあげてください。神様からの贈りものを二人で出やすくしただけです。祈るのであれば、ぜひ神様に」
「ははあッ! さすがシャーレーン様の御使の方ッ! 謙虚でいらっしゃるッ!」
「どんな時も神様を思うなど……ッ! さすがですっ!」
「うーん、ほんとに神様の力なんだけどな……」
聖堂の裏手から談話室に向かいながら、あたしは神様に、ちょこっと手で詫びを入れた。
「ごめんな。あたしが功績取っちゃったみたいで」
「シャーレーンの成果だ、胸を張るといい。……俺はシャーレーン以外の人間は興味がない。わざわざ霊泉の手入れをしたのもシャーレーンのためだから」
「……ありがとよ」
思わず苦笑いしながら感謝を告げる。
本当にうちの神様は、あたしのことしか見ていない。
ーーその後、教会の談話室のソファにて。
時々神様に代弁してもらったりしながら、教会に『シャーレーン様の言葉』を伝えた。
霊泉は巡礼で一時的に回復できるが、王都の土地神カヤを祀る大聖堂の霊泉に行かなければ抜本的な解決はできないこと。これからあちこちの教会を巡るので何かあったときは力になってほしいということ。
そして肝心なことを最後に付け足した。
「本当は……シャーレーン様は『聖女になり、大聖堂の霊泉に入りなさい』とおっしゃってるんです」
「ならばあちこち回らずとも、直接王都の教会総本山に向かえばいいのでは? 治癒異能を持つシャーレーン様の御使でしたらすぐに聖女寮に入れるでしょうに」
ここが演技のしどころだ。あたしは表情を曇らせ、小さな手を口元に当てて視線を落とす。急に暗くなったあたしに、神官二人は身を乗り出す。
「あの、シャルテちゃん……大丈夫ですか?」
「ごめんなさい。……怖くて。シャーレーン様から聞いたことが」
まつげを伏せ、あたしは震える声で訴える。
「……シャーレーン様が『聖女寮には気をつけなさい』と……わたしには詳しくはお話ししてくれないのですが……とても、怖いことがあったらしくて……そのことがもしかしたら、神様を怒らせたんじゃないかって……」
わっと顔を覆うあたしの背中を、隣に座った神様が撫でる。
いっしょうけんめいがんばるいたいけな8歳児の告白を前に神官二人は顔を見合わせた。
「ザイン老。シャルテちゃんの言葉はにわかに信じがたいことかもしれませんが、私は……!」
「みなまで言うなヒースサマヤ。わしもシャルテ様の言葉は信じる。先ほどからの話の端々には、実際に聖女寮に入らないと分からない話が多く交えられている。わしも若い頃は聖女寮に赴任していたから、シャルテ様の言葉に嘘偽りはないと確信している」
「ということは、やはり土地神カヤの加護が失われたのは教会総本山に問題が……」
「ああ、そのようだ」
「信じてくださってありがとうございます……!」
「いやいやいや当然ですとも」
「はあシャルテちゃん推せる」
目を潤ませてお礼を言うと、二人はにっこにこになった。
「当教会は御使のお二人を支援いたします。こちらも新たな情報が入りましたら必ずお知らせしましょう」
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
◇◇◇
「うまくいったな、神様」
教会を出たのち、あたしたちはケィニガウニスの市街地を歩いていた。露店が並ぶ公園のベンチに座り、鳩を追いかけ回して遊ぶ子供達を眺める。足を組もうとすると椅子が深くて後ろに転がりそうになる。神様がくすっと笑って言った。
「これからは予定通りやるのか、シャーレーン」
「ああ。モーセイ辺境伯領のあちこちの教会に行って、霊泉を修復していく。でもあまり急ぐつもりはないさ。急ぎすぎて辺境伯領に滞在する大義名分がなくなっちゃあ意味がないからな」
目的は王妃に存在を認知されること。
一ヶ月滞在してみて成果があげられなかったら、次はトリアスが繋いでくれた縁故を利用して、領地を転々としてあちこちの霊泉を修復する旅をするつもりだった。
「まあ、だから今日はもうやることはないかな。……ねえ、神様」
「ん?」
「デートしようよ」
「デート?」
「そ。役目だのばっかりじゃ息がつまっちまう」
あたしは立ち上がり、神様に手を差し伸べる。神様はきょとんとしながらも手をとってくれた。
「一緒に散歩して、街を眺めて、美味しいもの食べよう」
「シャーレーンがしたいのなら」
「決まりだな」
あたしは笑って、神様を引っ張って歩き出した。
「じゃああの時計台行こう。神様が知ってる景色とどんなふうに違ってるのか教えてよ」
ーーそのあとはあっという間だった。
時計台に登って見晴らしの良い景色に興奮したり。
ぐねぐねと曲がる石畳の街並みの雰囲気を楽しんだり。生まれて初めて喫茶店に入って、小さなお菓子がたくさん詰まれたアフタヌーンティを楽しんだり。
「神様を楽しませたかったのに、あたしばっかり楽しんでるみたいだな」
花の形の砂糖を紅茶に溶かしながら、あたしは小さく肩をすくめる。神様は片肘をついてあたしを眺めながら、穏やかな顔で微笑んでいた。
「シャーレーンが楽しいなら俺も楽しい」
「本当かぁ? なんかやりたいこととか行きたいところがあるなら言えよ。あたしで付き合えるところなら付き合うからさ」
「本当だ。……シャーレーンを通じて、人として楽しむというのは……楽しいというのは、こういうことかと識っている。シャーレーンと夫婦(つがい)になれてよかった。興味深い、あなたは」
「……ふふ。それならいいけど」
神様のストレートな言葉にもだんだん慣れてきて、あたしも笑顔で受け止める。
神様が一瞬動きを止める。そして口元を片手で少し覆ってーー目をそらした。
「なんだよ。見惚れたのか?」
「……眩しすぎる」
「それなら何よりだよ、神様(ダーリン)」
かわいこぶって言うと、神様は無表情に戻る。
「わざわざ他の男(オス)にするような顔をしなくてもいい。シャーレーンの本当の笑顔だけ見ていればいい」
「……めんどくさいなあ、あんたは〜」
ぶりっこをハズした照れを感じながら、あたしは紅茶を飲んで誤魔化した。
◇◇◇
そんなこんなで一日中たっぷり遊んだあたしたちは、日暮前にホテルに戻り、食事をしてのびのびと眠った。
翌日からも一週間ほど、このホテルを起点としてあちこちの小さな教会の霊泉をチェックしては癒していった。
街遊びもしっかり楽しんだので、リボンは少し増えたし、神様との話題も増えた。夜寝る前、二人で明日は何をしたいのか遊びの計画を立てるようになった。ベッドに街でもらった美味しい店のチラシや、歌手の野外公演の日程メモを散らしてあれこれと話していると、神様がふと噛み締めるように呟いた。
「人間の夫婦らしくて嬉しい」
「人間の夫婦なら、こんなふうに遊んでばかりじゃいられないよ」
「そうなのか? じゃあ人間じゃなくてよかった」
神様が薄く微笑んで、あたしの髪に口付ける。
何匹も出現していた蛇も甘えるように、あたしの手に絡みついた。
楽しい日々は、まるでずっと続くように感じていた。
◇◇◇
ーーそして8日目の朝。ささやかなバカンスの日々は終わりを告げる。
早朝から、ホテルの偉い支配人が部屋にやってきたのだ。
「突然恐れ入ります。……カインズ様、シャルテ様にお呼び出しのお手紙が届いております」
「どこからですか?」
背伸びして手紙を受け取るあたし。神様と二人で手紙を覗き込みーー顔を見合わせ頷いた。
手紙に捺された真っ赤な封蝋は、間違いなく王妃様の手紙であることを示す紋章だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます