第24話 辺境伯領の変な協力者
よく晴れた初夏の日和。
あたしと神様はそれなりに良い馬車で一路モーセイ辺境伯領を目指していた。
あたしが纏っているのは、ピンタックとピコレースをふんだんに施した真っ白なワンピース。水色のチェックのリボンを巻いた麦わら帽子。長いふわふわの髪も二つのおさげに結っていて、流行りで服を選べる低めの家格の貴族令嬢か、格式にとらわれない裕福な商人の娘のような装いだ。
ーーここまでしなくていいと言ったのに、ロバートソン商会長が整えてくれた旅支度だ。
逃亡神官トリアスの救出のあと。
彼と商会長との顔つなぎをしたあたしは、結局トリアスの記憶は消さないほうが都合がいいと判断。彼と商会長に向けて、「シャーレーン様の御使」として支援を願い出た。
「これから国中の霊泉の枯渇の調査と仮復旧をさせる旅をいたします。何卒お二人のお知恵やお力をお貸しいただきたい」
「おねがいします、シャーレーン様がとっても悲しんでいるんです……!」
神様の真摯な態度(あたしが言ってもらったんだけど)に、8歳児らしい真剣な懇願を重ねて訴えると、二人は喜んで支援を快諾してくれた。
それから商会長は旅支度の手配と各地の仲間への連携をとってくれて、神官トリアスは旅慣れないあたしたちへの旅の手配や各種手続きを代行してくれた。ありがたい。
手続きをしながらトリアスは興奮気味に「僕もともと巡礼神官だったんですよね!」と言った。
「あの、よかったら僕もついてっていいですか?」
「嫌だ」
「えーそこをなんとか」
「神の意思に逆らう気か?」
「あっなるほど! お二人で向かうのが土地神カヤのご意思なのですね! 承知いたしました!」
ーーまあ、確かに、紛れもなく土地神カヤの御意思だけどさ〜。
神様の嫉妬が怖い。
ちなみに、馬車は『馬精霊』を使っている。揺れもなければ糞もしない。食料と休憩も石炭を食べさせればなんとかなる便利な馬だ。この馬なら宿がなくても馬車泊ができるし、馬精霊は特殊なため盗賊なども手出しを恐れ、トラブルに遭いにくい。しかも透き通った白馬で、可愛い。便利な馬だ(二回目)。
「シャーレーン、昼だ」
神様が朝に宿場町で買ったバゲッドサンドを手渡してくる。
「ありがとう」
あたしは受け取り、いただきますを言って食む。8歳児の小さな口ではなかなか食べるのが難しくて、しっかりバゲットを押さえて、端っこからちまちま食べる。神様が微笑ましそうな目で見ていた。
「……あたしも神様の力を持つのなら、食事しなくていいようにならないのかな」
「力の行使になれたらできるかもしれない。でもシャーレーンは食べてて欲しい。食べている顔が可愛いから」
「……あんま見るなよ、恥ずかしいから」
あたしたちがなぜ辺境伯領を目指しているのか。それはそこが王妃イシュリア様の実家の所領であり、王妃様が長期に渡って静養している場所でもある。
シャルテちゃんとして聖女復帰するにあたり、後ろ盾は必須。
あたしが目をつけたのは王妃様だった。
王妃様と実家の辺境伯家は、ルルミヤ・宰相派、大神官派、国王派のどれもから独立した勢力を持つ。軍事的要であり豊かな領地なので、他派閥の顔色を伺う必要がないのだ。そして王妃様はノブレス・オブリージュの心を持つ人だったと(だからこそ野心家で利益でしか人を見ない国王と折り合いが最悪だったんだが)。
王妃様に「この子は保護するべき聖女だ」と思ってもらえれば、彼女と辺境伯家を強力な後ろ盾にできる。シャルテちゃんが聖女に舞い戻るのは、この道がベストだ。
またトリアスの情報によると、王太子はルルミヤ・宰相派、教会派、国王派の間の板挟みになって病んでいるらしい。王妃様が親心として「息子の力になれば」と、シャルテちゃんを送り込んでくれる可能性は十分にある。
「しかしシャーレーン。王妃は具合が悪いのではないのか? うまくいくのか」
「大丈夫。静養とは名ばかりで、単に国王との折り合いが悪すぎて別居してるだけなんだ」
「仲が悪いのか。夫婦なのに」
神様がちょっと悲しそうな顔を見せた。
「ああ、そういえばまだ神様には詳細話してなかったな。……えっと。国王は王太子ルイス殿下を冷遇し、自分に似ている第二王子ケイゼン殿下を溺愛しているからな。イシュリア様は二人を適切に教育すべきだと主張していたらしいが、……まあ説得は無理で。そのまま静養という名目で王妃は実家に帰されているんだ」
王族の離縁は現行の王政法では物凄く面倒だ。すでに王子が二人も生まれているし、国王は政略結婚用の姫君が欲しければ有力貴族から貰えばいいと思っている。国王にとって険悪な王妃様は追い出すのが一番、というわけだ。
「人間は難しいな、夫婦なのに愛し合えないとは」
「まー綺麗事だけじゃ済まないことも多いしな」
「俺は幸せだ。シャーレーンが妻(つがい)だから」
「……そ、そっか」
硬い表情をわずかにほころばせ、神様があたしをうっとりと見つめている。
あたしはバゲットサンドを飲み込み、ごほん、と咳払いした。
「ま、辺境伯領はホースウッド公爵領が所有する領地の一つとも隣接してる。王都から離れたところでルルミヤと実家のゴシップでもあれば握ろうぜ」
「楽しみだ。血わき肉躍る」
「元気だな」
「俺も神になって以来だから。霊泉を出るのは。……だから全てが目新しくて面白い」
神様は窓の外を見て、目を細める。
(そうか。……神様はもともと自由で強い土地神だったのに……前世のあたしとの幸福のために、権能の範囲を狭め、国を守るだけの弱い神になり……今は、国の神であることも捨てているのかーーあたしのために)
「なあ、神様」
「ん」
「……神様はあたしを幸せにする、って言ってくれてるよな」
「夫だから当然だ」
「じゃああたしもこれからは、神様を幸せにすることを考えるね」
「シャーレーン……」
「だってあたしも妻だろ? 夫婦ってのは二人で幸せになるものさ」
神様が真っ黒な目をぱっちりと見開く。抱きしめられるかと身構えたが、神様ははにかんで幸せそうにするばかりで、それ以上激しいことはしなかった。それもそれで照れる。
あたしの両親は仲の良い夫婦だった。あたしの夫婦像の理想はそこにある。
神様を幸せにしたい。それがーー自由になったあたしの初めての夢かもしれない。
あたしもそれからはしばらく沈黙し、馬車の外に目を向けて過ごした。
ーー馬車は、出発から二週間をかけて辺境伯領へと到着した。
◇◇◇
モーセイ辺境伯領の中心地、ケィニガウニス。
商業の気風が強いマケイドとは対照的で、街が城砦に囲まれ、丘陵の上に築かれた城と、麓の市街地で構成されている。典型的な防衛都市だった。
あたしたちはロバートソン商会長の紹介のおかげで、スムーズに街の高級ホテルにチェックインできた。荷物を置いて身軽になったあたしたちをロビーで待ち受けたのは、神官トリアスが取り次いでくれた街の神官だった。
黒髪短髪の若い神官ヒースサマヤは、背筋を伸ばして辞儀をした。
「神官トリアスから聞いております。お待ちしておりました、御使カインズ様、シャルテ様。私がケィニガウニスの主要霊泉へご案内いたします」
「よろしくおねがいします!」
第一印象が肝心だ。あたしはにっこり笑ってお辞儀をする。ヒースサマヤが顔を手で覆った。
「……う、噂に違わず可愛い……おっと失礼いたしました。よろしくお願いしますシャルテ様。お兄さん怖くないですよ」
「褒めてくれてありがとうございます! でもわたしをあまり褒めると、夫が怖い顔するから気をつけてくださいね?」
「お……夫」
「ああ、夫だ」
「夫です♡」
神様が怖い顔をしたままあたしの肩を引き寄せる。
ヒースサマヤはいろんな感情が錯綜した顔でポカン……と硬直していたが、しばらくして我に帰り、ごほんと咳払いして立ち上がった。
それから。
あたしたちはヒースサマヤの案内で、街の中心部にある教会へと向かう。街の霊泉の管理は教会なのだ。教会から湧出した霊泉が張り巡らされた霊泉水道を通り、街のあちこちの浴場などに供給されているのが一般的だ。
教会の扉を開く前に、ヒースサマヤは声を顰めて言った。
「神官長のザイン老は少々気難しい方なので、気を悪くしたら申し訳ありません。会ってくれるところまでは交渉できたので、あとは……」
「がんばります。ありがとうございます、ヒースサマヤさま」
「うっ……かわいい……人妻……幼女……なんてことだ……」
ヒースサマヤはぶつぶつと呟きながら胸を押さえて扉を開く。大丈夫か教会の神官。
扉を開いて真正面、祭壇の前から大義そうに振り返ったのは、気難しいを絵に描いたような険しい顔をした老人神官だった。
「……シャーレーン様の御使とは、そこの小娘と男か」
値踏みするような眼差しで上から下まで眺め、老神官はやってくる。
あたしは上品な微笑みを浮かべ、さりげなく顔を傾け前髪で半分目元を隠す。
そして気持ち低めの大人っぽい声で、老人に向かって言った。
「『
あたしがつぶやいた瞬間。老神官ーー昔馴染みのザインは、大きな音を立てて祭壇の高い位置から転がり落ちた。
「シャ、シャーーレーン様ッ!?!?!?!?!?!!」
「はわ……わたし、また『降臨(おろ)しちゃってましたか』?」
あたしはわざとらしく、神様を見つめて拳を口元に寄せてぶりっ子をした。
「あばっ、あばばばばっ、ばっ……シャーレーン様が……シャーレーン様がわしのももも元に……ガクッ」
老神官ザインはそのまま泡を吹いて気絶した。
彼が息を目を覚ましたのは、それからヒースサマヤに引きずられて寝室に寝かされ、半刻後の話だった。
「……いやあ、驚きました。まさかシャーレーン様を降臨(おろ)せる御使がやってくるとは」
最初の警戒心はどこへやら。
老神官ザインはいそいそと、あたしと神様を丁重に主要霊泉の湧く裏手へ案内してくれた。
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