第22話 別視点 /ルルミヤの生存戦略 ※微ざまぁ


「筆頭聖女ルルミヤ。汝が就任して以降、土地神カヤの加護が落ちた報告が相次いでいる。霊泉の枯渇に全国の霊泉湧出量低下。複数の有力貴族および商人の抗議、国境付近の魔物の増殖、聖女の不祥事に教会内部の混乱ーー全ては汝の私利私欲に基づく行動が招いた事態であり、筆頭聖女として不適当である。大神官マウリシオの名において、筆頭聖女ルルミヤの解任を求める」


 壇上から厳しく糾弾されても、ルルミヤは涼しい顔で佇んでいた。

 彼女の後ろから、ルルミヤ派の神官が朗々と訴える。

 彼らは若く革新的でありたいと思う神官らだ。


「僭越ながら大神官マウリシオ猊下のご主張に異議を申し立てます。そもそも筆頭聖女ルルミヤは急遽就任した身。彼女は前筆頭聖女時代に起こっていた綻びを繕うために積極的な活動を行っているのであり、私利私欲に基づく行動と断じるのは恐れながら誤謬であると訴えたい」


 そもそも、と熱気のこもった拳を握りしめて、神官は訴える。


「変革を起こし秩序を脅かしていたのは前筆頭聖女シャーレーンの側ではありませんか。一つ挙げてみても、伝統ある無料聖女派遣活動を廃止したのは大きな愚策と言えましょう。対して筆頭聖女ルルミヤは就任後、本来の教会の権威を守ろうと奮闘しています。彼女を糾弾するのは間違っている」


 大神官派の神官がそれに応酬する。


「前筆頭聖女時代には一切の霊泉湧出量の問題はなく、無料聖女派遣活動を廃止しても収益は上がっていた。旧体制に戻すと言いながら、筆頭聖女ルルミヤの度重なる外出や懇談会は説明がつかないものが多い。接待費についても裏帳簿の疑惑が上がっておりーー」

「そもそもシャーレーン・ヒラエスは何者だったのか、具体的な説明責任を欠いたままーー」


 喧々諤々に主張をぶつけ合う二代派閥。

 その中心でルルミヤは涼しい顔をして、大神官マウリシオを見ていた。

 糾弾されてもなおこの態度には理由がある。


「……大神官マウリシオ猊下」


 誰もが沈黙した時、ルルミヤがようやく口を開いた。

 まろやかな美しい聖女の声で、彼女は甘やかに大神官に問いかけた。


「わたくしは『異世界召喚の聖女』の突然の『帰還』、その後釜として混迷のなか就任した身でございます。就任してたった数ヶ月の、まだ前任者の事後処理に追われるわたくしの無力を糾弾するのはたやすいでしょう。……けれどわたくしを糾弾して、他に誰が役目を務められると?」


 大神官派は推し黙る。

 ーーそう。能力の高い聖女は全て潰され、『シャーレーンの出自』という大神官派の弱みを掴まれた状態では、ルルミヤ以外を選ぶことができないのだ。


「それに……神の怒りを代弁するのであれば、彼女が筆頭聖女としてもたらしたは無視できないのでは? わたくしはそちらの方が心配するべきだと存じますが」


 ルルミヤの物言いに気色ばむ大神官派の面々。


「なんという物言い……」

「身分を弁えろ、筆頭聖女ルルミヤ!」


 しかし大神官と側近は、苦々しい顔をしてルルミヤを見下ろすしかない。


 シャーレーンが場末の出自であることは、まだ大神官とごく一部の関係者しか知らない。


 シャーレーンが聖女寮で殺害されたという

 シャーレーンが本来、下賎の生まれの女であるという

 シャーレーンの出自を偽り、祭り上げたのが大神官派という、弱み。


 大神官は結局ルルミヤにそれ以上強気に出られず。審議会は結局、ルルミヤの筆頭聖女続投の方向ででまとまった。


 審議会を終えたルルミヤはすまし顔で歩いていたが、廊下で待ち構えていた人物を見て青ざめた。

 そこにいたのは、審議会にも参加していた実父ーー宰相であるホースウッド公爵だった。


「お父様……」

「……食堂に来い」


 ただその一言で、ルルミヤは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 手が震える。

 生殺与奪は全て、父が握っているのだから。


◇◇◇


 ホースウッド公爵邸、その食堂の中は呼吸すら響くほど静かだった。

 真っ白なテーブルクロスが布かれた長テーブルの端、家長席でナイフを動かすホースウッド公爵。対するルルミヤは、その対角線の向こうーーではなく、テーブルの端の、更に左側に座っていた。妾腹のルルミヤは父の正面で食事をする権利を与えられていない。

 前菜、魚、肉。出されるままに咀嚼するが、ルルミヤは味を感じなかった。


「どうなっている」


 父が、突然言葉を発した。


「お前に与えた時間はもう2ヶ月も過ぎた。教会内の勢力を牛耳り、大神官を体調不良を理由に引退させるという話は難航しているようだが、わしの融通が足りぬといいたいのか?」


 ーーまだ2ヶ月よ、お父様。焦らないでよ。

 そう言いたくても言えない。

 大神官にはシャーレーンという弱みを盾に強く出られても、後ろ盾である父の前に置いてルルミヤは無力だ。

 早く成果を出せと言われて、反応に窮する。

 切り捨てられないようにしなければ。


 手が震える。ナイフの音を鳴らさないように、ルルミヤはカトラリーを皿から浮かせ答えた。


「滅相もございません。……少しずつ成果は出ております。大神官派はわたくし以上の筆頭聖女をまだ見つけられてはおりませんし、わたくしも順調に勢力を広げております。今しばらくお待ちください、お父様」

にこれ以上時間は与えられないぞ、ルルミヤ」


 たっぷり沈黙を置き、父は低く言った。


「妾腹のお前を不相応の公爵令嬢の立場に据えてやっているのは、お前を信用しているからではない。商品価値が下がるまでの猶予期間だ……18歳までに成果を出せなければ、お前は予定通り、隣国に嫁がせ間諜の命を与える」

「承知しております。隣国の間諜になるよりもより良い成果を、お父様にお届けいたします」


 父はそれ以降、一言も発しなかった。

 重たい沈黙の中、ルルミヤはただひたすら食事を喉の奥へと流し込む。胃液が迫り上がる心地がしても、水で押し戻した。


 食事を終え、父は去っていった。

 給仕をする相手は消えたとばかりに、使用人も全て、ルルミヤ一人を残して去っていく。


 国で最も豪奢な食堂にて、ルルミヤはカトラリーを置いた。


「わたくしは……」


 食後のデザートとして置かれたフルーツの盛り合わせに、一際大きなオレンジがあった。

 鮮烈な色が、あの憎らしい下賎の三毛猫の瞳に見えてーーカッとして、ルルミヤはオレンジを鷲掴んだ。


「わたくしは、あなたなんかと違うの。わたくしは公爵令嬢よ」


 感情のまま、テーブルクロスの上に、オレンジを叩き潰す。

 鮮烈なオレンジが血飛沫のように、真っ白なテーブルクロスとルルミヤの聖女装束を汚す。

 ルルミヤは歯噛みし、勝ち逃げのように死んでいった女を憎んだ。


「わたくしは……あなたのように破滅しない。見苦しく臓物を散らして死んだりしない。ホースウッド公爵令嬢ですもの。公爵令嬢として、筆頭聖女の座も、何もかも、思いのままに手にするのよ……」


 ルルミヤは手を汚す果汁を舐める。

 嘲笑うような酸味の強い味が、ルルミヤの舌を痺れさせた。


◇◇◇


 夜。

 泉が枯れても、筆頭聖女の聖堂の沐浴は変わらず行われた。ルルミヤにとっても一人になれる空間は悪くなかったので、たとえ湯が枯れているとしても続けていた。

 

 天井の高い聖堂の内部は、全面見事なモザイクタイルで飾り立てられていた。高い位置にある湯口らしき場所は乾いていて、下には湯が張られている。

 湯口には斜めに、錆びついた長い棒が刺さっている。初代筆頭聖女の聖遺物と言われているけれど、ルルミヤには小汚い棒にしか見えない。


 広い浴槽を見渡し、ルルミヤは肩をすくめる。


「わざわざ湯を張ってご苦労なことね」


 ちなみに側仕えの聖女たちは新たな顔ぶれに変わっている。元々の側仕えは全て大神官派の間諜で、ルルミヤにばれないよう、泉の枯渇を確認するために遣されていた。

 形ばかり祈りを捧げる、もちろん、何も起こらない。


「……神なんて、いるわけないじゃない」


 ルルミヤは体を楽にして湯に身を沈め、天井を見上げた。

 天井には白い大蛇が描かれていた。土地神カヤは本来、輝く蛇神の姿を持つと言われているーーそんなものも霊泉の湯柱を蛇に見立てただけのものだ。

 

「神様なんていない。神様がいるのなら、ハリボテ聖女(シャーレーン)を許すわけがない。純潔なんてくだらないもの捨てたわたくしに、聖女異能が使えるわけがない」


 ルルミヤに信仰心なんてものはない。もし教会が喧伝するような神がこの世にいるのならば、とっくに多くの人間に罰があたっているはずだ。

 異世界の聖女を捏造する大神官。

 処女と偽り筆頭聖女を続けるルルミヤ。

 隣国に侵攻する大義名分を作る父だってそうだ。


「でもわたくしは神は大切に思っているわ。信仰があってこそ、わたくしにも機会が与えられているのだから」


 シャーレーン殺害の後、聖女寮内の警備は手厚くなった。

 外国に留学中の第二王子殿下の配慮で、彼が指名した騎士団員が複数名、新たにルルミヤの護衛として聖騎士団所属となったのだ。


 部外者が聖騎士団所属となることは異例で、不満を訴えた聖騎士が辞めるなどして混乱も起きてはいるが、ルルミヤはありがたかった。シャーレーンを殺したのが聖騎士という噂もあるし、大神官派から恨まれているルルミヤにとって部外者の味方は頼れる存在だ。彼らも素直にルルミヤの言うことをきき、裏切り者に対する私刑も喜んで手を貸してくれるし、助かっていた。


「わたくしと第二王子殿下は、気が合うのかもしれないわ」


 ルルミヤは短髪で男らしい、年下の第二王子殿下を思った。側室は原則的に嫌だけれど、彼の側室ならばそれなりに良い待遇になれるかもしれない。

 心を病んだ、第一王子よりはずっと。


「彼が一時帰国した時は、絶対顔を合わせておきたいわね」


 ルルミヤは希望を胸につぶやいた。

 ーーそして意外と早く、意外な形で、ルルミヤの希望は叶うことになる。



 国王が体調を崩しがちになったのだ。

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