第20話 神様のファムファタール

 灯りをともすのを忘れたままの暗い部屋。

 窓の外から、夜の街の賑やかな喧騒と明かりが入る。僅かな光を背に、神様はあたしを見つめて告げた。


「初代筆頭聖女が、あたし……だと?」

「……俺は元々、この大陸全土の土地神だった。遠い昔の話だ」


 覚悟を決めたのだろう、神様は打ち明けはじめた。


「聖堂の位置は小高い山になっているだろう。人間のせいで随分と小さくなってしまったが……あの山が、俺(カヤ)の棲家だった」


 初代聖女は当初、山を鎮める供物として訪れた。


「金糸雀(カナリア)のような眩しい金髪で、手足が長く、強い眼差しをした人間だった」

「だいたいあたしだな」

「性格も全く同じだ。……それまでの出自も、ほぼ」

「……」


 供物を前に神様は困った。人間で腹は満たされることもないし、初代聖女を憐れみこそすれ、人間のために加護を与えようなど思わなかった。


「けれど……一緒にいて、情が湧いて……俺はいつしか人間の姿を取り、彼女(あなた)と過ごすようになった。彼女(あなた)が幸福になればと、土地を肥沃にして天災を退け、魔物を払い、生活が豊かになるように計らった。……するといつしか、彼女(あなた)は神のつがいの聖女として、人間どもから祭り上げられるようになった。……彼女(あなた)を俺に与えて捨てた気になっていたのは、人間だというのに」


 神様の言葉にざらついた怒りが混ざる。

 膝に座ったまま、あたしは宥めるように神様の背を撫でる。込み上げる感情を止めるように、神様は瞼を閉じた。


「初代筆頭聖女(かつてのあなた)も聡明な人間だった。彼女(あなた)が教えてくれた、大陸ではいくつもの様々な神が祭り上げられ、人間と契約し、護国の加護を得ていると。そして逆に……人の営みへの迎合を拒絶した神は、人間と組んだ他の神々によって邪神とされ、消されていると」

「……神を掲げて人間が戦争を始めたんだな」


 現代でも国には神が欠かせない。

 土地神と施政者は紐付いていて、土地神の加護によって国を守っている。その神威がどのように生じるかは、神の性質によって異なるけれど。

 教義では土地神カヤは霊泉で豊穣をもたらす蛇神ということになっている。聖女を管理する教会が大きな権力を有するのはそれが理由だ。


「他国の干渉を前に、彼女(あなた)は俺とこの国が契約することを勧めた。契約をすれば住まいの山も永劫保護され、土地神カヤとして信仰されれば神威が安定すると。俺としても彼女(あなた)が聖女として人間社会で居場所を得られるのは望むことだった」


 神は国に祀られ、前世のあたしは初代筆頭聖女となった。全ては丸く収まっていたーーあたしの寿命以外は。


「俺は国の神になった。しかし彼女(あなた)は人間でーー寿命は抗いようもない宿命だった。俺はあなた以外、全ていらなかったのに。元の何も知らない『在るだけの土地神』には……戻れなかった。時代も、それを許さなかった」

「神様……」


 神と人間が手を結び、人間の都合で邪神と神に区別して、人間の争いに神が巻き込まれるようになった時代。神にとっての牧歌的な時代は終焉を迎えていた。


「国に思い入れはなかった。聖女(あなた)を使い捨てにした人間どもの営みを、亡き後まで守る理由はなかった。他の土地神に侵略され、俺は……そのまま消えるつもりだった」


 神様の眼差しに影が落ちる。声が低くなっていく。


「……それでも国を守ってくれていたんだな、今まで」


 あたしの言葉に、神様がきょとんとした目になる。


「俺は一度も、国を守った覚えはない」

「え」

「全ては彼女(あなた)ともう一度逢うためだ、シャーレーン」


 神様は、瞳を金に光らせこちらを見ていた。

 する、と頬を撫でられる。静かな微笑みを湛えながら、神様は目を逸らさず続けた。


「国ではなく、俺は彼女(あなた)の帰る場所を守っていた。……俺はあなたが生まれ変われるように、土地神としての力のほとんどを、魂に分け与えたから」

「え」

「本来は大陸全土を司る力を持っていたのを、この国の範囲に矮小化して、できる権能も最低限に減らして、余った分を全部あなたに捧げて……俺はただ霊泉を湧かすだけの神として、彼女の帰る場所を保って待ち続けた。たった数百年でも、長かった」

「……え……えっと……」


 想像よりずっとまずいことを暴露されているような気がするのは、気のせいか。


「彼女(あなた)が正しく俺の力を引き継ぐには、一度人としての死を経たのちに生まれ変わるしかなかったーー筆頭聖女として生まれた時の肉体はまだ、人間だったから」

「待てよ、あたしは父さんと母さんの子だ。あたしも人間だ」

「人間とて、今のあなたは神の魂に耐えうる人間だ。……。あなたを癒すときに」


 神様が味を思い出すかのように唇を舐め、微笑んだ。

 優しげなのにぞくりと怖くなったのは、神を前にした本能の畏れか。


「……けれど、俺に残した権能を最低限にしたのは良くなかった。あなたが教会に囲われるまで、生まれてくれたことに気づかなかったから。今の俺は神としては弱いただの蛇神だ。他国の土地神から襲われてしまえばひとたまりもない」

「大神官が聞いたら泡吹いて倒れそうだな、おい」

「ダイシンカンなど、どうでもいい」


 神様は半ば恍惚となった瞳を細めた。


「俺はシャーレーンにもう一度会えて幸福だった。俺は、あなた以外何もいらないから。だが愚かにも国は、シャーレーン転生したあなたもを再び使い捨てにしようとした。……俺がこの国の土地神をするのは、シャーレーンのためだけだ。よってあなたを捨てる国を守る義理は俺にはない。だから捨てた」

「……オーケー、わかった。ちょっと整理させてくれ」


 あたしは待ったをかけて深呼吸する。そして神様の執念のノイズを除去した上で、事実だけを確認した。


「確認したいことは二つ」

「うん」

「……まずあたしは、筆頭聖女の生まれ変わりで、神様の魂を分けてもらってんだな?」

「そうだ」

「もう一つ。国の加護はガラ空きで、その影響として霊泉も枯れ始めたってこと?」

「合ってる」

「………………」


 あたしは天を仰いだ。

 神様は初代聖女を愛して国の守護をする神となり、生まれ変われるように魂を分けた。

 そして生まれたのがあたし。そしてあたしを捨てる国に愛想を尽かし、国の守護をやめた、と……


「何もかもあたしが元凶すぎる……」

「シャーレーンが世界の全てだからそれでいい」

「一応聞こうか。……なんで言いたくなかったんだ?」

「シャーレーンがそんな顔をするとわかっていたから」

「あー……まあ、なあ」


 神様は視線を落とし、言いにくそうに口籠る。


「初代聖女の生まれ変わりで、力を持って生まれた存在だと知れば……あなたはきっと、この国の混乱の始末をつけようとするだろう」

「そりゃそうだ」

「……俺はそれが嫌だった。あなたには、ただの俺の妻として、幸せに過ごして欲しかったから。それに」

「……それに?」

「……その……」

「ここまで来たら、はっきり言ってくれよ。……怒んないからさ」

「…………怖かった」

「ん?」


 神様は珍しく、弱気な声を漏らした。


「前世の話をしてしまっては、俺の思いが、単に前世の縁をシャーレーンに引き継いでいると思われそうで怖かった」

「……あー……」


 前世のあたしだけを見ていると思われるのが嫌だったのか。

 先ほどまでの威圧感はどこへやら、神様はもじもじと、あたしの長い髪の毛先を弄る。


「もちろん出会った時は、前世のあなたと出会えた気分だったというのは、否めない。……真実だ……でも……でも信じて欲しい。俺は……過去の縁がなかったとしても……あなたに惹かれていた。俺は……シャーレーン・ヒラエスとして、こうして生まれたあなたが好きだ。両親を愛している心も、芯の強さも、瞳の色も愛している。人間に生まれたのに高潔なのも尊敬している。だから……その……」

「神様。心配しないで」


 あたしは神様の頬に手を伸ばした。目を逸らした彼の顔をこちらに向けさせ、綺麗な顔を覗き込む。

 さらさらの黒髪、その前髪の間から覗く瞳があたしを映す。彼の瞳の中であたしは笑顔になった。


「大丈夫。神様のあたしを大事にしてくれてるって気持ち、疑うつもりはないよ」

「シャーレーン……どうして……?」

「そりゃだって、初代聖女(むかしのあたし)との約束だったんだろ? この国の神様になってくれたのは」

「そうだ」

「でも、神様はそっちとの約束を破ってでも、あたしを優先してくれた。目の前のあたしを守ってくれている」


 神様が目を見開く。あたしは「大丈夫」と言って、頭を引き寄せて撫でてやった。


「……その行動の問題やら結果やらが、国の神様としてどうなのかっての是非は…………置いといてさ。神様が『神様』であることを捨てちまうほど、本気であたしを愛してくれているのは……ちゃんと伝わったよ」


◇◇◇


 あれから一旦クールダウンさせるために、あたしは食堂に降りてお茶を淹れてきた。

 落ち着かせない限り、

 神とはいえど、人間の倫理を、超えるな。

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