第9話 ヒラエス

 馬車を乗り継いで丸二日かけて、あたしと神様は王国第二の都市、マケイドに訪れた。そこで更に一泊して、徒歩で都心部から少し離れた一角に向かう。

 歓楽街なんて名ばかりの、非合法な娼館や怪しい店ばかりが集まる掃き溜めのような場所だ。マケイド近郊の鉱山で働いた労働者たちが、まとまった金を握って酒と女と博打を貪る街。混ざり物の多い酒の匂いと酸っぱい嫌な匂いが、常にまとわりつく吹き溜まり。

 そんな街でも、昼間はあちこちの店が営業前で、くたびれた寝起きのような雰囲気を醸している。


「シャーレーン、手を繋いで」

「ん?」

「危ないから」


 しゅる、と神様の黒い服の襟元や袖口から白い蛇が顔を覗かせる。


「うわ」

「あちこちからシャーレーンを見ているようだ。危険だ。シャーレーンは穏便に済ませたいのだろう?」

「心配ありがとう。わかったから蛇隠せ、バレたらコトだぞ」


 言いながらあたしは蛇を袖の中に押し戻しつつ、神様の指の長い手と手を握る。

 黒い服を纏った謎の青年と、街にそぐわない可愛いワンピースを着た8歳児。手を繋いで大通りを歩いていると、いよいよチグハグな子連れの様相だ。

 清潔な服を纏ったあたしと神様を、通りすがる連中がじろじろと怪訝な顔で眺める。男が子供を売りに来たように見えているだろう。


 あたしの足取りは軽かった。


「楽しそうだな、シャーレーン」

「そりゃあ、あたしが生まれ育ったのはこの街だからな。……ずっとこの街で暮らすと思ってたし、離れるとしても、父と一緒だと思ってたんだ」


 一緒に暮らしていた頃、父はあたしに積極的に仕事を手伝わせていた。計算をさせたり、薬草の管理を任せたり、薬作りの手伝いをさせたり。店番だってさせられていた。暮らしの中で自然と、父はあたしに薬師として生きる力を与えてくれようとしていた。


 父は仕事に関しては厳しい人だったけれど、それも含めてとても優しい人だった。

 街を歩いていると、父との思い出が次々と蘇ってくる。


 父が薬草を紙に巻いて吸っていた、煙草の匂い。

 夜通し仕事をした父の寝顔を見ながら、朝、買ってきたパンを食べる静かな時間。

 娼婦時代の苦労が祟ってすぐに死んでしまった母の顔も、一緒にいた時間は短いのに、今でも昨日の思い出のように鮮やかだ。


 父はあたしを撫でるとき、ときどき切なそうな顔をしていた。

 父は成長していくあたしに母の面影を見つけては偲んでいた。いつもは強気の父だけど、とても寂しがりやの人だった。早く、会って元気な顔を見せたい。


 歩きながら、あたしは神様にちょこちょこと思い出話をした。

 神様は聞きながら時々、「ああ、沐浴の時に話していたあれか」といった感じに答えてくれる。本当に、話はちゃんと聞いてくれていたらしい。


「今の時間ならそろそろ起きてんだろ。……父さん、随分と長い間ひとりぼっちにしちまった。早く帰らねえと」


 どんどん、あたしは早足になっていく。

 父がどんな顔をして生きているのか気になって仕方ない。


「ああでも、今この姿だからわかんねえかな? びっくりするだろうな、あたしが帰ってくるなんて思ってなかっただろうし」


 神様の相槌が止まっても、あたしは興奮のままに呟いていた。

 角を曲がった先に、父の店がある。

 半ば走り出しそうな勢いで、あたしは角を曲がった。


「え……」


 曲がり角を曲がったところにある父の家は、更地になり、近隣の商店の物置になっていた。狭い店が軒を連ねる商店街の一角だけ、ぽっかりと歯抜けになっている。


「おい、嘘だろ? 父さんは……?」


 怪訝そうにこちらを眺めていた通りすがりの男を捕まえ、あたしは話しかける。


「なあ、おっさん。ここにあったヒラエスの店を知らないか? あたしによく似た顔で、金髪の男が薬屋を営んでいたんだ」

「ああ? んな店あったかな。そこは俺が覚えてる限り、ずっと空き地だが」


 おじさんは酔っ払っているのか、ふらつく体で首を捻る。あたしは礼を言って、急いで近くの商店に飛び込んだ。

 

 突然やってきた子供に、店主が目を剥く。


「なんだなんだ、身売りならここじゃねえぞ?」

「あのさ、そこの薬屋はどうなった? あたしが知ってる限り、十年くらい前に娘と二人暮らしの男がいたはずなんだけど……」

「ずいぶん古い話を知ってるな、ガキ。俺は知らねえが、噂では放火に遭って店主も娘もおっ死んじまったとさ。闇薬師の跡地なんて不気味で仕方ねえって、それから何もたってねえとか……おい、ガキ!?」


 頭が真っ白になる。

 あたしは弾かれるように走った。再び店の跡地に向かい、雑草をかき分ける。根本の土が黒い。

 心臓がばくばくと脈打つ。

 苦しい。眩暈がする。

 あたしは何も考えれらなくなった。


「シャーレーン」


 神様が跪き、あたしの顔を覗き込んでいた。


「先ほどの男に詳しい話を聞いた。……墓は、歓楽街の教会の裏にあると」


 一足飛びに聞かされる、「墓」の言葉。

 言葉を理解するのを体が拒絶する。頭が痛い。


「嘘だろ? 一緒に死んだって言われてるあたしがこうして生きてんだ、父さんも生きてるに決まってる。あたしは信じない」

「シャーレーン……」


 あたしは、神様に縋りついた。


「なあ、神様。神様ならわかるんじゃないのか? 父さんが生きているかどうか。神なら生きとし生けるものの息吹を感じることができるんだろ?」


 神様は小さく、すまない、と言った。


「今の俺は、神の権能が全て使えるわけではない。……この国の土地で生まれた魂なら、辿れないこともないが……」

「流れ者の父さんの魂は……感じられないってことか?」

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