第10話 父を知る者

 どうしても墓を見ることはできずに、あたしたちは歓楽街に泊まることにした。


 ーー話をもっと聞きたい。

 諦めきれずに、あたしは最も老舗の娼館の、最も年嵩で事情通であろう娼婦を一晩買うことにした。

 もちろん、女児連れでは門前払いになる。一旦神様だけで話をつけた後、あたしが部屋に窓をよじ登って入ったのだ。

 長い赤毛の娼婦は目を丸くした。


「呆れた。こんな子供を娼館に連れ込むんじゃないよ」

「子供ではない、彼女は俺の妻だ」

「もっと良くない」

「待って姐さん。ちょっと色々あってさ。ごめん、今夜は見逃して!」


 あたしは彼女の目の前に、紙煙草数箱と酒瓶を渡す。神様が昼間商店にて、父の墓についての話を聞くついでに貢物として得ていたものだ。


「……ま、いいよ。どうせあたしも暇していたところさ」


 訳ありだと理解してくれたのだろう、彼女は口止め料を受け取り、あっさりとあたしたちを受け入れてくれた。

 娼婦は煙草をふかし、神様とあたしとテーブルを囲む。


「あたし。姐さんの名前は?」

「好きに呼びな。あんたらも名前、どうせ偽名しか言えないんだろ?」

「確かに」


 それからあたしは当たり障りのない範囲で、こちらの事情を打ち明けた。

 昔歓楽街で世話になっていた人ーーヒラエスの行方を探しにきたことを。


「ヒラエスさんかい。あの人はいい人だったよね」

「知ってるの、姐さん」

「ああ。やさぐれてはいたが、一度見たら忘れられない美形だったからね」


 差し入れに渡した紙煙草を燻らせながら、彼女は遠い目をして語った。


「まだ新人の頃、避妊薬と、香油を世話してもらってたよ。火災が起きて死んだって噂は本当さ。真っ黒こげの死体が薬品でぐちゃぐちゃになって、見れたもんじゃなかったって話を聞いているよ」

「……そうか」


 父を知っている人間の口にする、父の死。

 頭が真っ白なまま、あたしは冷静な振りができるうちに質問した。


「娘は? 娘も一緒に死んだって……噂聞いたんだけど」

「それはどうだかね。あたしが知っているヒラエスの店には、もうすでに娘はいなかったんじゃないかな……」


 煙草の灰が落ちる。

 あたしはぐらぐらと目眩を感じた。足元から泥になって溶けていきそうで、ぎゅっとスカートの端を握りしめる。 神様があたしを膝に乗せ、頭を撫で続けてくれていた。

 気を失いそうになるたびに、神様があたしの体を支えた。


 娼婦がふと、何かに気づいたようにあたしの顔をみた。


「……あんた、もしかして、ヒラエスの娘かい」


 その瞬間、神様が自然な仕草で娼婦の目の前に手を伸ばす。

 袖口から白い蛇が顔を覗かせる。蛇と娼婦が目を合わせた瞬間、キィンと耳鳴りがした。


「……」


 娼婦は目を回し、ばたりとベッドに倒れた。


「眠りにつかせた。今夜のことは、目を覚ましたら忘れている」


 神様はあたしを抱きしめ、そのまま何度も顔に口付けた。

 目元を舐めとられて初めて、あたしは泣いていることに気づいた。


「あ……」

「シャーレーン。泣いていい。俺しか見ていない」


 神様はあたしを膝に抱え直すと、黙って涙を舐め取り続ける。

 ありがとう。心配すんな。泣いちまって恥ずかしい。

 何か言いたかった。けれど、あたしは唇が震えて、何も言えなかった。何も、考えられなかった。


「少し眠ったほうがいい……俺がちゃんと、傍にいるから」


 ぷつり。意識が真っ暗になる。

 そのまま、あたしは神様の腕の中で夜を超えた。


◇◇◇


 翌朝。

 あたしの目の前に綺麗な顔があった。神様が目をしっかりと見開いてこちらを見ていた。


「う、うわあ!?」

「おはよう。よく寝ていて安心した」


 神様は真顔でそういうと、当然の挨拶のように目元を舐める。昨日泣いてしまったことを思い出して、あたしは決まり悪くなる。涙なんて、父か神殿の神様の前でしか見せたことなかったのにーーああ、彼は神様だった、そういえば。

 あたしはやんわりと顔を押し除ける。


「や、やめてくれ。もう泣いてないから」

「目の腫れを癒していた」

「癒……?」


 ぺろ、と神様は舌を見せる。

 蛇神とは言うけれど、舌は人間と同じ形をしている。


「治癒するには、俺の舌で舐めるのが一番効果が高い。唾液を通じて神の力を直接塗り込められる」

「そ、そういうことね……?」


 納得したようなしないような気持ちで、あたしはされるがまま、顔を舐められる。まだ出会って数日というのに、腕の中に捉えられてこうして絡め取られていると、妙にしっくりときて甘えてしまう。まるで昔からずっと一緒にいるような馴染み方だーー確かにずっと、信者として甘えていたのは事実だけれど。


(ん? 治すには舐めるって……)


 なんか引っかかることがあるような気がする。


「シャーレーン、他に痛いところはないか?」

「ち、近いよ神様……もういいよ、ありがと」


 真っ黒な神様の瞳に、あたしの顔が映っている。それになんだか心が安らぐ気がした。


「……朝起きて、誰かにおはようって言われるのは父さんと暮らしていた頃以来だ」

「シャーレーン……」

「改めて言わせて。……おはよう、神様」

「うん。おはよう」


 神様が薄く微笑んで、あたしの額に口付ける。

 ベッドには娼婦と、彼女に背を向けて、あたしを腕に抱いた神様が寝ている。娼婦はまだ目覚めない様子だった。


 さて、これからどうしようかーー思っていたその時。

 神様が弾かれるようにベッドから降り、窓の外を見下ろす。

 表情は険しい。

 彼について窓の下をみれば、娼館の下に、街の空気に不釣り合いな甲冑姿の男たちが揃っていた。


「……聖女護衛騎士団メイデンオーダーの連中か……ッ!?」

「シャーレーンを傷つけた連中か」


 穏やかな黒い瞳だった神様の瞳が、金に輝いている。

 足元から、しゅるしゅると白いものが出てくるーー蛇だ。

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