第8話 故郷へ

 それから小一時間後。

 従業員メイドがちやほやと可愛らしいお嬢様然とした服を見繕ってくれたので、その中でとりあえず一番聖女のイメージから掛け離れたものを選んだ。

 フリルがいっぱいで何層にも重なったチェックのワンピースに、ふわふわの癖っ毛とお揃いのリボンも選んで。着替えたままそのまま髪の毛も綺麗に整えられて、ぱっと見は良家のお嬢様だ。

 着替えを終えて部屋を出ると、神様ががた、と椅子を弾き飛ばして立ち上がる。

 そして真顔で言った。


「可愛い。さすが俺の妻」

「だぁから、妻って言うなよ……」


 従業員メイドたちが去ったところで。

 あたしは着替えのあいだに考えた、今後の行き先を神様へと告げた。


「……故郷に帰りたいかな、とりあえず。父さんに会いたい」

「話には聞いている。背が高くて酒に強くて、昔はケンカに強かったという」

「詳しいな」

「霊泉で俺に話してくれていただろう、話しかけてくれて俺はいつも嬉しかった」

「あの……その頃のことは忘れてくれよ……変なこと、言ってたかもしれないから」


 あたしは顔を覆う。

 霊泉は筆頭聖女しか入れないし、結界で物音も外にもれない。誰もいないと思っていたから、沐浴の時はいつも本来の口調で、「神様」相手にあれこれとおしゃべりをしていたのだ。

 あれこれと恥ずかしいことや泣き言をたくさん口にしていたから、恥ずかしい。


「忘れない。毎日シャーレーンの話を聞いていると幸福になれた」

「…………そこまで想ってくれてたんじゃあ、確かにドチラサマ? なんて顔したら怒るよな、そりゃ」

「仕方ない。シャーレーンは俺がどんな存在か、知らなかったのだから」


 ふと。

 神様がまた妙に切ないまなざしであたしを見る。懐かしむような眼差しだった。

 時々切ない顔をするのが、妙に気になる。


「……俺はシャーレーンを愛しているから、シャーレーンはゆっくり俺を愛してくれれば嬉しい」

「あ……猶予ありがと……(ありがとう、なのか?)」


 とにかく出なければ朝は始まらない。あたしと神様はホテルをでた。

 金とかチェックアウトとかどうするんだ、と思っていたら、神様が従業員を見つめるだけで、従業員は当たり前のように従った。背中から嫌な汗が吹き出す。


「お、お世話になりました〜〜」


 笑顔で子供らしい愛想を振り撒きながら足早にホテルを出たところで、あたしは物陰に神様を引っ張り込んで詰め寄った。


「シャーレーン、大胆……」

「うっとりした顔すんじゃねえガキ相手にッ! って、そういうことじゃなくて金、大丈夫なのか、犯罪だろ」

「問題ない」

「……もしかして、危ない術でも使ってんのか?」

「違う。この国に生きる俺の信者は、皆、おれが求めれば喜んで貢ぐ。そういう風にできている」

「とんでもない能力だな」

「俺への信仰が及ばない範囲には効果はない、今は大した力ではない」


 あまりにも都合が良い力に、あたしは訝しむ。

 神様は嘘はつかないようだけれど、説明が足りているタイプかと言われればそうでもない。

 念の為、尋ねる。


「……副作用、起きないだろうな……?」

「ちょっとある」

「ほらやっぱり。なにが起きるんだよ」

「俺に何かを与えることは、神への貢物と同じだから。……多分……客が増えたり……何か幸運なことが起きる」

「……副作用っつーより、祝福じゃんかそれ」


 ともあれ、着の身、着のままで飛び出した身としてはありがたい。


「どうか、あたしが世話になった分だけの祝福、ホテルに降りてきてくれますよーに……ッ!」


 ホテルに向かって祈りをささげたあたしは、神様と一緒に故郷行きの乗合馬車へ乗った。


◇◇◇


 乗合馬車の中は窮屈で、少し土っぽい。

 攫われて聖女になってからは無菌室のような世界に生きていたから、なんだか急に自由になったんだ、と実感した。

 座席はすでに埋まっていて、神様とあたしは後ろの隅っこに座ることにした。


「シャーレーン、ここに座って」

「……ありがと」


 神様は膝を立てて座ると、あたしを膝の間にすっぽり包み込んだ。

 神様が微かに、微笑んでる気配がする。あたしは気恥ずかしくて俯く。中身は18歳の女だ。


「あら、そんなところで大丈夫かい」


 あたしたちを見て、中年の女性が顔を綻ばせる。


「ずいぶん別嬪なお嬢さんだこと、あんたら、兄妹かい?」

「妻だ」


 即答する神様にあたしはむせる。

 冗談に聞こえたのか、おばさんはけらけらと笑った。


「あらまあ、かわいらしい夫婦じゃないか」

「も、もう……」


 こちらは8歳まで若返っているというのに、神様は平然とそんなことを言う。幼女趣味(ロリコン)だと思われんのが怖くないのか。怖くないのか、神様だからそんなもんか。


「可愛らしいお嫁さんを連れてどこにいくんだい? この馬車は田舎の方にしか行かないよ」

「義父上に会いにいく」

「あらま〜〜!!」

「………………………………」


 どんな風に見られているのか、考えるだけでいたたまれない。

 恥ずかしいから俯いていると、わざわざおばさんは二人で座りやすい席を譲ってくれた。


「ほら、お嫁さんは大事にしてやんなさい。こっち座りな、そっちに座ってると尻が取れるよ」

「取れる?」

「痺れるって意味さ! ほらほら、お嫁さんも立ちな」

「あ、でも」

「いーっていーって! 遠慮しなさんな!」


 おばさんはこちらが躊躇う暇も与えないように、さっさと立ち去ってしまう。

 神様がその背中に向かって呟いた。


「ありがたい。あなたに神の加護があるように」


 何が「神の加護を」だ。神はあんただろ。

 席を譲ってもらって申し訳ないと思いながら、あたしは神様と一緒に座席に座る。

 ふと、おばさんの歩きかたが気になった。


(……おばさん、腰が悪いんだ。だから座って負担がかからない場所を知ってて……)


 普段彼女は腰に負担のかからない席に座っているのに、譲ってくれたのだ。申し訳ない。あたしはそっと、おばさんの背中に祈りを捧げる。筆頭聖女なので、名も知らぬ相手にこの距離でも十分治癒異能は発動できる。


(『神よ、善き信仰者に治癒の祝福を』)


「呼んだか?」


 隣の神様があたしの顔を見る。あたしは顔をしかめた。


「……心の中で呟いても聞こえてるのか?」

「そういう仕組みだ」

「ならわかるだろ、頼むよ」

「承知した」


 神様が頷いた瞬間。

 ぴりぴりと、聖女異能を発動したとき独特の反応があたしの体を走る。


「ぅ……」


 甘く痺れるような感覚に、唇を少し噛む。

 するとおばさんの背中から、ふわっと力が抜けるのが見えた。首をかしげて、何度も腰をさすっている。成功した。


「よかった」


 小さく呟くあたしの肩を抱き寄せ、神様は囁いた。


「まだ蘇りたてで、体に負担がかかっている。しばらく俺にもたれて寝たほうがいい」

「……じゃあ、お言葉に甘えようかな」


 あたしはぎこちなく神様の胸板に頭を寄せる。神様の長い腕が、あたしを包み込んだ。人の視線が気になって周囲を見れば、微笑ましい、といった目で見られている。仲睦まじい夫婦に見えているのだろう。


『ねえ、神様』


 あたしは神様に、心の中で話しかける。神様がこちらを見た。


『聖女異能は、神様の力なんだろ?』


「ああ、そうだ」

『そっか……ずっと、あんたの力を借りてたんだよな、あたしは』


 だんだん、肉体の微睡に意識が引きずられていく。舌足らずになりながら、あたしは神様の服をキュッと掴み、最後にこう伝えた。


『いつも……力を貸してくれてありがとう、神様』


 神様は薄く微笑んで、あたしの髪を撫でてくれた。

 揺れと体温が心地よくて、うとうとと意識が眠りへと移行する。


(……父さん、元気にしてるかな。もう別の土地に引っ越したかもしれないけれど、その時はその時だ)


 あたしは馬車に揺られながら、呑気にそんなことを思いながら微睡んでいた。

 これからどんな思いをするのか、思い悩むこともせずに。

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