第7話 糸の切れた凧の自由
筆頭聖女解任に、婚約破棄に、暗殺に、神様兼夫の登場。
「あんまいっぺんになんでもかんでも来ても、あたしには考えきれねえっつーの……」
朝を迎えたあたしは、宿泊している宿の部屋で優雅に朝食を口にしていた。
王都の城下町にある超高級有名一流ホテルの一室で。
「夢じゃないんだよな? これ」
硬めに焼いたバゲットも、用意された蜂蜜とバターも、サラダも、オムレツもハーブティも、どれもシンプルながら最高級の朝食だ。
高級ホテルじゃなけりゃ、朝からこんな整った生野菜に半生で食べられる卵なんて出ない。
「……美味しい」
美味いので、どうやら夢じゃないらしい。
向かい側に座る神様がこちらを見ている。
「よかった。シャーレーンとこうして食事をするのは好きだ」
「食べてないだろ、神様」
「俺は神だ。食べ物は必要ない。……でも、夫婦なら同じものを口にするべきだろうか。ならば内臓も人間らしく作り替えよう」
「あー……うん……そこまでしなくていいよ」
目の前で片肘をついて座る神様は、実にご機嫌そうだ。
朝日に照らされた姿を見ても、相変わらずとんでもない美形だ。朝が似合わない据わった目をしているけれど。しっとりとした黒髪はいつも濡れ羽色に輝いていて、泣きぼくろさえ色気がある。1秒たりとも目を離すまいと、瞬きすらしない勢いであたしを見ている。
「今までなんで姿を見せなかったんだよ。霊泉での沐浴はいつもやってたのに」
「……」
あたしの問いかけに、神様は一瞬だけ言い淀んだそぶりを見せた。
けれどすぐに返事を返してくれた。
「聖堂に祀られたまま、人間の形にはなれなかったから。シャーレーンと同じ姿にならずとも一緒にいられるだけでよかったし」
「そ、そう……」
「なによりシャーレーンは、これまで一度も俺に助けを請わなかった」
神様はあたしを見透かすように、黒々とした瞳でこちらを見ていた。
「独力で苦難を乗り越えようとするあなたに余計な手出しをするのは、無粋だと思っていたから。……俺が神であり続けられたのは、シャーレーンが高潔だったからだ」
「そっか……ずっと見守ってくれてたんだな、神様」
今までの生き方を認めてもらえたような気がして、胸の奥があたたかくなる。
嬉しくなったあたしとは対称的に、神様は顔を曇らせる。
「……でも人の姿を取らなかったせいで、いざという時守れなかった。……すまない、俺が遅れて痛い思いをさせて」
「だからいいって。むしろ感謝してるよ。神様がいなかったらあそこで死んでたんだ。……そんなことよりさ」
あたしはまだネグリジェを着たままの体を見る。
「神様が傷を治したら体が縮むんだな、知らなかったよ」
下着まですっかり世話されてた事実は忘れ去るとして(頼む今は忘れさせてくれ流石のあたしもまだ動揺してんだ、なんだこのネグリジェはあんたの趣味か?いや備え付けのやつや用意されたやつそのまま着せてくれたんだろそういうことであって欲しい、なあそうだろ神様よ、あ、いや今答えなくていいですお願い何もその件に関して今は触れないで)18歳だったあたしは神様に治癒されて幼く若返っていた。
8歳くらいだろうか。
手足はネグリジェに埋もれているし、もともと女にしては背が高い方だったけれど、8歳になってしまうと流石に色々と寸足らずだ。椅子に座った状態でも足はぶらぶらするし、テーブルも少し高い。マグカップを両手で抱えてミルクを飲むと、神様が微笑ましそうに見つめてくる。
無理にストレートにしていた髪はふわふわのくるくるに戻っていて、長さは変わっていない。
「かわいい」
「中身、18の女だぞ」
「俺にとっては容姿も年齢も些事だ。シャーレーンは可愛い」
「……ほんっと、神様に愛されてんだなあたしは」
神様の話によると、死にかけた人間を癒すには体の時間を巻き戻すのが一番らしい。この姿なら誰にもあたしがシャーレーンだとバレないだろうし、ラッキーだ。
「しっかしよ、神様」
「ん?」
「こんな小さいガキ連れて二人っきりで着の身着のままホテルにしけ込んで、あんた疑われなかったのか? お金は? 身分証は? なんもねえだろ」
「問題ない」
「……甘えていいのか? 本当に?」
「ああ。安心して、たくさん食べてほしい」
そう言いながら神様は、デザートのパンケーキに添えられたいちごをフォークで掬い、たっぷり蜂蜜を絡ませて差し出してくる。
「ん。シャーレーン」
望まれるままに、あたしも口を開けていちごを受け入れる。
「……まあ、それなら信じて甘えるけど」
「夫は嘘をつかない。信じて欲しい」
腹が減っては頭も働かない。まずは食べるしかない。
そんなこんなでお腹を満たしたところで、神様はあたしに問うた。
「これからどうしたい? シャーレーン。俺はあなたについていく」
「ん。そうだな……」
あたしは窓の外へ目を向ける。そこには海と港が広がっている。
思えばあたしは、こんなに自由になったことはない。
(あたしの、やりたいこと……)
「……そういやあたし、自分のやりたいことって……考えたことなかったな」
ハリボテを剥がしても中身は空っぽで、あたしは思わず苦笑いが漏れる。
攫われてからは聖女として生きることに必死で、自分らしさなんて考えたことはなかった。
本当の出自を忘れてしまうのが怖くて、沐浴の時だけ素の言葉遣いを使ったりはしていたけれど。
攫われる前も幼すぎて、ただ父のそばに居て一緒に生きることしか考えていなかった。
いきなり自由になっても、まるで糸の切れた凧のようだーー
その時、ノックの音が響いた。
「失礼致します」
部屋に食事を下げに
顔を見られるのが怖くて、つい神様の後ろに隠れる。
あたしが人見知りの子供に見えたのだろう、
「お召し物をご用意しております。既製品ではございますが隣の部屋に揃えました」
「お……お召しもの……?」
「寝る時の服のままでは障りがあるだろう。準備してもらった。俺ではわからないから、頼んだ」
「高級ホテルのサービスって、至れり尽くせりだな」
着替えの部屋についてこようとする神を、慌てて押し戻す。
「待て。着替えは付いてくんなよ」
「夫なのに?」
「なのに、って、ま……っ!」
あたしは慌てたが躾の行き届いた
あたしは背伸びして(すると神様も当然のように屈んでくれた。助かる)神様に耳打ちする。
「夫だろうがなんだろうが、女の着替えには来るな、な?」
「わかった。シャーレーンの気持ちを尊重する」
「ありがとな」
「でも万が一の危険もあるから、ドアの横に座っている。……そうだ、蛇だけでも」
しゅる、と神様が袖から蛇を出そうとするもんだから、慌てて袖口をきゅっと絞る。
「やめろやめろ、蛇がいきなり出てきたら
押し問答の末、あたしはなんとか一人で着替えに別室に向かうことができた。
「愛されていらっしゃるのですね」
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