第6話 その頃王都では②

 大神官マウリシオはシャーレーンの出自を知る現在数少ない関係者の一人だ。

 貴族にも平民にも王族にもどこにも属さない『異世界から訪れた幼い聖女』を祀りあげることで、教会の権力を強固なものにしようとしていた。


 強力な聖女異能を持つ歓楽街育ちのシャーレーンは適任の娘だった。

 幼いながら飲み込みの良い立ち回りの上手さと賢さ、見るものを惹きつける妙な色気を持つ美貌はまさに、娼婦と薬師から生まれた娘の長所をよく受け継いでいた。


 彼女の正体についてホースウッド公爵家が掴んできたのは一ヶ月前。

 ルルミヤ・ホースウッド次席聖女にとってはシャーレーンを追放するうってつけの情報だった。


 シャーレーン・ヒラエスの正体は最低限にしか広まっていない。

 筆頭聖女解任後、緘口令を敷いて対応をして、なんとかシャーレーンについては『役目を果たして異世界に帰還した』と公式に示すことに成功した。シャーレーンの死はその直後だった。


 しかし、大神官マウリシオは、シャーレーンを殺すつもりはなかった。

 誰が、シャーレーンを襲撃した?


◇◇◇


 シャーレーン襲撃から一夜明け、教会内の極秘会議室には王国最大権力の三派が出揃っていた。

 ルルミヤと同じミルクティ色の髪をした、宰相・ホースウッド公爵が訴える。


「我々はシャーレーン・ヒラエス殺害に関与しておらぬ。そちらの不都合をこちらに押し付けないでいただきたい、大神官」

「こちらこそシャーレーン・ヒラエスの死に驚いております。解任後の彼女を収容する修道院の準備までしていたこちらが、最も疑われる教会内部で殺すわけがないでしょう。それにこちらは、聖女護衛騎士団メイデンオーダーを四名失っているのです。身内と引き換えに殺す価値などあの娘にはない」

「はッ。口封じしなければならないことをシャーレーンにさせていたのではないか? それこそ、噂通りの淫交を……娼婦の娘相手だからと、をした聖女護衛騎士団メイデンオーダーを処分したのだとすればわかりやすい話ではないか?」

「教会を愚弄するか、ホースウッド卿……!」


 立ち上がる大神官だったが、胸を押さえて座る。

 息を整える大神官に、補佐が水を飲ませ背を撫でる。

 憎しげに睨みつける大神官を見下ろして、ホースウッド公爵は立ち上がった。


「シャーレーン殺しはこちらも調査させていただく。おたくにとって都合の悪い事実が、露見しないといいな? ……では、ごきげんよう」


 悠々と立ち去っていくホースウッド公爵と、その後ろを見送りに立つ次席聖女ルルミヤ。

 部屋に在籍した神官のごっそり半分が立ち上がり、父娘の後ろに従っていく。


「……教会内部を、大神官派とルルミヤ派に二分させるか、宰相め……!」


 がらんとした会議室で、大神官は音を立てて机を叩く。

 重たい沈黙が、残された神官たちの間に広がっていた。


「どれもこれも……あのシャーレーンが撒いた種だ。あのハリボテ聖女が……!」


 幼い平民の娘にハリボテを着せた責任を棚に上げ、大神官は呻いた。


◇◇◇


「よくやったな、ルルミヤ」

「ふふ。簡単でしたわお父様」


 ぞろぞろとルルミヤ派の神官を引き連れ廊下を歩くホースウッド父娘は笑う。


「これで教会の半分はわしの手駒となる。この調子でルルミヤが王太子をたらし込めば、武力拡充の稟議がスムーズに通るだろう。……はは、無能な王家と教会は保守的でいかん。隣国が軍事に力を入れてきている時に、我が国がうかうかとしていてはいかんのだ」

「おっしゃる通りです、お父様」


 ルルミヤは頭を下げる。

 ホースウッド卿は組織に極右勢力を有し、積極的に王国を軍事的に強くしようとしていた。貴族議会は賛成派を抑えたが、問題は王家と教会の支持だった。

 教会が承認しなければ軍事拡充は不可能。

 王家が支持を公式に表明しなければ、国民の支持は得られない。

 そのために送り込まれたのが、妾腹のルルミヤだった。


 ルルミヤは頭を下げながら、ニヤリと笑う。

 柔らかで愛らしい容姿をしながら、ルルミヤは野心なら誰よりも強かった。


(わたくしは負けないわ。腹違いの兄様や姉様より成り上がってやるの。そのためならなんだって厭わない……教会の連中と寝ることだって、騎士団員を手駒にすることだって簡単よ)


 教会病、と言う言葉がある。騎士団員や神官は女に対する免疫が弱く、すぐに聖女にうつつを抜かしやすいから気をつけろーーという、戒めの一つだ。

 美貌のルルミヤは幼い頃から父の社交に連れ回され、年上の男をたらし込む才を磨き続けていた。ルルミヤにとって教会病の男たちの籠絡など児戯だった。

 ルルミヤは彼らの心を掴み、籠絡し、見事に次席聖女まで上り詰めた。

 そして聖女仲間の頂点に立ち、ヒエラルキーの上から己の手駒として扱った。男を翻弄するのが得意なルルミヤは同時に、女社会を牛耳る手腕も持っていた。


 ルルミヤが最後まで籠絡できなかったのは、シャーレーン・ヒラエスただ一人だった。


(わたくしの手駒になってくれていたら、死ななくて済んだのに。あの身を弁えないアバズレのハリボテ聖女)


 ルルミヤは最初から、筆頭聖女シャーレーンを追放するつもりはなかった。

 秘密を掴んだ後、最初は交渉をしたのだ。秘密を明かさないでやるから、自分に従えと。


 だが、シャーレーンは首を縦に振らなかった。それどころか、廊下に立ち塞がるルルミヤを無視して立ち去った。


(……許せない。わたくしを、野良猫如きが無視するなど)


 過去を暴露され追放されてもなお、彼女は堂々と、あのオレンジの瞳にルルミヤを映すことはなかった。


(……わたくしを前にして、無視し続けた女は初めてよ、シャーレーン)


 髪をかきあげ、目をすがめて笑ったあの微笑みが忘れられない。

 憎らしい。全部を私の魅力でねじ伏せてきたのにーーあの女だけは、勝ち逃げして死んでいった。


「いいわ。あの野良猫が築いてきた筆頭聖女の功績ごとき、わたくしが塗り替えてやる。あの女がいたことなんて、さっさと忘れさせてあげるのが……筆頭聖女としての務めよ」


◇◇◇


 会議の後、王太子ルイスは国王に呼び出されていた。

 傅いたルイスの遥か頭上の玉座から、国王は嗄れた声で言う。


「予定通り、次期筆頭聖女ルルミヤと婚約を命じる。宰相の権力に繋がり、あの女狐から情報を聞き出すのだ」

「承知いたしました、陛下」

「彼奴の戦争屋根性はいずれ王家に牙を向く。今は対隣国防衛とばかり言っておるが、陰で王家筋の辺境伯とも繋がっておるからな……」


 髭を伸ばしながら、忌々しげに語る国王。

 ホースウッド公爵が宰相になってからというもの、世論を掴まれ次々と王権を削り取られてきた国王にとって、息子ルイスの婚姻は間諜を送り込むためのものだった。


「ルルミヤは前筆頭聖女シャーレーンとは違い、ほいほいと聖女寮を出ては好きに動いているらしい。前筆頭聖女シャーレーンは籠絡し難かったろうが、あの小娘なら婚前交渉でもなんでも籠絡の手立てはある」

「……」

「母親譲りのその顔を活かして、何がなんでもルルミヤを引き込め」

「承知いたしました」


 謁見の間を出たルイスの心は重い。

 人払いして一人で廊下を進み、長い距離を歩いてようやく自室に逃げ込んだあと、ルイスはベッドに体を投げ出し苦悩した。


「……シャーレーンを淫乱扱いした僕が……体を使えと言われるなんて……」


 見下した自分の浅ましさに反吐が出そうだ。

 シャーレーンが無実だったのならば、尚更。

 人形のように父に命じられるまま生きている自分が嫌でありながら、与えられる情報を何も取捨選択せず、ただ鵜呑みにして彼女を汚い、と思ってしまった。


 彼女は確かに下賤の娘だった。

 けれどなぜかそれを明かした瞬間ーー彼女は目を輝かせ、誇らしく胸を張っていた。


「……シャーレーン……」


 ルイスは髪をかきむしった。

 君は一体、どんな人だったんだ。

 とんでもない失敗を犯したような気がしても、覆水は盆に還らない。


◇◇◇


シャーレーンの死を前に、三大勢力は三様の動きをしている。

しかし誰も気づいていない。


本当に、シャーレーンを殺した勢力に。

本当は、シャーレーンは殺されていないことに。

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