第5話 その頃王都では①

 シャーレーンが死んだとの一報が、王宮にいた王太子とルルミヤの元に届いた。

 聖女護衛騎士団長と以下四名が、朝食を終え二人で過ごす東屋にやってきた。


「部屋は血まみれになり、臓腑の匂いで凄惨な状況です」


 そう言いながら騎士が袋から取り出したのは、血塗れになった聖女装束。

 王太子とルルミヤの前に、最後に現れたシャーレーンが纏っていた装束だ。


 絶句する王太子の隣で、臭いに顔を顰めるルルミヤ。

 機械的に、騎士団長は報告を続ける。


「洗浄と浄化が済むまで聖女寮は一旦閉鎖。全聖女は教会内の修練場に居を移すことになります」


 その言葉に、ルルミヤが愛らしい目元を険しくする。


「わたくしは魔道具も整わない寒い修練場なんて嫌よ、野良猫じゃないんだから。筆頭聖女としてのお勤めもまだ慣れていないのだから、別の部屋を要求するわ」

「当然ルルミヤ様には他の部屋をご用意しております。王族用の宿泊施設の別邸にお住まいください」


 彼らが立ち去ったのち、メイドたちが血肉の残り香を消し去るように、大慌てで換気を始めた。


「朝から嫌なものを見ましたわね」


 肩をすくめるルルミヤの隣で、王太子は血の気が引いた顔をしていた。


「王太子殿下?」

「……シャーレーンは……死んでしまったのだな」

「ええ。けれどある意味、彼女にとっては幸福だったのかもしれません。……聖女として贅沢な暮らしに慣れた後に、元の最下層の娼婦に戻るのは酷だったでしょうから」

「……」


 王太子はしばらく、騎士たちの消えた方向をじっとみつめていた。

 その横顔を、仮面のように冷めた顔で見つめるルルミヤ。


「殿下。もしかして罪悪感を覚えていらっしゃるのですか?」


 するりと、王太子の手にルルミヤの手が重なる。

 女性との接触に慣れない王太子はそれだけで、はっと目を見開く。

 桃色の目を合わせ、さも同情するかのように微笑みながら、ルルミヤは王太子の白い手に手を絡めた。


「殿下は罪悪感をおぼえていらっしゃるのではありませんか。おやさしいですね」

「僕は……」

「婚約解消をなさったから、シャーレーンが死んだのではありません。シャーレーンの死と、あなたの行動は全く結びついておりませんわ」

「……」

「筆頭聖女ルルミヤ・ホースウッドとして癒やさせてくださいませ、殿下の御心を……」



ーー聖女護衛騎士団は、王族である王太子と、宰相の娘ルルミヤに全てを知らせなかった。


 シャーレーンは殺されたのではない。

 衣服と血糊だけを残して、綺麗さっぱり消えたのだ。

 そして彼女の部屋には、複数人の騎士の衣服と甲冑も残されていた。

 それらは何らかの大きなものに締め上げられ、鎧ごと体を砕かれていた跡があった。

 聖女護衛騎士団は無論、教会所属。

 教会は、シャーレーンと騎士団員の死に近い失踪を秘匿している。


◇◇◇


 ルルミヤと別れたのち。

 王太子ーールイスは護衛に断りを入れ、ひとり王太子専用の庭を歩いていた。

 魔術で作られたガラス張りの温室はいつもむっとした湿度と花の香りが満ちている。シャーレーンとは何度か、この庭を回った覚えがある。

 長い金髪とほっそりとした美しい手、華奢な体を包み込む白絹の輝きが、今もまだ目に浮かぶようだ。


 ーーシャーレーン。

 異世界から召喚された聖女だと紹介されたその時、ルイスはなんてみすぼらしい少女かと絶句した。

 ぼさぼさの金髪に骨の浮いた手足に、ぎょろぎょろとした眼球の大きな目。

 何より、夕日のように強い瞳の色が怖いと思っていた。


「彼女は異世界で虐待を受けていたようです。教育も礼儀作法も足りない娘ですが、仕込みますので何卒ご容赦ください」


 聞いた時ルイスはゾッとした。

 こんな汚い気味の悪い子供が聖女になるのかと。


 しかし彼女は日を追うごとに、みるみる美しい聖女となった。

 礼儀作法も学業もスポンジのように吸い込んで、一年で見違えるほどの姿になった。救貧院や治療院での仕事も、どの聖女より時間をかけて丁寧に取り組んだ。

 彼女を批判していた人々も含め、誰もが理想の聖女だと認めざるを得なかった。


 彼女は美しいと、ルイスは思った。

 それでも、彼女を魅力的だとは思えなかった。


 人々から求められる『筆頭聖女』そのものである姿は、作り物のようで不気味だった。傀儡の王太子でしかない自分と、鏡写しに見えていたからだ。


 だから彼女が婚約者だと決まった時も興醒めした。ああ、僕は一生想定の範囲内政治の人形としてしか生きていけないのかと、虚しくなった。


 ふいに花壇から見つめられている気がして振り返る。

 シャーレーンの瞳と同じ色の橙の花が目に留まる。

 金盞花(カレンデュラ)。

 以前、彼女が珍しく足を止めて見つめていた花だ。

 ルイスは数少ない、シャーレーンとの会話を思い出す。


『好きなのかい、その花が』

『……ええ。綺麗ですね』

『この庭はいつでも綺麗な花が楽しめる。まるで楽園だ』

『楽園……そうですね。人にとっては、美しい花を愛でられる楽園でしょう』


 この時、シャーレーンは引っかかる反応をした。妙な反応だと思った。


『人にとっては……では誰にとっては、楽園ではないのか?』

『花です。……花が何を考えているのかは、外からははかれないでしょう』

『花にとっても楽園だろう。打ち据える雨の厳しさも、風に散り寒さに枯れる恐怖からも解き放たれる。管理され正しく愛でられ生きるのは、良いことではないか?』

『……さようでございますね。わたくしが間違っておりました』


 シャーレーンは橙の目を細めて微笑んだ。

 あのとき内心、王太子は婚約者に軽く失望していた。


 ーー君だって楽園で綺麗になったじゃないか。

 ーー全てを失えば君だって生きていけないくせに。

 ーー異世界から召喚されたての頃の、みじめなボロボロにまた戻りたいのか? と。


 回想を止め、金盞花(カレンデュラ)を見下ろしながらルイスはつぶやいた。


「金盞花(カレンデュラ)の花言葉は……失望、寂しさ、悲嘆……『別れの悲しみ』」


 シャーレーンはあの時、思いを馳せていたのだ。外の、本当の居場所だった世界に。


 国王が本来の後継者として考えているのは、現在国外留学中の第二王子ケイゼン。

 まだ17歳ながら既に王妃似で気弱なルイスより背が高く、父とよく気が合い溺愛されている次男だった。

 王太子である己はあくまで、ケイゼンが海外との繋がりを持ち実績と経験を得るまでの繋ぎ。


 自分は傀儡だったが、彼女は傀儡じゃなかった。

 婚約破棄の現場にて、彼女は全てを失った時、絶望するでも泣くでもなく、目を眇めて笑った。

 清々しささえ覚えるウインクを残して、僕の目の前から消えた。


『じゃあな、殿下』


 彼女の本当の笑顔と声が、目に焼き付いて離れない。

 永遠に会えないのだと思うと、胸の奥に変なつかえを感じた。


 シャーレーンに聞きたい。金盞花(カレンデュラ)にどんな思いを馳せていたのか。

 聖女として傀儡の笑みを浮かべながら、どんな別れの悲しみを、寂しさを、失望を、胸に抱いていたのか。


 けれど全ては手遅れだ。

 あの強い眼差しの女がこの世にいないなんて、信じられないけれど。


◇◇◇


 そして開かれた国王・宰相・大神官による会議の席にて、シャーレーンの死を皮切りにそれぞれの思惑がぶつかり合った。

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