第4話 神様が呼んだら来るとは思わねえだろ。

◇◇◇


「シャーレーン」


 低い声で名を呼ばれ、あたしはハッと目覚める。

 窓から差し込む月明かりに、あたしに膝枕をした男の姿が映っている。

 清潔なベッドで、あたしは寝かしつけられていた。

 聖女寮ではない、知らない場所だった。


「目が覚めた。よかった。痛くはないか?」


 男は気遣うように黒い瞳を細める。私の頬は、ずっとその大きな手に包まれ撫でられている。

 ここは地獄かはたまた天国かーーそう錯覚するような、整った顔立ちの男だった。切長の眼差しは強く隙がなく、黒衣に身を包んだ体は無駄のない均整のとれたシルエットを描いている。知らない男だ。


「傷は……ない」


 手も足も体もぐちゃぐちゃになっていたはずなのに、ネグリジェを纏った私の体は傷ひとつない。痛む場所もなければ、肌も触り心地が妙にいい。


「ありがとう。あんたが助けてくれたのか?」

「……すまない。この体に戻るのに慣れていなくて、あなたを助けるのに時間がかかった……痛い思いをさせた」

「謝る必要はないだろ? 死んで当然だったのを、ここまで治してくれたのに……これほどの治癒、筆頭聖女のあたしでも難しいよ」

「シャーレーンに傷一つ残したくなかったから、頑張った」


 いつまでも膝枕されているのも収まりが悪いので、あたしは身を起こす。

 真っ白な絹のパジャマを着せられていた。髪もふわふわと元の癖っ毛に戻っている。きっと身を清めてくれたのだろう。


「……ん?」

「どうした?」

「着替えとか……風呂とか……誰が?」

「妻の体を他人に見せるなど、するわけがない」

「ん?」

「治癒も清めるのも、俺がやった。全部」


 癖なのだろうか、唇をぺろりと舐めながら、無表情な男は言う。


「……妻って誰だよ」

「シャーレーン」


 真顔で言われて、あたしは混乱する。

 石鹸の匂いが漂う清潔な体を抱き、状況に頭が爆発しそうになる。


「まて。まてまてまてまてまて。な、なんだ、その妻って、……妻ぁ!?」


 男の眉間に皺が寄る。


「……傷ついた」

「あ、あああ悪い。その、悪い。男の人とあんまり話すことないから、忘れるってことはないと思うんだけど」

「…………」

「ええと、……えっと、どこであった? 治療会? 騎士団訪問? それとも」

「本当に覚えていないのか? あんなに夫婦として、何度も夜を過ごしたのに」

「何度も!?」

「……酷い」


 男はじめっとした、少し恨みがましいような顔でぼやく。

 表情が固いぶん、黒々とした瞳の訴える圧がすごい。


「俺はあなたを妻……だと思っていた。だから呼ばれたから、すぐ来た。けれどあなたは思っていなかった……」

「ま、待って、落ち着けよ」

「あなたは夫以外のオスの前でも、平気で裸になれるのか?」

「な、なれるか! ってか、男の前で脱いだことなんてねえよ!」

「……俺は……?」

「待て、あの、ごめん、ちょっとあたし、理解が追いついていなくて、待って、」


 あたしが裸で、誰かと一緒にいた場所。つがいという言葉選び。

 その答えはーー一つしかない。


「あんたは……もしかして、神、サマ?」


 にっこり。


「思い出したか、シャーレーン」


 愛しそうに熱を帯びたその表情が、全ての答えだった。


 ーー筆頭聖女が祈りを捧げ、毎晩神殿の霊泉で水浴びを共にする『神』。

 カミサマなんて、いないと思っていたのに。見たことだってないのに。


「あなたが教会を離れるのならば、俺もあなたと行く。これからは決して傍から離れない。夫婦とはそういうものだろう?」


 頬を撫でる。彼はそのまま、当然のようにあたしの手の甲に口付けた。

 あたし、土地神に溺愛されし聖女って言われてたな、そういや。


「まさか、呼べば本当に来るなんて思ってなかったよ……」


 そしてこの時、あたしはまだ気づいていなかった。

 自分の体が18歳の肉体から、ちょうど聖女異能に目覚めた年頃、8歳まで若返っていることに。

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