第15話 別視点4 /名ばかり王太子
昼下がり。
ロバートソンの件で不愉快になった気持ちを八つ当たりで鎮めたところで、ルルミヤは王宮の温室に向かう。王太子とのお茶会のためだ。
「王太子殿下、お元気ですか」
「ルルミヤか」
ソファーを置いた個室に近い作りの東屋で、王太子は力無くルルミヤを見た。
その腑抜けた顔に興醒めになりつつ、ルルミヤは隣にしなを作って座る。王太子はまた痩せたように見えた。
美しい銀髪も、こうなっては老人の白髪と変わらない。
「ご昼食、召し上がれなかったと伺っております。小腹に優しいヨーグルトを用意いたしましたので、紅茶と一緒に食べましょう。はちみつもございますわ」
「……ごめん。食欲がなくて。少しだけしか食べられないと思うけれど……」
「ご無理なさらないでくださいまし。殿下のご体調が一番です。聖女異能で食欲不振を治せたらいいのですが、お役に立てなくて不甲斐ないですわ」
言いながら内心鼻白む。
(……これだから、王太子なのに傀儡扱いなのよ。だからこそ利用価値があるのだけれど)
王太子はお茶菓子にも紅茶にも手をつけない。美味しく喉を潤すルルミヤを見ながら王太子が問いかけた。
「君は……筆頭聖女なのに、教会を抜けていいのか?」
「殿下と会うこと以上に大切なことなどございません」
「そうか。……シャーレーンはなかなか会えなかったから」
ルルミヤは一瞬、媚を忘れて真顔になりかける。急いで笑みを作り直した。
「あの嘘つきの女狐のことは忘れてください。私が今の婚約者です」
「……そうだね」
手を握ると強張り、王太子の視線は彷徨う。
シャーレーンの過去を暴露し婚約破棄にもつれ込んだ時が、王太子のルルミヤに対する信頼の頂点だった。ルルミヤを今も信頼はしてくれているのだろうけれど、一緒にいると常に、シャーレーンの死を思い出しては苛まれている様子だった。
(あの女。死んでもなお、わたくしの邪魔をするなんて)
ルルミヤは舌打ちしたくなる気持ちを抑え、労わるように王太子の背中を撫でた。
「……殿下。ルルミヤはあなたの心に寄り添いたいのです」
「僕に寄り添っても意味はない。……君こそ、なぜ僕なんかに? 弟が成長するまでの中継ぎの王太子でしかないのに」
「それは、あなたがルイス殿下だからです。王太子だからではありません」
あなたのことを理解しているーーそんな慈愛を帯びた微笑みに、彼が目を見開くのが見えた。
ようやく、多少の手応えを感じる。
(ようやく見てくれたわね、シャーレーンではなく、わたくしのことを)
「わたくしは殿下を傀儡とは思っておりません。わたくしは貴方様の味方です。だからこそシャーレーンの疑惑も調べ上げ、貴方様にお伝えしたのです。貴方様を傀儡と思っているのならば……国王陛下に真っ先に進言したでしょう」
「ルルミヤ……うん……。君は確かに、僕に最初に打ち明けてくれたね」
「はい。わたくしは殿下というお人柄を、お慕いしております」
ルルミヤは角度を計算して、にこりと控えめに微笑んで見せる。
王太子だから目をつけているのではない、ルイスだから目をつけているというのは真実だ。
王太子という都合のいいポジションに、付け入る隙のある気弱な傀儡が収まっているのだから。
現国王は王太子である20歳のルイスを出来損ないの傀儡とし、現在留学中の15歳の第二王子殿下の台頭までの中継ぎとして扱っている。王妃に似た美貌のルイス王太子とは違って第二王子殿下は国王似で、すでに背も高くがっちりとした体躯に恵まれ、性格も強気で豪胆、貴族内でも評価が高い王子だ。
現国王は王太子に王位を譲ったのち先王制をとって権力を握り続け、第二王子が現国王の右腕として経験と能力を積み重ねた段階で第二王子に後を継がせるつもりだ。第二王子は既に遠方の姫を迎える縁組が決まっている。
ルイス王太子が王太子から国王として在位している間が、いわば宰相と教会が王家と繋がり権力を拡大する最後の機会。だから教会はシャーレーンを送り込んだし、宰相は妾腹の娘ルルミヤを送り込んだ。そして国王もまた、他勢力との関係を調整するためにも、傀儡の王太子と筆頭聖女二人との縁組を進めている。
三つの権力の中間地点に置かれたトロフィー。それが王太子ルイスの立ち位置だった。
ーールイスが王太子として自覚を持ち覚醒する可能性を、誰も期待していない。
幼い頃から国王と、国王に寵愛された弟によって自尊心を挫かれ続けているのだからなおのこと、頼りない王太子としての評価が広まっている。
「殿下。シャーレーンと違って、わたくしは父の縁故もあれば、教会内の協力者もいる。あなたと毎日会って心を慰めることもできます。……どうか、頼ってくださいまし」
「……ありがとう」
ルルミヤは渾身の力で自分を売り込んだつもりだったが、王太子は結局それ以上は心を開くことはなく、力無く頷くばかりでお茶会の時間を終えることになった。
わずかな手応えでもあったのだから良かったと思うしかない。
部屋に戻りヴェールを脱ぎ、ルルミヤは鏡を前に舌打ちした。
「そんなのだから、弟にも父にも侮られるのよ。……むしろ羨ましいわ。それだけ弱気でも、ぬくぬくとトロフィープリンスとして生きていけるのだから」
ルルミヤは鏡を睨む。
生まれ持って恵まれた美貌に豊満な肉体を、日々磨き上げて最高の聖女として整えている。
幼い頃から媚を覚えた。話術を覚えた。人を蹴落とす術も、男のたらし込み方も、女を消す方法も知っている。
全ては生き残るために。
「わたくしは父に功績という名の爪痕を残さなければ、適当なところに嫁がされる手駒となる。わたくしははそんな人生嫌よ……わたくしは兄や姉の養分じゃない。同じホースウッド公爵令嬢よ」
生き残るためなら、頂点で高笑いをするためならなんでもやる。
脱ぎ捨てたヴェールが視界に入る。ふと、同じヴェールをかぶっていた野良猫が頭をよぎった。
「……あの野良猫だって筆頭聖女を掴んだのよ。ホースウッド公爵令嬢のわたくしなら、もっと成り上がれるわ」
シャーレーン・ヒラエスは死んだ。
少なくともルルミヤの得た情報の中では真実だ。
それでもルルミヤの意識には、常にあのオレンジの眼光が焼き付いて離れない。
◇◇◇
ルルミヤやルイス王太子がシャーレーンの残した爪痕に苦しんでいるその頃。
当のシャーレーンは、元気に露店の看板娘として働いていた。
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