第14話 筆頭聖女の後釜 ※微ざまぁ
夜が明けたばかりの早朝。
王都中心部、王宮と並び立つ位置にある教会総本部。
その更に奥、霊泉の湧く聖堂と隣接した筆頭聖女専用の執務室にて、新筆頭聖女ルルミヤ・ホースウッドはフットレストに足を投げ出し、書類をしかめ面で見つめていた。足は神官に揉ませている。
そこに書かれているのはシャーレーンからそのまま引き継いだ懺悔の予約名簿だ。シャーレーンは暇を作っては一日最低一人は懺悔室にて、市井の者たちの声を聞く時間を設けていたらしい。
「人気取りのためによくやったものね」
ルルミヤは頬杖をついてため息をつく。
「それ以外にもあの女、どれだけ働いていたのよ。せっかく筆頭聖女って地位にまで上り詰めておきながら、仕事しかしてなかったなんて」
筆頭聖女は他の聖女とは違い、一日のほとんどを独自のスケジュールで行動している。ルルミヤは聖女職自体に興味がなかったので、ほとんど筆頭聖女の仕事を知らないままに就任した。就任してからこの方、ずっとシャーレーンの激務に呆れ返りっぱなしだった。
夜明け前からの禊に始まり、聖堂から王宮、聖女寮、街の教会や救貧院への外回り、商人らとの食事会ーー夜の沐浴まで、ずっと働き詰めだ。
「まあ、元々底辺暮らしなのだから、あの女は朝から晩まで働くことも慣れているわよね。でもわたくしは貴族令嬢なのだから、ネズミのような扱いは嫌よ」
「心得ております」
ルルミヤの視線に気づいた側仕えの聖女と神官たちが頭を下げる。いい気分になって、ルルミヤは立ち上がった。
不満はあるけれど、筆頭聖女の衣を纏った姿を鏡で見れば高揚する。
ついに頂点に上り詰めたのだ。妾腹の女である、このルルミヤが。
立ち上がったルルミヤは自らの仕事のほぼ全てを側仕えたちに割り振る。
聖女と神官らが立ち去ったところで、鏡を見つめながら唇の端を吊り上げて嗤った。
「シャーレーン、せいぜいあの世で悔しがるといいわ。……わたくしに従っていれば、死ぬこともなかったのに」
実は。
ルルミヤとホースウッド公爵家の力を以てしても、筆頭聖女就任はスムーズに進まなかった。ルルミヤでは聖女異能の力が足りないと訴える神官が多く、またルルミヤに反発する勢力ーー大神官派が、ルルミヤの就任を良しとしなかったのだ。
かといってルルミヤ以外には筆頭聖女候補となれる聖女はいなかった。そもそもルルミヤが教会で権力を握った段階で、
結局シャーレーンが
◇◇◇
朝の禊や祈りを最低限に済ませ、早速ルルミヤはルルミヤ派の神官らと共に教会制度再整備の打ち合わせに向かった。
会議室にはルルミヤ派の神官と、各地の有力者たちが集まっていた。
聖女にまつわる教会活動は、筆頭聖女シャーレーンの時代に大きく改革されていた。ルルミヤ派を支持する者の多くは、シャーレーンの行った改革に不満を抱いていた層だ。教会の既得権益で甘い汁を吸っていたものほど、シャーレーンに不満を抱いていたーーシャーレーンが圧倒的な支持を得ていたからこそ、これまで発言権を失っていたのだ。
円卓で談笑していた彼らはルルミヤを見るなり話を止め、立ち上がり恭しく辞儀をする。
「ルルミヤ様、無料聖女派遣活動の再開の許可ありがとうございます」
「ええ。予定通り今日から全国で再開してください。派遣する聖女はわたくしが決めた通り」
「承知しております」
彼らは満足げな顔で、次々と派遣活動の準備を進めてくれる。
「いやあ、無料聖女派遣活動はまさに教会の皆様の慈善事業の根幹。なぜシャーレーン様はやめていたのか、理解できませんな」
「ええ、本当に」
ルルミヤは微笑む。
市井への無料聖女派遣活動は、シャーレーンが廃止していた活動の一つだ。
タダで貧乏人の治療をしてやるという、人気取りには手っ取り早い上に民衆のためになるような活動を、なぜあのシャーレーンが止めていたのかルルミヤは理解できない。
事実、筆頭聖女就任後ルルミヤが再開すると告知したところ、各地から喜びの声が上がり、各地の有力者たちが場所と人員の提供を申し出た。それどころか献金をしてでも早く自分の街に聖女を派遣してほしいという有力者たちが相次いだ。ルルミヤ派の懐にはあっという間に献金と支持が集まった。
喜ぶ彼らに媚を振り撒きながら、ルルミヤは内心シャーレーンを侮蔑する。
(もともと底辺の野良猫なのだから、タダで元気になれるならそれでいいって思わないのかしら……まあ、あの女の愚策のおかげで、手っ取り早く新筆頭聖女(ルルミヤ)の名を国中に知らしめられるので助かるけれど)
打ち合わせをしながら、ルルミヤは派遣予定の聖女リストを手に取り、上から順に眺める。
全聖女124名を能力と自分への忠誠心、利用価値でランクをつけていた。反抗的な聖女は最下層ランク。今回の派遣活動でも、最も僻地の過酷な場所に送って疲弊させるつもりだ。
また能力の強い聖女は、ホースウッド公爵家の後ろ盾と教会内部の手駒を通じてルルミヤの支配下に置いた。彼女たちに適宜、筆頭聖女職の仕事を割り振り、ルルミヤは自らの空き時間を確保した。
和やかに会議が終了した後、化粧直しとマッサージを受けるルルミヤの元に側仕えがやってくる。
「ルルミヤ様、マケイド市よりロバートソン商会長がお見えになりました」
「あら。応接間に通してちょうだい。人払いもよろしくね」
ルルミヤは笑みを浮かべ、丹念に化粧直しを重ねて応接間へと向かう。
くだらない筆頭聖女活動をしている場合じゃない。
ルルミヤにはやるべきことがある。筆頭聖女の任期はたった十年たらず。今のうちに、父親と自分の持つ地盤をさらに強固にする必要があった。
ルルミヤは歩きながら、ロバートソンの情報を頭の中でさらう。
ロバートソン商会長はまだ三十前後の商会長としては若い美男で、噂によれば遣り手の野心家だ。
シャーレーンが奉仕活動を通じて繋がっていた各地の有力者達を引き継ぐため、ルルミヤは彼ら一人一人と顔合わせを行なっていた。とはいえ、ルルミヤが直接会うのは一部の有力者だけだ。ランクの低い連中は手駒の聖女たちに接待を任せている。いつでも会える筆頭聖女だったシャーレーンとは違う、宰相の令嬢としての希少価値を大事にするためだーーそもそも、老人や中年の
「野心家の男ならば、わたくしが良いわ。宰相の娘と近づけると知れば、きっと喜ぶでしょう」
ルルミヤは足を止め、廊下の鏡に映った自分の姿を見やる。
「ふふ……わたくしの方が、あのシャーレーンより女としても上だわ」
聖女装束を纏ったルルミヤは、甘いミルクティ色のふわふわとした髪にピンクの垂れ目、さらにはさりげなく体の線を強調した筆頭聖女装束で、シャーレーンの何倍も蠱惑的に仕上げていた。
「野良猫にできることは、わたくしにだってできるわ。人の心を籠絡するのは、わたくしも得意なのよ」
颯爽と裾を翻し、応接間へと向かう。
成功すると疑うことないまま。
◇◇◇
一時間後。
応接間にて、ルルミヤは丁重に突き返された書類を前に青ざめていた。
赤銅色の髪を撫で付け、ストライプの瀟洒なスーツを纏ったロバートソン商会長は、柔和な笑顔を 浮かべながら、しかしはっきりとルルミヤへの援助はしないことを告げた。
「なぜですか。シャーレーンとは繋がっていたではありませんか……」
「申し訳ありません、私はシャーレーン様の慈善活動に賛同しておりましたからこそ、ルルミヤ様の活動には援助できかねます」
「そんな……わたくしはあなたに、シャーレーン以上に、ロバートソンさまのご活躍にお力添えできますのに」
ルルミヤは必死で、自らの筆頭聖女としての価値や宰相令嬢としての付加価値を訴える。しかしロバートソン商会長はすげなく首を横に振った。
「利があったとしても、答えは変わりません」
凛々しく整えた眉を下げ、さも申し訳なさそうに男は説明する。
「商人は『信用』です、ルルミヤ様。シャーレーン様とルルミヤ様では、慈善活動の理念が正反対のようにお見受けします。ルルミヤ様に簡単に賛同してしまえば、私を信じてくれている人々を裏切ることになります」
「今の繋がりなんかより、もっと大きなものが手に入るのですよ。それを見逃すのですか」
「……」
ルルミヤの言葉に、ナイフのような冷たい目をするロバートソン。
ゾクリと背筋を震わせ、ルルミヤは身を引いた。ロバートソンはにこりと微笑む。
「申し訳ない。ルルミヤ様のご提案は十分魅力的だ。しかし、しがない商会長の若造にはルルミヤ様のご提示は手に余ります。良きものは何卒、他の方に」
ロバートソンは立ち上がる。帰ろうとする背中に、ルルミヤは言い募った。
「ま、待って。では個人的なお話をしませんこと?」
最終手段と、ルルミヤはロバートソンの腕に腕を絡ませ、ためらいがちに上目遣いで見た。
ルルミヤがこうすることで喜ばぬ男はいなかったーー今までは。
ロバートソンは冷たく、ルルミヤの腕を振り払った。
「失礼。……筆頭聖女の肩書を、安っぽいものにしないでいただきたい」
「そんな!……以前の聖女より、わたくしの方がよほど」
シャーレーンの出自を言おうとして、ルルミヤはすぐに口をつぐむ。
彼女を異世界転移の聖女と祭り上げ、筆頭聖女に仕立て上げていたのは教会だ。ルルミヤの対抗勢力である大神官派の行動とはいえ、外部に漏らすにはあまりに教会全体の権威に障る。
「……では。神のご加護が、筆頭聖女殿にありますように」
バタンと扉の音を立て、ロバートソンは去っていく。
ルルミヤは部屋を振り返る。控えていた側仕えの聖女がびくっと肩を振るわせる。
ルルミヤは苛立ちのまま、彼女にロバートソンが残した冷水を浴びせかけた。
「……次よ。こちらが勢力を伸ばせば、あの男もいずれわたくしに傅くことになるのだわ」
このように。
シャーレーンが想像以上に潔癖かつ真っ当な活動をしていたことの弊害が、ルルミヤに襲いかかっていた。
しかしこれは、まだルルミヤの破滅の序章に過ぎなかった。
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