第12話 雉も鳴かずば
娼館を出たあたしたちは、日中の歓楽街をあちこちと巡った。
流れ者の街は十年も経つと人は随分と入れ替わっている。そして事件が多すぎて、一つ一つのことをろくに覚えちゃいない。父のことを聞いても答えられる人はごく僅かだった。
そして数少ない人々も皆、父は死んだと一様に答え、口々に有る事無い事、噂話をあたしたちに教えてくれた。
ーー娘が貴族に見初められたものだから、父を捨てて家を出たらしい。
ーー娘なんていない。あれは攫ってきた子供で、取り返しに来た親に焼殺されたんじゃなかったか。
ーー流れ者であやしい薬を売っていた。それがお上に見つかって、娘と一緒に殺されたらしい。
噂話のどこにも、あの優しくてぶっきらぼうな父の面影はなかった。
歩いていると、古物屋のショーウィンドウに並べられた鏡と目が合う。そこに映るあたしは幼い頃そのままで。
隣を歩く神様が一瞬父に見えてーー苦しくなって、あたしは駆け足で鏡から離れた。
「……
あたしの手をとり、神様が提案する。
神様と一緒にあたしは馬車の乗り場の近くにある、休憩所に入った。
手狭な空間には下品な言葉と絵が描かれたチラシがあちこちに貼られ、ベンチの下には虫の死骸と煙草の吸い殻が転がっている。
「……膝、借りていいか?」
「ああ」
子供の体で半日歩いて疲れている。ベンチに座った神様の隣に座り、膝を借りて目を閉じる。
神様が頭を撫でてくれる。手のひらが冷たい。まるで体温がないようだ。
どうでもいい話をして、あたしは気持ちを紛らわせたくなった。
「……神様、本来の姿は蛇だっけ」
「ああ」
「だよな……なのにたまにあったかいの、なんで?」
「シャーレーンの体温が移っている。あとは」
「あとは?」
「魔力で。……人は温もりがあった方が、心が安らぐから。シャーレーンに触れる部分だけあたためている」
「そんなことして神様は変温なのに、しんどくないの?」
「別に。……シャーレーンが気持ちよさそうにしてくれると、嬉しい」
「……そか」
神様のぽつぽつとした喋り方と声が、落ち込んだ体にひどく心地よい。
空っぽになった体に染み渡っていくようだ。
「……ねえ、神様」
「ん」
「このまま、聞いて欲しいんだ」
神様が頷いた気配がする。あたしは目を閉じ、心の中にずっとしまっていた後悔を言葉にした。
「あたしの父さん、薬師って言ってただろ? 流れ者だからかこの国には普及していない薬を色々と作れて、本当に腕の良い薬師だったんだ。顔もよくて、ガラも悪かったけど、情に厚くてさ……なんだかんだお人よしで、何かと頼りにされるような、自慢の父さんだった」
父を尊敬していた。だからこそ子供の頃のあたしには解せないことがあった。
「でも父さんは普段、全力では仕事をせずに、いつも半分くらいの薬効の薬を売っていた。あたしはばかだったからさ。本気で作れば、お金持ちになれるじゃん、サボってるのか? ってちょっとだけ不満だった。……でも、父さんはあえて質の低い薬を作っていた。自分のできる範囲で一番効果的に広く人々を助けて、自分の身やあたしを守るために」
「……」
「気づかなかったんだ」
あたしの声は、小さく掠れていた。
聖堂での沐浴でも、一言も打ち明けていなかった話だ。
ーーあまりにも、愚かなことをしてしまったから。
「あたし、余計なことしてたんだ。薬を買いにきた人に、こっそり
みんなが苦痛から楽になって笑顔になるのを見て、勝手に喜んでいた。
父は「こんなに薬効くもんだったか?」と不思議がって、配合を何度も調節していた。
それでも流れ者で、聖女異能の存在を知らない父は、私が聖女異能持ちだと気づかなかった。聖女異能は、土地神カヤの信仰圏にしか生まれないから。
「……そのせいであたしは、教会に捕まった。そして父さんは」
噂話の内容どれにも共通しているのは、ずいぶん昔に焼け死んだということ。時期はちょうど、あたしが教会に連れて行かれた時期と重なる。
「死ななくても、良かったのに」
その続きを言う前に、神様が身をかがめてあたしの額に口付けた。
優しい口付けだった。顔を背けようとするあたしをかるがると抱え、膝に乗せて、きつく抱きしめた。
「俺は神だ。俺が赦す。……幼いシャーレーンは、できることをやっただけだ」
「……神様が赦しても、あたしが自分を許せない。あたしのせいで……」
肩が震える。
神様は優しく抱き寄せたまま、あたしに言う。
「許せないままでもいい……自分で自分を許すのは、難しい。その代わり俺はシャーレーンの後悔に寄り添う。……いつかシャーレーンが罪悪感と折り合いをつけられるまで、ずっと傍にいる」
「折り合いをつけられる日なんて来ねえよ」
「来ないなら、……来なくても、一生傍にいる」
あたしの過ちを糾弾するでも、なかったことにするでもなく、神様はただ、あたしの後悔に寄り添ってくれた。
「……ありがとう、神様」
「もう少し眠るといい。シャーレーンは病み上がりの子供と同じ肉体なのだから。……肉体の疲れは魂を苛む。あなたには休息が必要だ」
「じゃあ……もう少しだけ、ここで眠っていいかな」
「ん」
神様は背中を優しく叩いてくれる。
その手つきが、父さんとよく似ていてーーあたしは肉体の睡眠欲求には抗えず、そのまま眠りに落ちた。
「おやすみ、シャーレーン」
神様の声は、相変わらず心地よかった。
◇◇◇
夢の中で、あたしは両親と一緒に暮らしていた。
父は相変わらず薬を売り、時には生活の改善を指導し、娼婦を働かせすぎるなと娼館の店主とやり合っていた。
母は頑固な父を眺めながら、にこにことあたしの髪をいじっていた。
2人はあたしを見て、撫で、語りかけてきた。
「お前はよく考えて、お前ができる一番いいと思うことを選びなさい」
「シャーレーン。物事は、今目に見えることだけが本当のことじゃないわ。……神様があなたを見守ってくれていたように、教会には死んだと思われている、あなたがまだ生きているように」
「失敗の後悔は次に活かせ。お前はまだ生きている。神様に愛されてんだ、まだ、やり直せる」
「愛しているわ、シャーレーン。……頑張りなさい」
2人は夢の中で、あたしを変わらず愛してくれていた。
目を覚ましても、そのあたたかな気持ちは変わらなかった。
「……シャーレーン」
「ありがとな、眠らせてくれて。……今、どれくらい経った?」
「一時間くらいだ」
「そっか。……なあ神様」
「ん」
「……墓参りがちゃんとしたい。ついてきてくれないか」
◇◇◇
一眠りしたのち、あたしは店を出て墓のある教会へと向かった。
教会の表には騎士が来ていたので、騎士が去ってからそっと裏手から入る。
娼婦や流れ者ばかりの無縁墓地の中では、どれが父の墓なのかわからない。
「あー、やっぱり母さんの墓も退かされてるな。すぐに人が死ぬから、古い墓はどんどん詰められるんだ」
あたしは一通り墓石を確認したのち、黙って見守ってくれている神様を振り返った。もう夕日が傾く時間帯で、墓地はあたしの瞳みたいなオレンジ色に染まっていた。棒立ちの黒衣の神様は、まるで一際大きな墓石の一つみたいだ。
「……ねえ、神様。あんたは人の心を操るのと人を殺すの、それ以外に何ができるの」
「なんでもできる。人が土地の魔力を借りてやることは全部」
「ってことは、聖女異能の癒しも、魔術師の魔術も両方とも? ……すごいじゃん」
「何をしてほしい? 教会ごと破壊してほしいのなら、」
「そんなことしたら、困る人がいるだろ」
あたしは首を横にふり、墓を見た。
「……花を咲かせてやってほしい。父さん、薬師らしく花が好きだったからさ」
「わかった」
神様が手でさっと空間を撫ぜると、橙色の花が風に舞うーー金盞花(カレンデュラ)だ。
あたしは跪く。そして指を組んで目を閉じ、祈った。
(どうか……父さん、ここにいたとしてもいなかったとしても……幸せに)
「ここに眠っているんじゃないのか?」
「祈りの言葉を読むなよ」
「神だから仕方ない」
「……まだ実際に目で見てないから、信じない。父さんがもういないって……信じなくても、いいんじゃないかって思って」
父の死は見ていない。だから信じない自由が、あたしの中だけにはある。
「父さんはどこか遠い土地に旅に出たんだ。……あたしの母さんと、この街で運命的に出会ったように」
そんなもの、自分のための嘘かもしれない。
あたしの中のもう一人のあたしが叫ぶ。『お前が迂闊だったから父は娘を失い、そして殺されたのだ』と。
それでもあたしは自分のために
たっぷり時間を置いて、神様があたしに話しかけた。
「シャーレーン。陽が落ちる。……どこかにまた泊まろう」
「そうだね」
あたしは神様に手を引かれ、二人で歓楽街を出た。
紫色の夜が始まり、街は酒と女の匂いが漂い始めていた。
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