第2話 突然の死

笑うとは思わなかったのだろう、びくりと身をこわばらせるルルミヤ。王太子はますます表情を険しくする。


「何がおかしい」

「失礼いたしました。……殿下はと思いまして」

「なっ……!」

「あたしが夜に髪を濡らして部屋に戻る姿に、をご想像なさったんですか?」


 王太子の頬に朱が散る。ルルミヤが口出しする前に、あたしは話を続ける。


「我が国は土地神カヤの齎す霊泉の恩恵を得る国。筆頭聖女の勤めとして、神殿の最奥、土地神カヤの聖堂の霊泉で沐浴をするのです」


 土地神カヤ。

 王宮の隣に位置する教会総本山、その最奥に守られた聖堂の霊泉にいると言われる神様だ。元は大陸全土の神だったのが初代聖女との契約で、サイティシガ王国を守る鎮国の神となったと言われている。


「筆頭聖女は神の妻でありますので、沐浴はいわば夫婦の時間です」


 あえて艶っぽく言ってやれば、王太子がわかりやすく視線を彷徨わせる。


「聖女寮で男と話してたっつーのも、どこから出た話ですかね? 24時間沐浴の時間以外、自由時間のないあたしが? ……ハッ、部屋に忍び込んできた蛇相手にだべったことはあっても、人間の男と話せるわけがない」

「嘘よ。どこかの男とつるんでいたんでしょう?」

「ハッ。あたしは誓って神の妻(おんな)さ。次席聖女のくせに聖女寮を抜け出して、こそこそ王太子に突撃したとは違ってな? 手引きしたのは誰だろうな?」


 ルルミヤがわかりやすく動揺するのを、王太子はこわばった顔で見る。

 女狐がどっちなのか、今更気づいても遅い。


「殿下。霊泉沐浴は筆頭聖女だけのお勤めなので、次席聖女は知らなくとも当然です。……そもそも深夜に及ぶお勤めなので、ルルミヤ本人が見たんじゃなく、多分取り巻きの誰かに見張らせていたのでしょうが?」

「……そんな……」


 王太子が呆然する前で、ついにあたしは声をあげて笑った。


「まあ、嘘の経歴で殿下を騙していたのは事実です。もちろん、好きで騙していたわけじゃあありません。でも、……そんなもん結果論でしかねえ」

「好きで騙してたわけじゃないって……あなたねえ!?」


 自分の瑕疵を誤魔化すように、ルルミヤは声を張り上げる。


「おやおや? あたしのことをちゃんと調べてたルルミヤちゃんならわかんじゃねえのか?」

「何がよ」

「あたしがどんな経緯で聖女にさせられたのか、さ」


 ほんの一瞬だけ苛立ちを顔に出したルルミヤは、すぐに殿下への媚に切り替える。


「殿下、話を耳に入れてはなりません。こうやって男たちを丸め込んできたんです、この女は」

「はは、あたしが愛してるのは神様だけさ。もちろん、殿下も夫として誠心誠意、愛したいと思っていたが……こうなってしまえば、全ては御破算だな」

「シャーレーン……君は……」

「弁解も釈明もする気はない。ただ、あたしは元婚約者である殿下に、せめて最後に真実を話したかっただけさ」


 あたしは立ち上がり、深く膝を折って辞儀をした。場末の娼婦の娘ではなく、筆頭聖女としての礼だった。


「婚約破棄を賜りうれしゅう存じます。わたくしのような女が、王太子殿下の妃となりますこと、ずっと恐れ多いと存じておりました」

「シャーレーン、」

「あたしにはこんな立場なんて似合わねえのさ。じゃあな、殿下」


 目を眇めて笑って、あたしは護衛に促されて退出する。鏡に映ったあたしの表情からは、すっかり筆頭聖女シャーレーンの面影は消えていた。


 ただの野良猫、シャーレーンに戻った瞬間だった。


◇◇◇


 その後、あたしは聖女寮の部屋に連行されていた。

 娼婦の娘だとわかった瞬間から、騎士や神官たちの態度がガラリと変わる。薄絹をまとった体を舐めるように見られたり、体に触られようとしたり。

 男たちはもうすっかり、あたしを娼婦として値踏みしている態度だった。


 部屋に入りあたしはぐったりした。


「はー…………つっかれた……」


 ため息をつきながら、あたしは無理やりストレートに引き伸ばしていた金髪をかきあげる。本当の髪はぐりぐりのくせっ毛だ。オレンジの瞳と相まって、なんとも派手な外見をしたあたしは当然、聖女なんてガラじゃない。


 あたしが聖女異能に目覚めたのは8歳。

 目覚めてすぐに、めざとく気づいた教会に強引に拉致された。

 異世界転移の聖女なんて、教会上層部があたしを傀儡にするために作った虚像。残してきた父を人質にされればいいなりになるしかなかった。


「……さ、これからいくあてはどうなるかね。修道院か、苦界か。はは」


 大きな姿見に映る姿は、娼婦として若くして死んだ、亡き母にそっくりだった。


「……感傷に浸ってる場合じゃねえな。体は資本だ、今のうちに休めとこう」


 あたしはヴェールを脱ぎ捨て、ぼふっとベッドに身を投げた。

 こんな暮らしももう最後だ。せめて叩き起こされるまで、幸せな惰眠を貪ろうーー


◇◇◇


 しかしあたしの平穏は、予想よりずっと早く終わった。

 寝ているところを突然口を押さえられ、剣でずっぷりと腹を貫かれたからだ。


「〜〜〜ッ!!!!」


 目の前が真っ赤になる壮絶な痛み。反射的に暴れる手足も、冷たい大きな手に押さえつけられて、身動きすら取れない。

 絶叫すら潰されて、あたしは、何度も、何度も剣で貫かれる。

 刺されながら思い出す。通りすがりの騎士に「もったいねえな」と言われていたことを。殺すつもりだったのだ。あの時から。


 悔しくてたまらない。こんなところでこのまま殺されたくない。


(助けて、神様…………)


 あたしは夜毎、霊泉の湧き出る聖堂で、目には見えない神様ーーあたしの夫に話しかけていた。

 本当のあたしを捨てなければならなかった教会で、あたしがあたしでいられたのは神様の前だけだった。

 温かな霊泉に体を沈め、毎晩祈った愛しの神様。


(あたしはあんたの妻なんだろ……? 助けて、死にたく、ない……!)


 その時。

 騎士たちが真っ白な何かに絡め取られるのが見える。


(あれは、蛇……?)


 そこであたしは意識を失い、目の前が真っ暗になる。

 どれくらい時間が経ったのかわからないが、気づけば部屋は静かになっていた。


「すまない」


 そっと、体を抱きしめられる感触。ひやりとした指が頬を撫で、低く柔らかな声が耳に届いた。


「……数百年ぶりに形を成すのに時間がかかった」


 優しい男の声だった。

 目を開くと深夜の暗闇の中、黒髪の男がベッドに横たわったままのあたしを見下ろしていた。


「あんたは……だれ、だ……?」


 あたしの言葉に、彼はなぜか泣きそうな顔をしたーーように見えた。

 彼の口元には血糊がついていた。ぺろりと唇を舐め、彼は真顔であたしに言った。


「あなたは殺させない。……こんな思いはさせない。もう、二度と」


 意識がまた、闇に落ちていく。体が浮く感覚がする。運ばれているのだろうか?


 ーー薄れゆく意識の中で、あたしは懐かしい、歓楽街での暮らしを思い出していた。

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