第10話 神と君のあいだに 後編
キースもその不穏と不吉を感じ取ったようで槍を構え、獲物に飛び掛かる猫のように前傾姿勢を取っていた。
エメリアは、何が起きたのかは感じ取れなかったが、それでも二人の様子を見てとにかく斧をギュッと握りしめていた。
シャルルが必死に辺りを見回すと、3人は二十頭ほどの狼の群れに囲まれていた。
狼たちはみな、一様に牙を剥き、シャルルたちの周りに、綺麗な円を作って取り囲んでいた。
「フェーロス狼か?こいつらはもっと南の国境沿いを縄張りにしてるはずだろ?」
キースが器用に全方位の狼たちを威嚇しながら、つぶやいた。
「なんなんだこいつらは!?」
「グランテールの南の国境沿いを縄張りにしてる連中だよ、普段は狩場から一切出てこない奴らでな、俺も外で見たのは初めてだ」
シャルルとエメリアはこの非常事態に、誰がみてもわかるほど明らかに動揺していたが、キースは焦るシャルルの問いかけにも、行き慣れた喫茶店でコーヒーを注文するように落ち着いて答えた。
なんでそんな奴らがここに、と言いかけてシャルルはそれを取りやめた。
犯人の正体を彼だけは知っていたからだ。
『また、また、またですね』
『いや、これには深い事情があっての…ワシらで協議を重ねたんじゃが、最初の獲物は狼じゃとどうしても譲らんもんがおったんじゃ』
『無論、ワシはドラゴン派じゃから、これはワシのせいではないぞっ!?』
一見気まずそうに答える神だったが、その声色からは反省の音色が聞こえないばかりか、何やら楽し気な音色が混ざっているように聞こえる。
『少し黙っていてください!』
身勝手な言い訳を繰り返す神にシャルルは苛立って言い返した。
言い返してる最中も、いくらでもいる狼を粘性の液体で必死に固めていたので、長々とした神の言い訳を聞いている余裕もなかった。
エメリアも必死に斧を振り回していたが、先ほどの岩の化け物よりも素早い狼たち相手にはすこぶる相性が悪いようで、大きな団扇で辺りにホコリを舞い立てようとしているようにしか見えなかった。
「美しい斧使いだね…。でも…僕は君の、美しい手に痛々しい豆を作るのかと思うと、気が気じゃないよ」
必死に戦うエメリアを気遣ったのか、息が上がり切ったシャルルが、残ったわずかな酸素を使い果たさん勢いで語りかけた。
「ドワーフの斧だぞ!使用者はほとんど重みを感じねぇよ」
エメリアに襲いかかる狼たちを、キースは真っ赤なマントを持った闘牛士のように、器用にいなしてながら答えた。
ここでも彼の言う修行は続いているようで、狼たちを倒してくれる気はなさそうだった。
『惜しいのう、シャルル』
黙ってろと言った矢先から神は語りかけてきたが、忙しいのでシャルルは聞こえないふりをした。
『先程から、キス•オブ•カサノヴァを適当な水やりのように撒き散らすばかりで見ておられんぞ
もう少し、使い方を試行錯誤しようとは思わんのか?』
『あぁっ!また!水やりじゃ!』
『あぁぁ…醜いのぅ…』
『だから少し黙っていてもらえませんか!?
あなたにどう見えてるのか分かりませんが、僕は今ブルーマウンテンを楽しんでるんじゃないんです』
聞こえないフリを続けていたシャルルだったが、あまりにしつこくチャチャを入れてくる神に耐えかねて、返事をしてしまった。
『あまりに、キス•オブ•カサノヴァの使い方が下手なもんじゃから…運命の書の戦士たちはもっと自分で考えておったぞ?』
『少年誌での修行は走り込みと筋トレですからね!』
『そんなことで強くなれるわけないじゃろう…修行とは自分のステータスとスキルを確認してからじゃの…』
神がまた訳のわからない言葉を並べ始めたので無視を決め込むことをシャルルが心に誓おうと思ったそのとき、神もそれを察したのか、小さくため息をついた。
『はぁ…しょうがないのぅ…ヒントじゃ。お主は右手からキス•ド•ウォールを出していると考えておるようじゃが、右手とはどこのことじゃ?指先か?指尖球か?母指球か?それとも手根か?』
『そんなの全部手じゃないんですか?』
諦めたような神のため息混じりのアドバイスに返事をしたが、もう返事は聞こえなかった。
ライトノベル好きの神のことだからこれ以上はシャルルに考えさせたいのだろうと、シャルルは思った。
襲いかかる狼は20頭だと思っていたが、数え間違いだったのかと思うほど、果てしなく感じた。
シャルルの中ではもう12,3頭は固めてやったはずだったのだが、地面に這いつくばっている狼はどんなに贔屓目に見てみても4頭しかいなかった。
シャルルは、果てしない危機の中で、頼りのない自分の手を見つめてみた。
やはり、神の言う指先も手のひらも手首も全部ひっくるめて手ではないのか…?
という感情がシャルルの脳の中を一周したとき、それは180度ひっくり返ってシャルルの脳の駅に到着した。
「そういうことか…!」
そう呟きながらシャルルが右手から射出したキス•ド•ウォールは、いつもの粘着質な液体ではなく、細い糸の形をしていた。
指先から放たれた細い糸は、互いにくっつき合い、離れ合い、マーチングバンドのように理路整然と動きながら、巨大な蜘蛛の巣を形作って狼たちを捕らえてしまった。
狼たちは蜘蛛の巣の中で、恐ろしい唸り声をあげてこちらを睨みつけていたが、糸にしてまとめた分だけ、粘着力も上がっているようで、動くことはできないようだった。
『それじゃ!掌全部から出せるものはその一部からでも出せる!
まさに試行錯誤の結末よのぉ…自分で気づいてくれればもっとよかったんじゃが…』
満足気に不満気に騒ぐ神の声を聞きながらシャルルはフンと鼻で笑った。
「こんなことができたのか…。こいつらの首を獲るか?多くはないけど褒賞が出ると思うぞ。」
キースが軽やかに蜘蛛の巣をよけ、シャルルの横に跳んできた。
エメリアはシャルルの巣に苦戦しているようで、まだこちらに辿り着けないようだった。
「いや、そのままにしておいてやろう。夜になって動けるようになれば、きっと縄張りに帰るだろうから」
「そうか、まぁ持って帰るのも手間だからな。」
シャルルには、この恐ろしい狼たちもエメリアと同様に、シャルルの冒険のために操作されたものだと思うと、申し訳ない気持ちになって、その命を奪う気にはとてもなれなかった。
「シャル君すごい!」
エメリアが蜘蛛の巣との格闘になんとか勝利しシャルルに駆け寄ってきた。
シャルルは、胸の奥がチクリと痛んだのを、少しも表情に出さないようにしながら、エメリアの頭を軽く撫でた。
「言ったろ?君がピンチの時には僕は蜘蛛にだってなってみせるって」
エメリアはそんなシャルルの話を聞いて、太陽に照らされ、額の汗を輝かせながら、太陽よりももっと明るく笑って見せた。
「ふふふ、竜じゃなかった?」
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