第9話 神と君のあいだに 前編

 岩石龍のけたたましい鳴き声と、心臓の爆音と、神の歓声の三重奏を背景音にしながらシャルルの頭は真っ白になっていた。


「シャルル!まずは動きを止めろ!キス•ド•ウォール!」


シャルルの頭の空白を切り裂いてくれたのは、キースの落ち着いた声だった。


「その名前を呼ばないでくれますか!」


神につけられた魔法の名前に不快感を覚えながらシャルルは右手から粘液を噴出したが、岩石龍にあっさりとのろのろと歩きながら避けられてしまった。


「こいつ!意外に早い!?」


「お前が遅すぎるんだ」


そう言いながらキースはシャルルの腰を軽く蹴り上げた。

 

 体格のいいキースの蹴りは、本人にとっては軽いものだったのだろうが、細身のシャルルは簡単にぐらついた。


「何をするんだ!」


「今の蹴りでよろけるってことは身体の芯に力が入ってねぇんだよ。右手を意識しすぎなんだ」


「右手から出るからな!口から出しているように見えたのか!?」


「出てる場所が右手ってだけでその魔法はお前が出してんだよ。腹と腰にもっと意識をおけ」


 シャルルが怒り口調になってキースに反論しても、モンスターが叫んでも、キースは動じることなくつまらない顔を貼り付けていた。

 そのとき、エメリアはどこに隠していたのか、身体に似合わない巨大な斧を振りかぶって岩石龍に切り掛かった。


「やぁっ!」


岩石龍の身体とぶつかったエメリアの斧は、不快な金属音を鳴らしながら弾かれた。


「素晴らしい一撃だったね。どうしてだろう?そんな無骨な斧も、君が持てば天使の羽のように見えるよ」


「お前は自分のことに集中してろ!」


エメリアの一挙手一投足を見逃さず、それを褒め称えるシャルルをキースが怒鳴りつける。


 その間に、エメリアはもう一度斧を振りかぶり、再び斬りかかろうとする。


「エメリア!お前は前に出過ぎだ!死ぬのが前衛の仕事じゃねぇぞ!」


「でも…!」


「エメリア!君の可憐な攻撃は僕に勇気を与えてくれたよ。ドラクロワだって君の美しさは描ききれないさ。だから少しだけ僕に任せてくれないか?」


シャルルとキースは、エメリアの無謀な特攻を、2人がかりで必死に制止した。

 

 ここにきて、2人の意見は一致したかもしれない。


「シャルル、今見て分かったろ。お前がしっかりしねぇとエメリアはこの先簡単に死ぬぞ」


キースが冷たい言葉で、シャルルにだけ聞こえるようにハッキリと語りかけた。

 

 キースの切れ長の黒い目の中に赤が練り込まれていることに、シャルルはこのとき初めて気がついた。


「どうすればいい…?」


「さっきも言ったろ、腰と腹に力を入れろ。お前の右手はただの銃口だ。弾はお前の腹に入ってんだよ」


そう言うと、キースはエメリアの方に風に乗るように軽やかに駆けていった。


「ふふ…銃口に、銃弾か…無骨なだけの男が随分と小洒落た言い回しをするじゃないか」


 シャルルがそう呟きながら、右手をかざすとそこからキス•ド•ウォールは噴出された。

右手を挙げる動作と完璧に連動し、流れるように繰り出されるその様は、川を流れる落ち葉の如く流麗だった。


 ネバネバとした液体をかけられた岩石龍は、酒場の巨漢のように動けなくなる、とまではいかなかったが、それでもかなり動きを制限されたようだった。


 一歩踏み出し、声をあげることもやっとの動作で行わなければならなくなった岩石龍にエメリアは再び切り掛かった。


 やぁと言うエメリアの声と共に岩石龍に叩きつけられたエメリアの斧は、やはり硬い岩との間で不快な金属音を響かせるばかりで、傷をつけることはできなかった。


「落ち着け!エメリア!昨日教えたろ!斧の基本は?」


「…頭の上で、力を込めて…気を溜める」


「そうだ!切り付けるのはその結果だ!一番大事なのはしっかり気を溜めることだ」


キースの言葉に落ち着いた様子のエメリアは、ふーっと息を吹き出した。


 エメリアは自身の身体の半分もあろうかという斧を高々と掲げて目を閉じた。

 不思議と、それがあまりに似合っていてシャルルの目には、晴天の空から舞い降りた天使が光を浴びながら、神へと祈りを捧げているように見えた。


エメリアがそうしていると、うっすらと身体が光っていることにシャルルは気がついた。


「彼女…光ってないか…?」


心配そうに尋ねるシャルルにキースは不思議そうに答えた。


「ん?精霊の祝福を受けたんだろ」


そういうものがあるのか、とシャルルは納得してそこで質問を終えたが、キースは薄らと光るエメリアではなくシャルルの横顔をじっと見つめていた。


 その時エメリアは振りかぶっていた斧を勢いよく岩石龍の頭へとへと叩きつけた。


 動きの鈍くなっていた岩石龍の頭を見事にとらえた斧は、その額を顎まで真っ二つに両断した。


「やりましたっ!」


「よくやったな」


「優美さと屈強さを兼ね備えた最高の一振りだったね。鉄の重さで降りかかる雪の結晶…そんな存在しないものを僕はいま目の当たりにした気分だよ」


「シャル君はよく喋るなぁ」


「お前はいつか舌をかむぞ、少し黙れ」


 興奮のせいなのか、習性のせいなのか、いつもよりシャルルは多く喋っている気がした。

 そんなシャルルをキースは冷たく注意をしたが、シャルルの耳にはエメリアの笑い声しか届いていなかった。


「でも、溜める時間が長すぎますよね…」


「慣れりゃ短くなるさ」


キースとエメリアが師弟のような会話を繰り広げていると、シャルルは視界の端を何かが横切ったのを感じた。


 いつもの前髪…だけではない、他の何か、不穏と不吉を孕んでいる嵐の前の風のように素早いものが。

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