第5話 Primier on my Mind 前編

 シャルルは大量に並んだテーブルのうちの一つを選んで、その椅子のホコリを自分の袖で拭ったあとに、エメリアを座るように促した。

神が持たせてくれた服の中にハンカチが入っていなかったことをシャルルは心底憎らしく思った。


「ようやく落ち着けたね、もう夕方になってしまったけど…」


シャルルは、ギルドの豪勢な建物の西側に位置している窓を眺めながらエメリアに話しかけた。


「なんかすごく大変な1日だったね…!でもシャル君と会えたからかな?ここ最近で1番楽しかったよ!」


 シャルルがあんなに辛い目にあったのに…?と聞こうとしてエメリアの方を向き直すと、夕日が照らし出した彼女の美しい黒髪が、キラキラと夏の夜空に浮かぶ天の川のように輝いて見え、シャルルは言おうとした言葉を飲み込んでしまった。


するとエメリアが、


「今日はこのままここのベットを貸してもらおうと思ってるんだ」


と続けた。


「家には帰らないの?どこまででも送っていくよ?」


エメリアの言葉に不思議そうにシャルルが問いかける。


「…家はあの酒場だったから…戻るのは…」


エメリアが、言いづらそうにそう口にしたときに、シャルルは自分のせいで彼女の家を奪ってしまったことを察して慌てて謝罪をした。


「ごめん…っ…僕のせいで家がなくなってしまったんだね!?…事情を知っていればあんなことは…」


そこまで言いかけてシャルルはまた口篭ってしまった。

事情を知っていても自分はきっと同じことをやっただろうな、と気づいたからだ。


「ううん!気にしないで!シャル君が助けてくれなかったらきっと今頃もっと酷い目にあってたから!」


そう言ったエメリアの顔はいつもと同じように笑っていたが、その黒髪は冬の夜空のように深く暗くシャルルの目には映った、彼はそれが夕日が地面に落ちたせいだと思った。



「それでね!私ギルドでクエストを受けようと思うの!」


パンッと手を叩いてエメリアが切り出した。


「クエストを…?危険だよ!君の家なら僕が何をしても手に入れるから心配しなくていい!」


 突然の提案に驚きを隠せないままシャルルはエメリアの手を握って、必死に説得しようとしていた。

 いつもの彼の口のうまさは、身体のどこか口から遠いところに隠れてしまったようだった。


「ううん、家のことだけじゃないの…お仕事もどこか街の外でやってみたかったし!それに危険な仕事ばかりじゃないんだよ、採集の依頼とかもあるんだよ!」


 今のエメリアが何かを隠そうとしていることはシャルルにも気づくことはできた。

 だが気丈に振る舞っている彼女の心の蓋を無理矢理こじ開けるような術をシャルルは持っていなかったし、どうすればいいのか分からなくなってしまった。

シャルルには、エメリアの手に重ねた自身の手が、無力さから震えようとするのを抑えることしかできなかった。



「…なぁ、あんた…別に女が戦士をやったって構わないだろ」


聞き覚えのない低い声にシャルルが顔をあげた。

 そこには黒髪、短髪で、切れ長の目をした、シャルルより頭一つ大きな男が、つまらなそうな顔をして立っていた。

 その男は大きな身長よりもさらに長い槍を背中に抱えて、戦士達よりも薄手の鎧を身に纏っていた、鎧の間から垣間見える彼の腕は、細身ではあるが鋼鉄のワイヤーでギチギチに編み込んだかのように引き締まって、あぁこれが戦士なのかと見る者に即座に理解させるような風貌だった。


シャルルは自分の細い腕が随分頼りなく見えて、袖を下ろした。


「突然なんだい?別に女性が戦士をすることを差別するわけじゃないが、危険だって言ってるんだ」


袖を下ろした後でシャルルは槍男の目を見つめて答えた。


「悪いな、話が聞こえてきたんだ。男だって危険だろ?」


槍男は相変わらずつまらなそうな顔でシャルル達を交互に見たあとに答えた。


「そう言う話をしてるんじゃない!危険で、僕は彼女が大切だから止めてるんだ!」


エメリアは不意にシャルルから告白をされたような気になって、顔を赤くして俯いてしまったが、シャルルは槍男から目が離せず、それに気づけなかった。


「あんた、彼女の旦那かなんかか?」


「違う!」


「ならそんな必死に止めることないだろ?」


「そういう関係でなくとも、変えようのない大切な人はいるだろう!」


 こちらの態度を気にすることなく悠然と柳のように返事をする槍男にシャルルは、苛立ちを感じていたが、エメリアは話の内容よりもシャルルの言葉に赤くなった顔を押さることに努めているようだった。


「そんなに心配なら、あんたがパーティを組んでやればいい、自分も戦場に出るんだな」


槍男がつまらなさそうにそうやって口にしたとき、シャルルはパーティという言葉の意味がわからなかったが、神がすぐに『隊列』と注釈を入れてくれた。


「僕が戦場にでるのは一向に構わないが、エメリアをそんな危険なところに行かせたくないと言ってるんだ!」


論点の合わない槍男に、シャルルはさらに苛立ちを募らせた。


「戦場に出る人間なんてみんなそうさ、出たくて出るやつなんてほとんどいないよ。身の丈に合わない金が必要なやつ、なんだかよくわからない使命を背負わされたやつ、誰も望んでないのに死んだ人間の復讐をしたいやつ、みんな行きたくなくても、何かにせっつかれて戦争やら戦いやらをさせられてるのさ」


槍男が急に真剣な顔で語ってみせたその言葉には、今のシャルルには反論のしようのない雰囲気を感じさせるものだった。


少しの沈黙の後、


「シャル君、私ね、できる限りやってみたいの…!」


エメリアは、赤くなった顔が鎮まるのを待ってから、強くゆっくりと口にした。そんな彼女の眼を見てシャルルは諦めたように優しく微笑んだ。


「僕も一緒にいくよ、それでいい?」


「ええっ!それはダメだよ!迷惑はかけられないよ」


槍男の言葉を途中から聞いていなかったエメリアはシャルルの申し出を強く否定したが、次はシャルルがそれを許さなかった。彼の強い決意にエメリアは申し訳なさそうに、


「ごめんなさい…お願いします…ありがとぅ…」

と答えた。


 そんなやり取りを見ていた槍男は、意外にも親切にクエストの受け方を説明してくれた。

 掲示板から依頼書を取って、サインをして受付に提出すれば受けられること。

 戦士にもランクが存在して自分のランク以上のクエストは受けられないこと。

そしてシャルル達、初心者は銅ランクの戦士となりパーティメンバーが最低でも3人必要ということだった。


「じゃあ、あと1人頑張って探すんだな」


そう言い残すと槍男はまたどこかへ歩いて行ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る