ぐてー抄
宮下愚弟
きらいなものは、
三題噺:『コオロギ』『ボールペン』『竹藪』
だいいち、ぼくはボールペンがきらいなんだ。
透きとおる体はツンと澄ましていて取り付く島もない感じがするし、消しゴムで消せないからノートを取るときにも不便でつかえない。先っぽの鉄みたいなとこが冷たいのもやだし、それにインクってなんかぬらぬら光ってキモい。
だから悪いのはぼくじゃない。
クラスの男子の間ではボールペンは大人っぽさの象徴だった。だって先生がテストにマルとかバツとかつけるときに使うもので、つまりそれは大人ってことらしい。
ちっとも理解できない。
ぼくはボールペンがきらいなんだ。
だから、タケルが親に買ってもらったと見せびらかしてきたボールペンを思わずはたき落としてしまったけれど、悪いのはぼくじゃない。
教室のベランダから裏山の竹藪に落ちたけど、悪いのはぼくじゃない。
「拾ってこいバカ! 死ね!」
タケルはぼくを殴って泣き叫んだ。慌ててとんできた先生に引きはがされたあとも、タケルはわめき散らした。
ぼくはぼくに言い聞かせる。取りに行く必要はないぞ。だって悪いのはぼくじゃないんだから。
放課後、ぼくは裏山にいた。
先生は危ないから行ってはいけないと言っていたけれど、上級生がたまに忍び込んでいるのをぼくは知っている。じゃあ、ぼくだって行ってもいいよな。
別に、タケルに言われたからじゃない。ぼくが偉いからだ。
竹藪へと踏み入っていく。
靴の底で、落ち葉が情けなさそうに潰れる感覚がした。
なんだこれ、おもしろ。
ゆっくり足が沈む。廊下とか道路と違って柔らかい。それがおもしろい。上級生たちが先生に隠れてやってくるのも分かる気がした。
葉っぱのにおい? かなんかがちょっとクサいけど、けっこう楽しい。
竹を掴んで裏山を登っていく。校庭の木と違って表面がすべすべしてるから触っても痛くなかった。
って、いけない。さっさと見つけて帰ろう。遅くなって怒られたくはない。
落ち葉を踏みしめて教室の裏手に辿りつく。
ひやりと嫌な予感が駆け抜ける。これ、見つかるだろうか。あたり一面は土色だし、落ち葉に紛れたりしたら。
ここでタケルのボールペンを見つけるのはなかなかに大変なんじゃなかろうか?
ぼくは不安を吹き飛ばすように呟いて探し始める。
「……たかがボールペンっしょ」
ボールペンをきらいになったのは先月の、夏休みのことだ。
ぼくだって、それまではボールペンのことをカッコいい大人の文房具だと思っていたよ。あの時までは。
飼っていたコオロギが死んだ。小さな体はアルミサッシの溝に挟まっていた。
もとは夏休みの宿題で日記を書くために飼い始めた。エサやりをしているうちにだんだんと可愛く思えてきて、鳴き声なんかもコロコロしてるのが可愛くって、それで。
それなのに、
エサやりをしたあと、虫かごにフタをするのを忘れたのだ。気付いたときにはもうコオロギはいなかった。家じゅうを探し回った。
ようやく和室の窓のサッシで見つけたときには、脚を丸めて動かなくなっていた。
ぼくは声を出して泣いた。
せめて土に埋めてあげたいと思ってコオロギを取り出そうと溝に指を突っ込んだけれど、うまく取れないどころかコオロギの脚が千切れてしまった。細いものでもあればと思い、リビングで見つけたボールペンを使った。
ペン先コオロギの小さな体に、無機質な刃を突き刺しているみたいで胸が痛んだ。
ようやく回収できたコオロギは脚が三本もげていた。頭と体もばらけてしまった。お母さんには気味悪がられたけれど、ぼくはその小さな命を公園に埋めた。
今でもペン先でコオロギをつついた感触が指に残っている。
ぼくは、ボールペンをきらいになった。
「いてっ」
痛みで指先を引っ込める。ささくれだった竹の節でケガをしてしまった。
かがんで地面をまさぐっていると疲れてくるので、竹につかまっていたのが裏目に出た。
立って顔を上げると、あたりは暗くなり始めていた。どうりで見つけづらくなっていると思った。
頭上でカラスが鳴く。ひゅうと風が吹く。
ボールペンは見つかっていない。
もう帰っちゃおうかな。
最初っからボールペンきらいだし。お小遣いを貯めて同じのを買えば、タケルだって気付かないだろ。それに、ほら、先生には立ち入り禁止されてるから怒られちゃうし。
そうだ、そうしよう。帰ろう。貯金箱を開けばそれで解決するし。
ぼくはつま先を家の方へ向けて歩き出そうとした。
コロコロ……と涼やかな音が聞こえた。
ぼくはこの音を知っている。
コオロギだ。
夏まで飼っていた、夏に死なせてしまったコオロギだ。
ぼくの大事な、ぼくだけの。
再び、コロコロと鳴く声がする。
いや、違う。ぼくのではない。ぼくが飼っていたコオロギはもういないんだ。
替えは効かない。例えばいま鳴いているコオロギを捕まえたとして、ぼくが死なせてしまったあの子はかえってこない。
コロコロと、鳴く声がする。
タケルにとってのボールペンも同じだろうか。親に買ってもらったと言っていた。
だとしたら、ぼくは。
家に向けていたつま先を翻す。
ぼくは再び腰を落とした。
夕焼けが竹藪に突き刺さる。影は裏山を這うようにまっすぐ伸びていた。
ぐてー抄 宮下愚弟 @gutei_miyashita
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