第二章・出雲郷凛天


そして、現在。

頬を叩かれた春夏秋冬式織は家から追い出された。


「まあ、当然の判断だな…」


頬を抑えながら春夏秋冬式織は歩き出す。

このまま何処へ向かうのか、途方に暮れている。

一度、アパートに戻るか、と春夏秋冬式織は思った時だった。


「式織様」


声を掛ける女性が居た。

春夏秋冬式織は声のする方に顔を向ける。

暗い夜道、街灯が均等に建てられた道路。

その歩道には、一人、女性が立っている。

姿を確認した所で、春夏秋冬式織は彼女を視認した。


「咲来さん」


春夏秋冬式織の七曜冠印を見定めた女性である。

メイド服を着込んでいる彼女は、歳を重ねた今でも綺麗だった。

齢にして三十代前半だろうか、巫覡かんなぎとして活躍している彼女は若々しく目に写る。


「黒周家から出て来たと言う事は、今日は黒周家にてお泊りでしょうか?」


そう言われたが、春夏秋冬式織は首を左右に振る。


「いいや、違うよ」


先程殴られた頬を見せる。

その殴りの痕から察する咲来は頭を軽く下げた。


「お労しい事をされましたね…」


「別に、当たり前だよ、普通の人なら怒って当然の事だ…いや、それよりも」


春夏秋冬式織の方に顔を向ける。

歩き、咲来の方に近づくと、彼は言う。


「なんで此処に居るって質問、答えてくれるのか?」


その言葉に、咲来は顔を上げて勿論と言った。


「貴方様をお連れする様にと言われましたので…機会を伺っていました、式織さま」


機会を伺っていた。

恐らくは学校が始まる時から、ずっと、後ろを付けていたのだろう。

何となく、予想はしていた事だ。

だから、春夏秋冬式織は大して驚く素振りを見せずに言う。


「俺は、凛天とは喧嘩してるんだけどな…」


頭を掻きながら、春夏秋冬式織は少女の名前を口にした。

その口ぶりに、咲来は心中を察する、と付け加える。


「申し訳ありませんが、今宵は、出雲郷家にてお泊りを…」

ただ、寝泊り


「分かったよ、分かったから…」


春夏秋冬式織は歩き出す。

その足取りは断然重いものだった。

今から会いに行く女と言うものは、春夏秋冬式織にとっては難しい女性だと言う事だ。


出雲郷邸に到着した春夏秋冬式織は上を見上げた。

あの頃とは何も違わない、だが大人になった今でもその屋敷の広大さは、目に余るようなものだった。


「やっぱり、何時来てもこの屋敷は広いな」


春夏秋冬式織は久しぶりに訪れた出雲郷邸屋敷を見ながらそう言った。

高天原市の中で最大級の領土と住宅地を持つ出雲郷邸は、この地の守護神としての側面が垣間見えた。


「…先に、出雲郷八雲岌武千代さんに挨拶でも…」


「その心配は必要ありません」


咲来は春夏秋冬式織の前に立つと、そう言って当主の挨拶は不要と言った。


「既に、ご当主様は貴方の存在を周知しています。それよりも、早く、お嬢様の元へと…」


メイドの咲来が深々と頭を下げて懇願するので、春夏秋冬式織は仕方なく、出雲郷凛天の元へ向かう事にした。

彼女の屋敷は、少し狭い。


出雲郷八雲岌武千代の屋敷と比べれば、確かに小さいものだが、それでも普通の一般人が買う一軒家となんら変わりない広さだった。

部屋の中に入る。

周辺は暗い、元々、光が差し込むのは苦手だから、屋敷の中に明かりは無い。

だから、手探りで歩く事になるが、春夏秋冬式織は神力を操作して視力強化を行う。

そうして歩いていき、春夏秋冬式織は、部屋の前へとたどり着く。


「凛天」


部屋の前から声を掛けると、もぞもぞとした、布が擦れる音と共に、何かが迫って来る。


「どこに、行ってたのですか…こんッ」


咳をしながら、部屋の扉が開かれる。

部屋の中には、白色の髪が地面に垂れる少女の姿。

その体には一切の衣服など身に着けてはいない。

全裸のまま、垂れる髪によってきわどい部分が隠されている。


「あぁ、ちょっとな」


誤魔化す様に言う。

少女が顔を上げる、紫の瞳が春夏秋冬式織を睨んだ。


「憎たらしい…忌々しい…私を置いて他の女の所へ行くなど」


恨み、春夏秋冬式織に首を掴む。

その行動に、春夏秋冬式織は拒む事はしない。


「私は何処にも行けぬのに、苦しい思いをしているのに」


恨み節を聞き、春夏秋冬式織は弁解する事を口にはしない。


「それを知っていながら他の女の元へ向かうなど」


涙をこぼし、苦しみ、咳をする。

呪いに犯された彼女は、今もこうして苦しがっている。

だが、春夏秋冬式織は何も言わない。

その春夏秋冬式織の無行動に、彼女は舌打ちをした。


「私は貴方が嫌い、嫌い、大嫌い」


声を漏らす。

憎悪の乗った声。


「この感情は貴方だけ、貴方しか向けない、貴方だけを嫌悪する」


春夏秋冬式織を殺したい程に、負の感情を向けている。


「疎み、恨み、憎み、蔑む、…だからこそ」


顔が近づく。

首に巻かれた手が、彼の首に絡みつく。

濡れた唇が、春夏秋冬式織の唇を塞いだ。

強烈な、神力の喪失。

力が吸い取られていく、一瞬、足が竦むが、それでも何とか立て直す。


「はっ…この感情は貴方だけにしか向けない」


口が離れ、話を続ける。


「他の人間には、私の綺麗な表面だけしか見せない」


胸に手を添えて話続ける。


「私の本心を、このドス黒い、ドロドロの感情を、貴方にしか見せない」


それは彼女なりの恨み、


「その様に貴方は私を変えた。だからその責任を生涯を賭して背負いなさい」


いや、それは。


「私からは逃れられない」


彼女なりの歪んだ愛だった。


……再度、話は過去へと戻る。

春夏秋冬式織は出雲郷家の元で修業を積む事となった。

彼の父親である春夏秋冬澱織は、何時もの様に『天禍胎』へと戻っていった。


「ふー…」


日課の神力操作を終えた春夏秋冬式織は、額に浮かぶ玉の様な汗を拭うと、彼女の事を思う。


出雲郷凛天。

呪いに犯された少女。

その肉体は神代まで続く蛇の呪いを得ている。

これが只の呪いであれば、まだ解呪は可能だったろう。

だが、川の流れ、濁流の擬態化、その勢いは龍に模された。

それが一つの説として根強いだろう。


八岐大蛇。

出雲国、神世の時代。

根の国、高天原より零落した神格を失いし邪神。

それは、同じく高天原より追放された益荒男によって討伐された。


その際に、邪なる神は恨みを残した。

多大なる恨みの根は、自らを討伐した者の血に根強く絡み付く。

その益荒男はその一件で高天原への入場を許された。

そして、その落胤である子孫に呪いが宿された。

それが出雲郷家、その一族には邪なる神の呪いを受けた子供が生まれ堕ちる。


今回。

現代では、出雲郷凛天が呪いの対象として選ばれた。


呪いの主な症状。

睡眠時、蛇に体の隅々を犯される夢を見る。

一日に数十度、頸部や臓器を締め付ける様な痛みを覚える。

皮膚の劣化、乾燥した肌は蛇の鱗の様な形状に割れる。

その他、諸々。

その中でも尤も人間性を失う呪い。

それが、人肉を食すと言う事である。


「…」


出雲郷凛天は、自らを醜いと思う。

他の人間には持ち合わせない、呪いと言う枷。

それが、彼女とその他との間に亀裂を生んでいた。

訓練を終えた末、春夏秋冬式織は出雲郷凛天の元へ向かう。

出雲郷八雲岌武千代が春夏秋冬式織に与えた条件が出雲郷凛天の友となる事。

その為に、先ずは春夏秋冬式織は彼女に会いに行く。


だが、時期が悪かった。

春夏秋冬式織が出雲郷凛天の元へ向かった時。

女性の悲鳴が聞こえてくる。

家の扉を爆破する様に破壊して、その中から肩を抑える女性が出てくる。


この出雲郷家に仕えるメイドであり、息を荒げながら逃げ惑うメイドは地面に倒れる。

そして、彼女を追うのは、自我を失いつつある、一人の少女だった。


「はぁ…はぁ…はぁ…」


手を赤く染め、口から鉄の匂いを発する、白き少女。呪いの子。

出雲郷凛天は、自らの内部から発生する衝動を抑えきれず、人肉を求めていた。


「なんだ」


春夏秋冬式織は、メイドと、出雲郷凛天を交互に見やる。

その時、出雲郷凛天は、手負いと化したメイドよりも、その場に居た、春夏秋冬式織に目標を定めていた。

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