第二章・初めてのキス

「はあ!?なんでどっか行くんだよ!」


荷物を纏める春夏秋冬式織。

彼の荷物は、全て黒周礼紗の部屋に置かれていた。

与えられたリュックに服や道具を詰め込んでいく春夏秋冬式織の腕を、黒周礼紗は掴んだ。


「オリオリが言うから仕方が無い、それに逢えない距離じゃないって言ってたし」


「なんでだよ、もっと居てくれよ、お前が居ないとさびしいだろ、しきおりぃ!」


涙目になりながら家に居て欲しいと懇願する黒周礼紗。

そんな彼女を悲しい表情で見ながらも、しかし春夏秋冬式織は家を出ていく決意を固める。


「…おれも寂しいけどさ、けど、仕方が無い、俺には夢があるんだ」


「ずびっ…なんだよ、夢って」


寂しくて涙を流し鼻声になる黒周礼紗に、春夏秋冬式織は言う。


「おれは、オリオリみたいになりたい」


「…あんな胡散臭いおっさんみたいになるのか?オレは嫌だぞ、お前があんなのになるのは」


あんなの。

言い方が酷いが、常に酷い目に遭い、酒を飲み愚痴を口にする黒周京極から評判を聞いているがゆえにその様な言葉が出てくるのだろう。


「おれは、オリオリの強さに憧れてる、だから、あんな感じに強くなりたい、その為におれは…」


「…それがお前の夢なのかよ、じゃあ、それでもいい、だけどさ…オレとの約束はどうなるんだ?」


そう聞いて来る黒周礼紗に、春夏秋冬式織は記憶を巡らせる。

風呂場で彼女と約束した事を思い出したらしく、春夏秋冬式織は頷いていった。


「約束は守る、大人になったら、ケッコンだ」


「…約束だからな、式織」


涙を拭いながら、黒周礼紗は、春夏秋冬式織との約束を再確認する。


「ちょっと、こっちこい、式織」


黒周礼紗は涙目の状態で春夏秋冬式織を呼ぶと、彼は彼女の呼びかけに応じて近づく。

黒周礼紗は、春夏秋冬式織の肩を掴み、銀色の髪を耳に掛ける。

近くに見える彼女の蒼色の瞳が、春夏秋冬式織を映し出していた。


「忘れないように、オレを、思い出せるように…」


ゆっくりと口が近づいて来る。

春夏秋冬式織は彼女の行動を黙って見つめる。

そして、彼女の柔らかな唇が、春夏秋冬式織の唇と重なった。

軽く、短く、子供ながらの、大人のキスを見様見真似で試した様なキスだった。


「…約束の証、これで忘れてたら、ぶっ殺すかんな」


男らしい口調でそう言いながら、恥ずかしそうに顔を赤らめる黒周礼紗。

舌先で唇を舐める春夏秋冬式織は、彼女に伺った。


「さっきの、いったいなんの意味があるんだ?」


キスに対する知識が無い春夏秋冬式織。

彼女の一世一代の行動が台無しになったようだ。

彼の問いかけに、黒周礼紗は大声で叫ぶ。


「うるっさい!知るか、このバカ!さっさといっちまえ!!」


急に怒り出す黒周礼紗に、春夏秋冬式織はまったく、意味が分からないと言った様子だった。


黒周家の前に、黒周京極を含める関係者が立っている。

春夏秋冬式織を回収した春夏秋冬澱織は、このまま次の居候先へと向かおうとしていた。

黒周京極は春夏秋冬澱織の手を強く握り締めて、喜々とした表情で残念そうな声をあげていた。


「いやあ!残念ですよ本当に!!でも澱織さんが決めた事でしたら仕方のない事ですねぇ!」


これで、春夏秋冬澱織が来る事は無い。

その事実だけで、黒周京極は安心して床に就けるのだ。

最低限でも、残念そうな表情を浮かべるべきなのだろうが、余程春夏秋冬澱織から離れるのが嬉しいらしい。

何せ、春夏秋冬澱織が現れればプライベートの時間は潰される。

更に、春夏秋冬澱織に掛かる食費が、月だけで十倍にも膨れ上がる。

それなりに稼いでいる黒周京極でも、これは苦言を漏らし苦渋の表情を浮かべる。


だからこそ、春夏秋冬澱織が帰る事、これ以上ない狂喜だろう。

そんな黒周京極の言葉に、春夏秋冬澱織もまた、嬉しそうに笑って言った。


「ガハハ、心配するな、式織を届けたら俺が居候してやるからよ」


あくまでも、春夏秋冬式織を別の居候先へ移動させるだけ。

春夏秋冬澱織がその居候先でくつろぐわけではない。

また戻ると言われて、黒周京極は喉奥から声をあげる。


「あヴぁぁあ!?」


目玉が飛び出そうな程に驚く京極に笑う春夏秋冬澱織。


「冗談だ、さて、そんじゃあ行くぞ、世話になったな京極、元気でやれよ」


春夏秋冬澱織は、黒周京極の肩を強く叩いた。


「じょ、冗談ですか、いやぁ、御冗談を、本当に…」


ほっと胸を撫で下ろす黒周京極。

そして、春夏秋冬澱織の方を見て、少し寂しそうな表情を浮かべた。


「またお会い出来ますよね、澱織さん」


最強の男。

『月窮』の春夏秋冬澱織。

彼の仕事場は、零落した神が集う『天禍胎タカマガツハラ』。

死と隣り合わせの職場だ、また、こうして冗談を言える事は、無いのかも知れない。

これが、今生の別れと言う事もあり得るのだ。

だから、しみじみとしながら、黒周京極は言う。


「当たり前だろうが、この俺を誰だと思ってんだ?最強の澱織さんだぞ?」


胸を張って言う春夏秋冬澱織。

その姿を見て、微かに安堵する黒周京極だ。


「…」


黒周京極と、その妻の後ろに隠れる黒周礼紗。

一応は、見送りに来たらしい。


「じゃあな、礼紗」


春夏秋冬式織は彼女に挨拶をする。


「…うるせー、ばか」


憎まれ口を叩いた後。

春夏秋冬式織の目を見ると、再度黒周礼紗は言う。


「…またな、式織」


手を振って、春夏秋冬式織を送り出す。

それに合わせる様に、春夏秋冬式織も、黒周礼紗に手を振り返すのだった。


走り出す春夏秋冬澱織。

その体を春夏秋冬式織は背後から見ていた。


1年前。

走り出す春夏秋冬澱織の体にしがみついていた春夏秋冬式織。


しかし現在は違う。

今は春夏秋冬澱織の後ろに張り付くように春夏秋冬式織は走っていた。

これも一年間の修行の成果である。


魔力を操作する鍛錬を続けていた春夏秋冬式織は神力操作による身体強化を行い、春夏秋冬澱織の後ろにつきながら走ることができたのだ。

しかしそれはあくまでも春夏秋冬澱織が手加減しているにすぎない。


春夏秋冬澱織も魔力操作を行い肉体を強化して移動している。

前回のように魔力を放出させて超加速をしながら移動するといった芸当はしていなかった。


「(やっぱりすごいな、オリオリは)」


春夏秋冬式織は春夏秋冬澱織の背中を見ながらそう思うのだった。

しばらく走り続けていた。


人の目につかないように建物の上や、屋上を走り民家の屋根に乗っては別の民家の屋根と飛び移る。

そうして走り続けた時。

ようやく目的地へと到着するのだった。


「…はあ、はあッ」


肩で呼吸をする春夏秋冬式織。

そんな春夏秋冬式織の背中に紅葉が出来る程に強く叩く春夏秋冬澱織。


「この程度でバテるんじゃねぇぞ、そんなんじゃ俺見てぇになれねぇからなッ」


そう言われて、自分の実力では、春夏秋冬澱織の足元にも及ばないと、少しだけはぶてる。

そんな春夏秋冬式織の顔を見て、やはり、春夏秋冬澱織は笑いながら今度は頭を撫でた。


「悔しいって気持ちは良い事だ、早く大きくなれよ、俺より強くなって驚かせてくれ」


ガシガシと、毛根が抜け落ちる程に強く頭を撫でられる。

春夏秋冬式織は、そう言われて、心が晴れていくのを感じた。


「さあて、そんじゃあ、頼もうってするかねぇっと」


そう言って、春夏秋冬澱織は屋敷の前に立つ。

先ほどの黒周家とは違い、古い家ではあるがとにかく大きい屋敷だった。

先ほどの家が武家屋敷であるのならばここら一帯は守護大名が住む様な城といった具合だろう。


当然ながら、門の前には門番が立っている。

しかし、前回の黒周家とは違い、春夏秋冬澱織の姿を認識すると、すんなりと門を開いて中に通す。


「前とは違うな」


「当たり前だ、何せ親戚だからな、ちょくちょく顔を出してんだ」


門の先は兎に角広かった。

人が住んでそうな屋敷まで、歩くだけでもかなりの距離がある。

周囲を見回せば、和服を着込んだ人間が大勢いた。

訓練でもしているのか、威勢よく声を荒げて木刀を振り回している。


「こっちだ」


そう言われて、春夏秋冬澱織に連れられる。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る