第一章・乙女心
挨拶をし終わると、春夏秋冬式織は一礼をした。
黒周京極は脂汗を掻きながらも、春夏秋冬式織の退室の際には手を振って応えてくれた。
手で部屋の扉を閉める、そのまま春夏秋冬式織は踵を返して、元来た通路に向けて歩き出した。
今回の挨拶を兼ねた黒周京極との話で数十分程、時間を消費した。
ワックスで磨かれて、鏡の様に輝く廊下を歩き、数十分ほど前に滞在していた黒周礼紗の部屋へと戻っていく。
他の家とは違い広い為に、一人で行動を起こせば、すぐにでも道に迷ってしまいそうだったが、今回はその様な事態に陥る様な事は無かった。
やはり、数年前とは言えども、一度屋敷で過ごした時の記憶が歩くと共に蘇っていったのだろう。
迷う事無く、黒周礼紗の部屋へと到着する。
扉を開けると、中には着替え終わった黒周礼紗の姿があった。
「丁度だな、オレも今戻ってきた」
そう言って床に座る。
ベッドに座る彼女に視線を向けた。
頬が紅潮している。
風呂上がり、シャワーを浴びていたと彼女は言っていた。
だからか、銀色の髪は濡れている。
体全体から、微かに湯気の様なものが溢れている。
「…珍しいな、お前がそんな格好してるなんて」
彼女の恰好は、なんとも女性らしい衣服だった。
家用の楽になれる様な服ではなく、外へ出かける際に着込む様な服だった。
「ああ、家だともっぱらこんな感じだよ、動きやすいしな」
スカートにシャツ、その上にカーディガン。
学校でしか会わない生徒から見れば、彼女の服装は新鮮だろう。
旧知の仲である春夏秋冬式織ですらも珍しいと思っていた。
「…お前は、これ、どうだ?」
胸元に手を添える。
彼女の丸みを帯びた胸は、彼女の手の置き場となっていた。
心配そうに聞いて来る彼女。
「え?…」
少し驚き、春夏秋冬式織は言葉を考える。
そうして、口を開き、纏まった思考を口から出してみる。
「…着てみろって事か?」
訝し気に春夏秋冬式織は呟いた。
彼女の口調から、春夏秋冬式織も着てみては如何だろうか、と誘われた様に聞こえたらしい。
春夏秋冬式織のボケにも聞こえる言葉に、黒周礼紗は口を大きく開き叫ぶ。
「バッ、違ぇーよ!似合ってるかどうかって話だ、言わなくても分かれよ!」
「似合ってる」
間髪入れず。
その言葉の破壊力は凄まじい。
声を荒げていた彼女の声は簡単に掻き消された。
「っ、そ、そうか、それなら、良かったけど、さ」
顔を赤らめる。
視線が右往左往。
ろくに春夏秋冬式織を見つめる事が出来ない。
心拍は上昇する。
想い人から褒められる事の心地良さに酔い痴れる。
勢いが付く、普段は言えぬ事をこの場の雰囲気に圧されて口にする。
「式織、あのさ。今のオレは、…その、どう映ってる?」
沈黙。
春夏秋冬式織は分からぬと言った表情。
付け加える様に、黒周礼紗は言う。
「その、っだな、ちゃんと、異性として見られてるかって話だよ、昔みたいに、男、みたいに間違われたりしてたから、どうだって、思ってさ…」
「可愛いぞ」
またしても、秒を跨ぐ事無く告げる。
耳から脳を揺らされる、視界が広がり、憩いの相手しか目に写らない。
「そうか、じゃあ、…お前好みになれたって事だよな?なあ…式織」
ゆっくりとベッドから降りる。
このまま、春夏秋冬式織と繋がりたい。
体温を交え、心音を重ね、肉体で結ばれたい。
そう思い、ゆっくりと、薄桜色の唇が、春夏秋冬式織に向かった時。
「あ、待て、キスする前に言う事がある」
ムードを壊す一言が告げられた。
完全に一夜を超える筈だったのに。
「な、なんだよ、言う事って」
待ちきれぬ様子で、顔を真っ赤にしながら黒周礼紗は聞いた。
「お前にはまだ言ってなかったが、俺にはお前以外にも結婚を約束した人がいる」
そして、爆弾発言。
思考停止、何を言っているのか分からぬと言った様子。
そして数十秒、理解が追いつく。
最初に出た言葉が。
「…は?」
相手の言葉を待つ言葉だった。
春夏秋冬式織は続けて言う。
「それを踏まえて聞くが、こんな俺でもいいか?」
胸に手を添えて、自分を選んでくれるかどうか聞く。
彼女は悩み、まず、どの様な問題を解くかどうか考えた末に。
結びつけた口を開いて、最初に伺った言葉が。
「…因みに、他の女はどうなる?」
ちゃんと別れるのかどうか、と言う確認。
それに対して彼は包み隠す事無く、春夏秋冬式織は言う。
「勿論、結婚する」
堂々と、いや、馬鹿だとすら言える。
当然ながら、彼女の内側から激情が迸った。
「こ、こんのっ…不埒もんがぁあ!!」
神力を噴出しながら、強化した拳を以て、涙目で叫ぶ黒周礼紗が春夏秋冬式織を成敗するのだった。
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