第一章・新しい約束の相手

その子供は銀髪だった。

海外の血筋でも入っているのだろう。

顔立ちも幼いながら美形であった。


「キャッチボール、分かるか?」


黒周礼紗はグローブを持ちながら、ボールを投げる。

向かってきた野球のボールを春夏秋冬式織は片手で掴む。

グローブをした手ではなく、素手の方でだ。

その際にボールが手の芯に響いた。


「いてぇ」


「当り前だろ、そっちのグローブで掴むんだ、ホラ投げてみろよ」


そう言って黒周礼紗はグローブを開けたり閉じたりする。

先程、黒周礼紗の投げ方を見ていた春夏秋冬式織は彼女に向けてボールを投げた。

山の様に膨らんだ野球ボールの軌跡は、遥か遠方へと向かい、大きく腕を伸ばした黒周礼紗の手の中へと入り込んだ。

ぱすり、とボールとグローブが擦れる音が聞こえる。


「いがいと上手いじゃん、本当にはじめてか?」


キャッチボール出来る事に楽しさを感じているのか、黒周礼紗はボールを投げる。

少し速球が速い、取れるかどうか分からなかったが、春夏秋冬式織は難なくボールを受け取った。


「へへ、いいな。ほら、ばっちこい!」


そうして二人は、遅くなるまで公園で遊んだ。

泥だらけになりながら、黒周礼紗と春夏秋冬式織は一緒に歩きながら黒周家へと戻る。


「オレさ、ずっとキャッチボールしてくれる弟が欲しかったんだよなぁ、遊べる友達も少なかったし…」


「キャッチボール、楽しいな」


そう言いながら、黒周礼紗と春夏秋冬式織が屋敷の中に入ると、家の中からひょっこりと顔を出す女性の姿があった。


「あ、母さん。ただいま」


玄関から顔を出したのは、やはり外国人だった。

顔立ちの整った、黒周礼紗の母親は、蒼い瞳で彼女を見つめると、にこりと笑い、春夏秋冬式織にも会釈をすると、近づいて来る。


「~~~」


何か言っているが、春夏秋冬式織には分からない。

だが、黒周礼紗には分かるらしく、頷くと共に春夏秋冬式織に顔を向ける。


「母さんが先に風呂に入っとけだってよ、案内するから、来いよ」


「あぁ」


頷くと共に、黒周礼紗に連れられて、春夏秋冬式織は彼女の後ろを付いていく。

風呂場に到着すると、春夏秋冬式織は脱衣所で服を脱ぎだす。


「オレも一緒に入る」


帽子を脱ぐと、帽子の中に押し込んでいた銀髪がさらりと垂れた。

肩元まで伸びた髪は、まるで蜘蛛の糸であるかの様に細い。

先に衣服を脱いだ春夏秋冬式織は、風呂場への扉を開けて一番乗りした。

後から、黒周礼紗も一緒に風呂に入り出す。

湯を桶で掬い、髪を洗い流す春夏秋冬式織。

その隣に、黒周礼紗が立つと、桶を取って自分も湯で髪を洗い流した。


「ふう…ん?」


隣で体を洗おうとボディソープを泡立てる黒周礼紗。

彼女の体をじろじろと見て、その視線に気が付いた黒周礼紗が目を細める。


「なんだよ」


「ん?いや、ついてないなって」


春夏秋冬式織にはある。

父親である春夏秋冬澱織にもある。

だが、傍に居る、黒周礼紗には、男性の象徴と呼べるものがついていない。

不思議がる春夏秋冬式織に、彼女はさも当然の様に言った。


「当り前だろ、オレ、女だぞ?」


「おんな…?」


春夏秋冬式織は懐疑的だった。


「なんかよく知らねーけど、オレ、ジキトーシュ、なんだって」


一緒の湯舟に浸かりながら、黒周礼紗と春夏秋冬式織は頭にタオルを乗せている。

いち、に、さん、と数を数えている春夏秋冬式織は、父親である春夏秋冬澱織が百まで数えるまで上がるな、と言う口約束を守りつつある。


「さんじゅう、さんじゅういち…なんだよ、それ?さんじゅうに、さんじゅうさん…」


「さあな。けど、それになるには、舐められたらダメなんだってよ。だから、男らしい恰好をしろって…オレは別に、男の恰好の方が良いけどなぁ。動きやすいし」


春夏秋冬式織は五十まで数えた所で一旦数えるのを止める。


「お前が嫌じゃないのなら、それで良いんじゃないのか?」


「うーん…そうだよな…けど、オレ、全然わっかんねぇんだよなぁ、男のままでいいのか、女のままでいいのか。…まだ子供だから、分かんねぇのかなぁ…」


不安そうに、黒周礼紗は湯舟に口を近づけると、ぶくぶくと、口から息を吐いて泡を生み出した。

数を数える事を再開した春夏秋冬式織、七十まで数えたところで、再び黒周礼紗が言う。


「…まあ、男でも困る事なんてないしな。女でも困る事なんてねーし…」


彼女の問題は男として生きるか、女として生きるか、の二択だ。

実際の所は家業を継いで欲しいと言う事であり、彼女の性別を否定しているワケではない。

ただ、この話をした家臣の言い方が、女を捨てる事だと言った為に、彼女は悩んでいる。


「はちじゅー…あー、逆に考えてみろよ、男で困る事とか、女で困る事とか、そう考えたら、嫌だと思うものから逃げれるんじゃねぇの?」


「あ、なるほどな。…女で困る事、なんて考えても、別に困る事はないし、男で困る事も、無いしな…やっぱ、変わんないかも…あ」


ふと。

彼女は、記憶を巡らせて思い出すと眉を顰めた。


「でも、俺が男のままだと、母さんが困るかもな…」


「きゅうじゅう…なんで、お前の母ちゃんが困るんだ?」


ごく自然な問いかけに少し、黒周礼紗は表情を曇らせた。


「母さん、オレが大人になって結婚する時を楽しみにしてたんだ。母さん、花嫁姿を見たいとか、言ってたから…」


娘の晴れ姿を見たいと思うのは、娘を愛しているが故の事。

だが、男として生きる以上は、ウェディングドレスを着る事は適わない。

だから、彼女は自らの母親の願いを叶える事は出来ないのだと、泣きそうになっていた。


「母さんの願いだけは、聞き届けてやりてぇよな…」


娘は母親を愛している。

深い愛を抱いているがゆえに、母親が悲しむ表情を思い浮かべるだけで涙を浮かべていた。

純粋な子供である、そんな彼女に対して春夏秋冬式織は唸る。


「…じゃあ、着ればいいんじゃねぇのか?」


そして考えて、黒周礼紗に自らの想いを語るのだった。


風呂に入っている為に、段々と顔を赤くしている春夏秋冬式織。

茹でタコの様に顔を真っ赤にしていて、じっと春夏秋冬式織の顔面を見ている黒周礼紗は、彼が一体、どういった意味合いでそういったのか気になっている様子だった。


「大人になれば、自由になれるだろ。だから、どんな服を着るのも自由だ。ウェディングドレスだって、着れるだろ」


今はまだ、子供であるからこそ自由が効かない事もある。

それでも、大人になれば、子供には出来なかった自由も存在すると、春夏秋冬式織は言い切った。


「そんな…単純な話じゃないだろ、結婚は、結婚式でやるんだぞ?教会とかでさ、あと、すっげー豪華な飯とか出て…」


子供ではどのような仕切りをして、どういったスケジュールで結婚式を行われるのか分かっていない。

だから、黒周礼紗の言葉は何処かあやふやなものだった。


「この家なら凄い豪華なパーティーとかできそうだけどなぁ…」


春夏秋冬式織もまた、単純な思考回路でそう呟いた。

黒周礼紗と同じ、具体的な事ではなく、曖昧な感想であり、それが逆に黒周礼紗を笑わせる。

単純で良いのだ。複雑な事を考えなくても良い。

そう考えると、彼女の考えもまたシンプルなものになっていく。


「は、あー、確かになあ、けど。結婚てのは、必ず相手が居ないとダメなんだぜ?」


まず大前提として、結婚式とは雌雄の結ばれに対する儀式と言うものである。

結婚する相手が居なければ、まず結婚式と言うものは成立しないのだ。


「じゃあ、大人になるまで相手を見つけないとな」


風呂に浸かり、思考回路が段々とショートしてきている黒周礼紗。

他人事の様に言う春夏秋冬式織の方を見て、彼女は言った。


「おい、言い出しっぺが参加しないなんてありえないだろ?大人になったら、お前、オレの婿として出ろよな」


段々と頬が紅潮しているのが分かる。

彼女の言葉に、春夏秋冬式織は瞼が重くなりながら聞き返した。


「え、俺がか?」


「当り前だろ、お前が言い出した事なんだからな?ちゃんと責任とれよ」


彼女の表情に憂いは最早無かった。

こんなにも早く、人生のパートナーを見つける事が出来てラッキーと、思っているのかも知れない。


「…あー、分かった。分かった、けど」


そんな彼女の願いを叶える様に、春夏秋冬式織は二つ返事で了承しながら。


「風呂、どのくらいまで数えてたっけ?」


自分が、今、どれ程風呂で数を数えていたのか、と言う事をすっかりと忘れてしまっていたのだった。


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