序章・月妃は無慈悲な夜の女王②
そして現在。
高校三年生と化した温泉津月妃。
体中に蓄えられた脂肪は燃焼され、女性らしい豊満な肉付きをした妖艶な美少女と化していた。
雪に近しい白の髪を髪紐で結んで束を作っている。
その瞳の色は紫であり、よく目を凝らしてみれば、多重の円が瞳の中で螺旋の様に刻まれていた。
「んー…」
寝起きなのか、唸り声を上げながら顔を上げる温泉津月妃。
口元には涎が付着していて、それを袖で拭きながら首を軽く振る。
首に連動して髪が左右に揺れると、真っ白な髪を結んだ紐が解けた。
「あー…面倒くさ、ちょっと」
近くに居た生徒に話しかける。
話し掛けられた男子生徒は驚き硬直しながらも温泉津月妃の方を振り向く。
デレデレとした、鼻の下を伸ばした表情だ。
彼女はその男の目を見ると、視線がやや下に下がっている。
どうやら胸元を見ているらしい、ボタンを留めようにも、日々成長している彼女の胸がシャツのボタンを弾いてしまう為に、留める事は止めたのだ。
「キショい、見んな」
理不尽な事を言う、男子生徒は彼女の言葉を言う通りにして視線を逸らす。
「シキ呼んで来て、早く、死んでも良いから」
そう命令すると、男子生徒は苦言すら漏らす事無く、「はい」と返事をして走り出す。
解けた紐を指で摘まんで、それを持って温泉津月妃は溜息を吐いた。
周囲の視線が常に自分に突き刺さっている。
無理も無い、彼女程に興味を引き、魅力的な女性は居ないだろう。
それは良くも悪くも、と言った所だ。
「はー、おっそ…何してんのマジで」
そうブツブツと言いながら苛立ちが募る温泉津月妃。
そんな彼女を傍目から見ている生徒たち、その評価は様々だ。
「美人だけど怖いよなぁ」「この間、大仏さんに告白されたらしいよ」「マジかよ、あの大金持ちの?」「案の定、断られたけどね」「『キモイ、死ね』だって」「ひっでぇな…」「けど其処が良いんだよなぁ…」
我儘な姫君は、そんな噂をする生徒に向けて睥睨すると、噂はぱたりと止まる。
そんな時、教室へと入って来る汗だくな男子生徒が居た。
「遅い、死ぬ気で走った、ちゃんと?」
「は、はい…あのッ、はぁッ、はッ、
「で?なんで来てないの?」
眉間に皺を寄せながら男子生徒を睨み、男子生徒はそれに応じる様に答える。
「お、『お前が来い』って…」
衝撃的な発言だろう。
周囲の生徒たちは恐ろしいとさえ思った。
何せ、あの傲慢な姫君が来いと言っているのに、自分から来いと言うのだ。
決して許されない侮辱にも等しい言葉、彼女の怒りが有頂天を達するだろうと誰もが思ったが…。
「あっそ」
その一言で片づけると、温泉津月妃は椅子から立ち上がり歩き出す。
教師ですら手を焼いた問題児が、ただ一人の生徒の言葉で重い腰を上げたのだ。
「な、どうして…」「何者だよ…」
突如現れた転校生、春夏秋冬式織は一体何者なのか、と。
周囲の生徒たちは話題に尽きなかった。
温泉津月妃が伸びをしながら歩き出す。
すると殆どの生徒たちが、彼女の姿を見て驚きつつある。
傲慢で怠惰な温泉津月妃が自らの足を使って歩いている。
トイレに行くときや食事をするときくらいしか机から離れない筈の彼女が、だ。
それ以外の時間は、夕方になった所で動く気すら無い。
なのに、昼休みと言う時間帯、惰眠を貪るか食事を摂るしか行動をしないと言う事が周知の事実、しかし、温泉津月妃は堂々と廊下の真ん中を歩いていた。
「あ、月妃」
廊下を歩いている月妃に向けて声を掛けてくるのは、ルックスの良い男子生徒だった。
聞けば学年一の美少年であり、特にモデルの活動をしている男子生徒であるらしい。
顔が良い反面、その噂はあまり宜しくない、ファンと言う女性と関係を持ったり、複数の女性と交際している様な性欲に取りつかれた様な男だ。
女の抱いた数がステータスであり、どんな女を抱いたのかを語るのが武勇伝と言うろくでもない人間だ。
未だ、温泉津月妃を狙っているらしく、こうして度々、あちら側から話しかけて来る事が多々あった。
「ねえ、今度の休み暇?ごはんでも食べに行かない?」
そう言いながら携帯電話を取り出してスケジュールを確認する美少年。
きらきらとした表情の裏側には、肉欲に溺れる事しか考えていなかった。
なので、温泉津月妃は美少年の携帯電話を無理やり取り上げると、そのまま廊下に落として携帯電話を踏みつける。
何度も何度も、携帯電話の液晶が割れてもお構いなく、確実に携帯電話と言う物体の形状を変える程に踏みつぶした。
「あ、ちょちょッ、なにしてんのッ!?」
「は?興味ない話延々とされたから慰謝料として踏み潰しただけなんだけど?文句あんの?」
携帯電話を蹴り上げて壁に叩き付ける。
男嫌いと言う彼女は、此処まで男性を嫌悪しているらしい。
冷めた目つきで美少年を一瞥すると、そのまま温泉津月妃は歩き出した。
「お、月妃じゃん」
目の前から男性グループがやって来る。
学年で数人は居るであろうカーストグループである。
金髪の男子生徒が温泉津月妃の方を見ると、手を上げて挨拶をする。
そんな男子生徒の行動を一瞥すると、そのまま温泉津月妃は無視をして通り過ぎる。
しかも、自分は真正面から歩いている、相手はそれを塞ぐ様に横に並んで歩いていたので、温泉津月妃と肩をぶつけてしまう。
だが、それでも温泉津月妃は謝る事は無く、気分を害した男子生徒らは、温泉津月妃の肩を掴んだ。
「謝りもしないのかよ、お前はよォ」
肩を掴んで振り向かせようとする。
本来ならば此処まで粗暴な真似などしない。
だが、そのカーストグループたちには後ろ盾と言うものがある。
この学校の卒業生、OBの中には、暴力団に繋がっていると言う噂もあった。
だから迂闊に手を出してしまえば、その事実をこの男子生徒はその話で強請り、恐喝や暴力的な行為を行ってきた。
一般人ならば、関わり合いになりたくはないと思うだろうし、恐怖すら覚えるだろうが。
「は?なに?死ねば、気持ち悪い、勝手に触んな、と言うか口が臭い」
人差し指と親指で、男子生徒が肩に乗せた手を摘まむと、指先の力で、無理やり引き剥がす。
「ッ、な、おいッ、やめ、やめろッ、オイッ。ひ、ぎッ」
彼女の指先は、肉を容易に潰す万力の様な力を持つ。
手首を掴まれれば、どの様な人間であろうとも、骨を砕かれ、肉を潰される。
そうなる寸前の力で行っている為に、男子生徒は膝を突いて失禁した。
「やめ、くっださい、あッがッ…っ!」
「二度と話しかけんな、つか、死ね」
きつい言葉を掛けると共に、男子生徒の手首を離す。
指を振って汚物を触った事に対する嫌悪感からか、そのままトイレに行こうとしていた。
「はー…気分悪、…ん」
トイレで手を洗い、ハンカチで拭いている時。
再び廊下を歩いていると、食堂から歩いて来る一人の生徒の姿があった。
「シキ」
声を掛ける。
その声に反応して、灰色の髪をした男子生徒が顔を向ける。
「おう、ツキ」
そう言って軽く手を上げる。
馴れ馴れしい呼び方に、近くに居た生徒が鼻で笑う。
「(あの温泉津さんになんて呼び方してるんだよ…絶対に殺されるな)」
不祥事が起こると、その男子生徒は火事場の野次馬気分で見ていたが。
「この私を歩かせるなんて、随分と偉くなったんじゃない?生意気、ムカつく、ほんとにバカ」
軽口を叩きながら、春夏秋冬式織に向けて前のめりに倒れる。
彼女の動きに動じる事無く、彼女を抱き留める。
「疲れた、杖になって」
春夏秋冬式織の腕に両手を絡んで強く抱き締める。
それはまるで恋人の様な距離感であり、春夏秋冬式織の腕に、強く胸を押し付けていた。
「は、え?なんでッ!?ええ!!?」
あまりにも有り得ない光景に、先程の男子生徒は驚きの声を上げる。
温泉津月妃ファンクラブに所属している為に、彼女の言動を良く知っている。
だからこそ、彼女の行動が思い切り甘えているものだと、その男子生徒は理解してしまった。
あの温泉津月妃が、他の男に靡く事など、有り得ない事なのだから。
大の男嫌い、全人類に属する男性は総じて死ねば良いと思っている。
嫌悪しているがゆえに、それらに対する悪意も凄まじい。
嫌がらせとして在学していた生徒を退学に持ち込んだ事すらある。
昔、イジメられた為に、それが原因で男嫌いになったと聞いている。
本来ならば、彼女の方から男子生徒に触れるなどあり得ないのだが…。
「シキ、髪留め解けた、また結んで」
「ただ髪を束ねて結ぶだけだろ、俺がやらなくても良いんじゃないのか?」
自らの命令を拒めば、当然ながら待ち受けるのは社会的死。
彼女の命令を拒否した事で、他の男子生徒から暴行された、なんていう事もある。
当然ながら、ファンクラブの男子生徒はそれを望んだが…。
「なんで?つきぴのいう事聞けないの?」
目を細めて、頬を膨らませて不貞腐れる様に言う。
その言動は、誰がどうみても、彼に甘えている様にしか見えなかった。
「仕方が無いな…髪を結ぶ為だけに呼ばれるのも面倒なんだよ」
「つきぴの髪を触れるのに、贅沢な事言わないで、ほら、早く、シキ」
急かす様に、春夏秋冬式織を連れて、教室へと戻っていく二人。
すっかり腰を抜かしたファンクラブの生徒は、これは幻だと、夢だと、自分に言い聞かせていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます