美化された記憶だって思い出と言い張ったら思い出になる

ふたきぐさ

第1話

忘れられないひとがいる。


たとえば親しい人間にそう零したとして、反応は千差万別だろうと思う。僕は色恋に昔からとんと縁がない風だったから、それが両親であればまず驚く顔を見ることになると思う。他人の恋模様が気になって仕方のない友人なら喜色満面に詰め寄られる未来が見えるし、もっと進化した愛すべき悪友なら僕のこれを喜々として話のタネに流用しようとする。もっともそのタネは会話上で芽吹くものではない。純粋無垢な同人活動のネタである。ちなみに完成本を差し出す彼は決まってとても晴れやかな顔をする。どんな顔して目を通せっていうんだ。


閑話休題。そんなわけで僕の周辺人物にこれを言ってのけると多種多様な反応と共に、概ねが僕のライフをゴリッとにこやかにぶんどっていく。なので親しい人間にはそう簡単に吐いてたまるかと別ベクトルで僕は静かに決意しているのだけど、もしこの由無し事にここまでお付き合いいただいている方がいるならば。少々なりとも疑問に思ったのではないでしょうか、と、僕の方から問わせていただく。なぜこの一般大学生の日常のような一幕が一生涯の秘密に繋がるのか?


答えは至極簡単─────持っていくことしかできないから。それに尽きる。まずはどんなひとだったかお話しましょう。僕から見た、という主語を念頭に挟んでいただきながら。



そのひとと出会った日はもう覚えていない───余談であるが人をひと、と記すのは僕の癖のようなものだと思っていただけると幸いである。誰かを形容する時、なぜかこちらの方がすとんと収まる、不思議なものだ────それが数年前であることは確かなのだけど、もうほとんど褪せてしまっているからはるか昔の出来事にさえ思える。花の名を冠するひとだった。僕の知らない花だったことは確かに記憶している。かの文豪は別れる男に花の名を教えておけ、花は毎年咲きますのでね。記憶の根底に刷り込んでしまいましょうや。と一種の呪いのような一節を語ったけれど、そんなもの忘れる奴は忘れるし、忘れたくなけりゃ墓場どころか地獄の果てまで花束抱えてダイレクトアタックかますだろうよと思わないでもない。ともあれそれに則るのであれば、僕たちはお互いに呪いをかけ合った。もっとも僕のは知れ渡ったありふれた花だったのでとっくにそこらのテレビ番組で上書きされていると思う。何が世界一美しい呪いだ。場合によっては花壇にだって負けるぞ。愛情こもったお手製ガーデンとか。


そんな名前も朧気な文豪に恨み言を抜かしたところで何にもならないので話を戻すけれど、まず一番はじめに思い浮かぶことは綺麗なひとだった、ということ。これは僕が感じた主観。見た目じゃない。扱う言葉が、だ。文章なんて言ってしまえば記号の羅列でしかなくて、読み取る人間が善と捉えればプラスに、悪と捉えればマイナスに働く。当然といえば当然だが、それをどちらかに誘導したいのならそれなりに気を遣う必要がある。これも当然である。ではあのひとの言葉の何をもって僕は綺麗だと判断したか、思い起こすには記憶が足りないし確認するには何一つも残っていない。要は思い出補正だ。これについては申し開きもない。次。


僕よりもずっと大人だった。その頃の僕はキッズもキッズで、知るすべもないがおおよそ現在同年代の彼、彼女らが黒歴史と頭を抱えるような感じだったろう───と、推測する。とんと覚えちゃいないけど僕が例に漏れないはずがない。たとえば包帯がやたらとカッコよく見えたり、たとえば無口が時代の最先端だと思い込んだり。つまりはそういうことである。キッズに群れてやいのしていた僕の話を微笑ましそうに聞いていた、ような記憶がある。おぼろげだがそんな感じのひとだ。と、この辺で区切れば察しの良い方はお気付きになるだろう。内容、薄くない?と。もちろん数年前の記憶ということは差し引いて。日々平凡に過ごしていたとて年の瀬には積もり積もる思い出がいっぱいで、増えていくデータに割けるリソースは限られている。だから忘れてしまうことも自然の摂理と言えばそうなのだ。それにしたってここまで、何年も経った今でさえ抜けていく思い出に縋っているにも関わらず。人が人と会う時、必ず一度は目にするであろう顔も、声も、表情も─────僕は、誰にも話すことができない。



話は変わるが、近年増加傾向にある被害の一つに未成年のSNSトラブルが挙げられる。内容はケースバイケースだが、そこで知り合った相手を通じて犯罪に巻き込まれるケースも後を絶たない。未成年、成年を問わずに。報道を目にした母は頬杖を着いて怖いねぇ、と手元のスマートフォンに目を落とし、なんでホイホイ着いていっちゃうんだろうねと案外リアリストな自称恋愛アドバイザーはネットニュースをスワイプで消した。そういうものなのだ、ネット上で築く人間関係というのは。もちろん月日は流れ、サイバー犯罪相談窓口なんてものがなんとなく浸透するようになった頃合いだが、顔も知らない相手と繋がる、ましてや恋仲になるとなればよほどでないと良い顔はされない。少なくとも僕の周りはそうだ。もしかしたら僕の方も分かってもらう努力をしていないのかもしれない。けれど、僕とあの人が出会ったのが遠いいつかなら、終わったのも遠いいつかの話だ。今更誰かに分かち合いたい訳でもないし進んで波風を立てたい訳でもない。これでも事なかれ主義なのだ。僕は。


僕はあのひとの、…彼、ないし彼女の本当の名前を知らない。この先知ることもない。小さな白い花の名前を冠したアカウントは辿れないほど前に消えてしまったし、当時の僕が使っていたアカウントもとうに削除申請が受理された。やり取りの証のダイレクトメッセージなんてもっと生存率が低い。ログアウトしただけで消えるんだぞ。出会いも会話も覚えてちゃいない。僕でさえそうなんだから、きっとあのひとは僕のことなんて忘れてしまっているだろうと思う。それでいいと、思う。追いかけるつもりも縋って生きるつもりも毛頭ない。それでも僕は、あのひとを、多分今でも少しだけ愛している。…あのひとを、じゃないのかもしれない。まだ何も知らなかった成長期についた傷痕を眺めては酔い痴れているだけなのかもしれない。それでも、あの頃中学生だった僕は、子どもながらにたった一つのアカウントを好いて慕っていた。


消えたものは取り戻せないと知っている。どれだけ深い話をしたって削除さえしてしまえば一ヶ月後には赤の他人へと戻る関係を、星の数以上もあるネットの海からとっくの昔に失われたアカウントを、何年後かすら分からない今じゃ探し出す術もないと理解している。よしんば何かの奇跡で会えたとて、無知なこどもが遊ばれていただと知るだけなのかもしれない。今僕が後生大事に抱えているこれは、僕の都合の良い風に脚色された幻影だったのかもしれない。それでも。それでも、覚えていたいと今も足掻いている。共感を得たいわけじゃない。だから誰に言うつもりもない。ただ、僕が、僕自身に証明するために。日々勝手にアップデートされていく僕という人間の脳に、ただでさえポンコツ鳥頭の記憶の中に、昔出会った小さな思い出をを残しておきたいだけなんだ。誰かにとってはくだらなくて些細な話かもしれない。だけど僕にとってのこれは、ささやかな人生最大の秘密であると同時に─────埋葬するべき別れ花だ。


テレビで見たチューリップが綺麗だったから見に行きたいね、と。その会話が最後だったと、微かな記憶をたった今思い出した。そんな話ももしかしたら架空の妄想かもしれないけれど、次の春は少しだけ遠出してみようと思う。そうして一面に咲き誇る鮮やかな色を写真にでも残して。いつか僕の棺の中に、あの小さな白い花と一緒に綺麗な桃色が手向けられたら。きっとその時に、僕は本当にあのひととお別れできるのかもしれない。




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