第6話 小日向視点

 ドアを開いてまず、息を呑む。

 次に、叫ぶ。


「すごーーーー!!!!」

 慣れ親しんだ向かいの鉄扉、少し汚れた階段の手すり、あるはずの集合住宅はけれど。生い茂る大森林へと激変していた。


「なんてことだぁーー!」


 大気の青を肺中へ送り込み。

 つきぬける感動、息吹、そして涙。


「なんてことだぁぁーーーー!!」

「動物が驚いちゃうよ。耳を澄まして?」


 小鳥の歌、虫のささやき。  

 雨のように、落ち葉はゆらめく。

 緑色の生命たちが、『さぁはやく』と、手を差し伸べてくれていた。


「いこう」


 木洩日くんの声に押されて一歩。自身の欲に従い一歩。

 わたしはあこがれた未知へむけ、自ら歩をすすめた。

 いつ以来だろう、外出にわくわくできたのは。


「楽しいね!」

「まだ早いよ。小日向さん、鍵はしゃんと閉めなくちゃ」

「あ、大切なことなのに、すっかり抜け落ちていました」


 鍵を取り出して、ドアノブへ手をのばして。少しおかしなことに気づく。

「この扉、へんなの」


 森の只中に、ポツリと扉だけ立つさまが、どうにも奇妙に写った。

「魔法だもん、そりゃ不思議なものさ」

 たしかに。


「扉の魔法はね、望む世界へつながる魔法なんだ。だから小日向さん、大自然は、君の望んだ『どこか』なんだよ」


 証拠に、わたしがもう一度扉を開いても、自宅へはつながっておらず。奥から羽虫がくぐりぬけていった。


「いこう木洩日くん! 探検です!」

「細かいことはきにしないんだね」


 運動靴が泥で汚れるなんて、初めてのことだ。誰も私のことを指差さない世界って、なんて素敵な場所なんだ。


 淡色な森の奥行き、きらりと反射する胞子、腐葉土の素敵な香り。

 新緑の傘、せせらぎの道、ウスバカゲロウのマイムマイム。


 あぁ……。

「素敵!」


 素敵だ、ここは。

 生きる理由に溢れている。

 どこを見渡しても幸せに満ちている。


 視界の全てが、『生きていいよ』と語りかけてくれるから、瞼の閉じ方を忘れてしまう。なのに涙が溢れて、乾くことはないんだ。


「魔法使いの森。ここは僕たち魔法使いが、人目をはばからず魔法の練習をするための。秘密の庭なんだ」


 木洩日くんが腕を振るうと、木々が跪くように反り広がり、一本の道を示した。

 驚きのあまり言葉も出なかった。


「この先に僕の遊び場がある。案内するよ」

「こ、木洩日くんはどうして! 人間社会に紛れているのですか!」

 わたしをひく手が止まる。


「うん? 僕だって人間だよ?」

「!? ごめんなさい、わたし」

 あぁ、またやってしまった。


 人との会話を終えたあとは、いつも反省会だ。少し話しすぎたかな、別の表現をするべきだったかなって。

 意味なんてないのに。わたしはいつだって、まちがえるのだから。


「『魔法使い』が社会に紛れている理由ならあるよ」

 そんなわたしを尻目に、彼は言葉を続ける。


「魔法は一子相伝の秘術なんだ。だからね、『魔法使い』同士が交わると、術式がこんがらがっちゃって、制御がきかなくなる。それを防ぐために、魔法使いの恋人は、『普通の人』でなければいけない」


 難しい話はよくわかはないけれど、ようするに……。


「魔法使いは、パートナーを見つけるために、人里へおりているんだ」

「な、なんだか、ロマンチックですね」

 どうしてだろう、少し、からだが火照った。


「ただ、僕の場合は少しおもむきが違うかも。僕は単純に、君のような面白い人たちに、興味があるんだ。僕の家系は魔法使いの中でも、はぐれ者の一族だからね」


「私が、面白い?」

「うん、とっても。ドキドキするくらいに」


 初めてそんなことを言われた。

 みんなはだいたい、『変なやつ』だとか、『キャラ作り』だとか、既存の悪口に私を押し込めようとするのに。


 でも彼は違う。


 嬉しいのか、戸惑っているのか。木洩日くんとお話しをしていると、歯の浮く気分になる。


「なら、私の全てを理解して、『面白味』がなくなったら、木洩日くんとは友達じゃなくなっちゃうの?」

「ありえない話だよ。ねぇ小日向さん、君は一度だって、他人の全てを理解したことがあるかい?」


 あるわけがない。誰も私のことを理解してくれないと嘆げくその実。誰よりも他人を知ろうとしていない矮小わいしょうが、私の醜い本質だから。


 それに私自身のことだって、ポンコツな脳みそは理解しきっていないのです。

 今だって、なぜこれほどに恥ずかしいのか。照れているのか。説明できない。


「これは予感だけれど。多分僕は、一生君にドキドキできるよ。心配しなくていい」

「そ、それは一生友達ということですか!?」


「あ……。えぇと、その。ま、まぁ、人との関係は移ろいいくものだぜ。今からそれを思案するのは、早計じゃないのかな」


 終わることを前提とした友好などない。


「お、お付き合いをする前に、別れた後の心配をする、みたいな話ですか」

「……へんに本質をつくなぁ。この話題、小学生には難しいね。僕は今が。小日向さんと友達であれる今が、とってもとても楽しいよ。だからね、早く遊ぼうよ」


 はやる気持ち、知らない感情、パレットは喜色。混ぜれば何色?

 ぐんぐんと進む彼の背中は、幸せに溢れて。軽やかで。踊っているようにも見えた。


「うん!」

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