第3話 木洩日視点
なんとなんとだ。小日向は畦道の水路に落っこちてしまった。
遮二無二と帰路に着こうとする道中で。目の前で、盛大に。
僕との会話を逃げるように切り上げたかと思えばのハプニング。傷付けばいいのか、驚けばいいのか。本当に彼女を見ていると不思議発見だ。
「大丈夫? 小日向さん」
幸運なことに水路は浅く、怪我はぱっとみてなさそう。けれどセーラームーンはびしょ濡れです。
「全然大丈夫! かいた汗が流れて、いいかんじ! これならシャワーは要らないね」
尻餅をついてこちらを仰ぎ見る彼女は、とてもマヌケな見てくれだけれど。朗らかをたらふく抱えた笑顔の前では些事になる。
「問答無用でシャワーだよ」
近くでザリガニが威嚇している。
「も、もとわといえば木洩日くんが……」
おっと責任転嫁? この子はとても面白い人だ、それは間違いない。だからこそ気遣いとは無縁のよう。
ばぁば曰く『面白いからといって、いい人とはいかないもんだよ。じぞうは、面白味がなくてもいいから、いい人を選ぶんだ』
じぃ様曰く『わしの嫁めちゃおもしろい』
僕は、面白い人の方が好き。
「小日向さんは急ぐと言った。邪魔したのは僕です。ごめんね」
そういって手を伸ばすと、すこしばかり。ん? かなり? 迷った様子をみせた小日向さんは。僕の手をとって水路から這い出た。
「な、なのでここでさよならです。木洩日くん、ありがとう……」
僕は、僕のことをよくわかっているつもり。だから、『このままさよなら』するつもりの、小心者の僕が木洩日くんだ。
なぁ木洩日じぞうよ。お前は今日という日の感動をほったらかして、ぐっすり夜を眠れるかい?
むりむり。すなわち小心者の僕だから。夜更かしなんてした日には、罪悪感で不貞寝だね。
そんでもって忘れちゃいけない。僕は小心者である以前に、魔法使いでもある。
『勇気の出る魔法』なんて、都合のいい魔法は存在しない。魔法には厳格なルールがあって、『いたずら心』がないと成立しないのだ。
ようするに、『いたずら以上のことはできない』という意味に落ち着くのだが。だからといって、『一緒に帰ろう』という言葉をひねりださせる程度には、十二分に悪さする。
『思ったことを素直にいっちゃう魔法』
「僕は小日向さんが好きで、友達になりたいのです。一緒に帰りませんか?」
おぉぉっと!? 思ってもみない本心が飛びでたぞ。
「……」
沈黙。
「……」
沈黙。
「……」
沈黙。
「小日向さん?」
「私、友達という言葉に、めっぽうよわいのです。もしもそれを本気で言っているのなら……」
「友達になろうって言葉を、嘘で言う人なんて、はたしているんですかね」
詐欺師とか?
「い、いまどき。友達になろうって、声に出して打診する方が珍しい気もします」
ごもっとも。
魔法の効果はとっくに切れているけれど、次は言えるぞ。
「僕は小日向さんと、友達になりたいです」
「よろしくお願いします、木洩日くん」
早かった。逃げる子猫を捕まえるくらいに早かった。今度は小日向から手が伸びたのだ。
と思えばすぐに離れた。
逃げた子猫を僕は掴めなかった。
呼吸。呼吸。行き場をなくした手。気まずくなった二人の手。空で迷子。
迷子の子猫はもう一度再開し、ようやっと握手した。
「私は、友達同士で隠し事をしたくありません」
「うん」
「だから、正直に言うね。もしもそのことで、私を嫌いになったとしても。木洩日くん、私なんか嫌いだって、正直に言って欲しい」
「うん」
「私、嘘とか、裏腹とか、建前とか、よくわからないから。君の言葉を、信じるしかないから」
「うん」
「本当は私のことが嫌いなのに。嫌いじゃないって君が取り繕うなら、私は信じることしかできないんだ」
「うん」
「私、じつはね」
彼方からの追い風は、春の香りを引き連れてきた。彼女の決意を後押しするように、つよく吹く。
「私、髪の毛がないんだ」
彼女は決断した。
どこをみていいのかわからない、そんな感じに泳ぐ目線。耳の先まで赤くほてって。紅葉がいまにも弾けそうだ。
ぎゅっと握りしめられた手のひらは震えていた。先天性の無毛症であると説明された。
ふむ、なんと答えるべきだろう。
「小日向さん、だとしても僕は、あなたのことが嫌いじゃないですよ」
「え、え、どうして?」
「どうしてもこうしても……」
「眉毛もないから、すごいブスだよ?」
僕はあまり、美醜の差について頓着を持たないほうだけれど。小日向、その定義なら僕の母もブスになる。
「小日向さん、僕はあなたが無毛症であること、知っていましたよ」
「え、え? どうして?」
「見ればわかります」
いつも帽子をかぶっているから。授業中もかぶっているから。なんとなく察しはついていたけれど。
「あ、わ、わ、私。あ、帽子を、あ」
忘れたんだね。
あと、隠せていると思っていたんだ。
小日向。そのことについては、クラスメイトの誰一人として、提言していなかったよ。みんな知っていたんだね。
「僕はそのことを踏まえた上で。小日向さん、あなたと友達になったんだ」
今朝、小日向に満月を見た。いまは面白いくらいに太陽だ。
「うぅ……」
次は僕の番。
さりとて……、少し困る。どうしたもんかと考えあぐねる。
「やむかたなし」
まぁ、いいや。どうにでもなれと、僕も決断する。
彼女の秘密については元から知っていた。だとしても彼女の決意に、真摯でありたいと僕は願ったんだ。
彼女が告白したなら、僕だって秘密を暴こう。じゃなきゃ彼女の決意にアンフェアだ。
『断じて露見してはならない』という、鉄の掟があったとしても。
仕方がないよ。僕の心はもう、とまりっこないのだから。
「僕は魔法使いです」
そう言って、『たちまちに暖かくなる魔法』を唱える。
濡れたまんまじゃ、風邪ひいちゃうもんね。
ぱっと乾いた小日向は、信じてくれただろうか?
「すご! 木洩日くんはイギリスの人だったんだ!」
イギリス人になんの偏見が?
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