第2話 小日向視点

 この世界から連れ出してくれるなら。悪魔でも、神様でも、だれでもいいんだ。

 いますぐ喉をかっさばいて、素敵な所へ連れ去ってはくれないか。


 嗚呼。


 この世界から連れ出してくれるなら。利得も、背徳も、どうでもいいんだ。

 すぐにでも胸を切り拓いて、息の詰まる内実へ、風を吹き込んではくれないか。


 なんども、なんども、なんども。思考の端くれでわたしはささやく。


 絶望に滲んだ灰色の現実。重く、冷たく、苦しく。希望は水底に沈んでいく。

 こんな世界はいやだ。干渉してくる全てが嫌いだ。

 

 悪意はもろ手をあげて、私を殴りつける。痛いのは辛いんだ。

 善意がわたしを切りつける。異質だもんねっていう施しは、虚しくなるだけ。


 見ないで、みつめないで。嘲笑ちょうしょう怪訝けげん憐憫れんびんは、ぜんぶが質量を伴って痛いんだ。

 見ないで、みつめないで。好奇も猜疑さいぎも軽蔑も、矢尻は奥底まで刺さるから、たまらなく泣けるんだ。


 見ないで。

 見ないで。

 見ないで。

 

 見つめないでほしいけれど。

 

 どうかお願いだから、誰かわたしのことを、見つけてください。


 毎日三度は死にたくなる。涙が溢れて仕方がないから、あたまをあげる。


 すると——。


「きれいだなぁ」


 なんて空の美しい。


『死にたい』なんて言葉は霧散する。生まれてきてよかったと、純に感動する。

 お空はあっけらかんと澄み渡る。目を凝らすと、残月、お月様が平泳ぎ。


 ぴーひょろととんびが羽ばたけば、私の悩みなんてあらよとからめて、あっというまに地平線。


 この町は、町というには田舎にすぎて。

 だから空は澄みきっていて。横の田んぼだって青くしげて。

 あぁ、綺麗だ。


 毎日三度は死にたくなる。けれど世界は四度、『生きてほしい』と微笑みかける。


 天国と地獄が交互に来るから、生の実情が淡白にうすらみ。ガンガン! 心の叫びがこだまする。

 

 飛び立ちたい。サッと舞うようにして。

 鳶みたいに大空へ。ロケットみたいに星の彼方まで。


 カラスに襲われ、堕ちてしまっても別にいい。太陽に焼かれて、燃え尽きたとしてもかまわない。


 だからどうか、閉じられた絶唱を、解き放ってはくれないか。


「ほんとうに、お空はきれいだ」

 なんてことのない呟きに。


「そうだね」

 とうとつな相槌が返る。


 あたりまえにおどろく。

 

 頭の中へ直接語りかけるみたいな。その声は、輪郭がほどほどと明らかだった。


 振り返ると、男の子が立っていた。華奢な身体は細く、もじゃもじゃの髪がひとみを少しだけ邪魔している。


 テノールの声音がやけに落ち着いていて。

 直感的に、魔法使いみたいな人だなと思った。


 わたしの大好きな映画。魔法学校に通う、子供達みたいな。

 男の子の雰囲気はつかみどころがなくて、不思議な人というのが第一印象。


「この空を眺めていたら、ふっと身体が浮いて、そのまま落ちてしまいそうになるよ」

「あなたは?」

「この春から同じクラスになった、木洩日じぞうです」

「ご、ごめんなさい。私、」

 覚えていません。


 言わなければいけない言葉はいつも喉の奥で詰まっている。


「君の後ろの後ろの席だよ」

「……前の席の人は、覚えているのだけれど」


 これは蛇足だったか。

 人の顔を覚えるのは苦手だ。記憶力がないだけなら諦めもつく。けれど、私のは少しタチが悪い。

 私は、そもそも人の顔をあまり見ない。

 彼との目線を邪魔しているのは本当に前髪? それとも私の卑屈?


「それなら小日向さん、初めましてだね」


 木洩日くんは手を差し伸ばす。取ろうと思った。でもどうしてか判断に迷った。

 明確な理由があるわけじゃない。

 木洩日くんのことが嫌いなわけでもない。


 昔からこうなんだ。人の心がよくわからないから、たとえそれが垣根のない善意であっても、素直に受け取ることが怖くなる。


 裏に一体どんな思惑があって、どう私を貶めようとするのかと、つい勘繰ってしまう。


「ごめん、私、いそいでいます」


 罪悪感。後ろ頭を引く。


 彼から目を背けて、歩を速める。

 するとどんどん、後悔の波が押し寄せてくる。辛くなるって、わかっていたのに。


 どうしてあんなことを。きっと怒らせてしまった。うぅ、傷つけてしまった。

 わがみ可愛さに。


 謝れ。今ならまだ間に合う。


 頭では理解している。それでも私はかたくなに、振り向こうともせずに。


 だから私は。こんなんだから私は。私のことが、『大嫌い』なんだ。



 ぼちゃん。

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