死にたいあの子は無毛症

海の字

第1話 木洩日視点

 僕は魔女の孫。


 そんなことは関係なしに、小日向こひなたエンマは、パジャマ姿で登校してきた。


 がらがらり。


 老朽化の進んだ校舎の扉はたて付けがわるく。引き戸はとんちきな音楽をかなでた。

 声を大にして存在を主張しなくても。いつもありがとうって、いつだって思っているのに。


 がらりがら。


 遅れてやってきた小日向は、クラス中の注目をさらった。運しだいでころりとかわる僕の視力Bも。おなじく釘付けになった。


 小日向はセーラームーンのパジャマ姿だったのだ。


 先生が立ち上がる。

「小日向さん!!」

「はい、小日向です。先生、おはようございます」

「何ですかその格好は!?」


 朝の読書タイムは平穏な毎日を象徴する。それが中止になるという、ささやかな奇跡に、こりゃおどろいた。


 大魔女のばぁばは魔法のことを。

『やさしいいたずら』ってよくいうけれど。日常がくつがえるキラキラの予感は。いたずらを準備するときのワクワクに、少し似ていた。


 じゃあさ、ばぁば。たぶん小日向エンマは魔法少女だよ、ちがいない。僕はセーラームーンとクラスメイトになってしまったんだ。


 だってこんなにも心躍るのだから。


「急いできました。あ、おくれてごめんなさい」

 小日向は頭をさげた。満月がみえた。


「だからって、その格好はないでしょう……」

 呆れる先生。


 おどろきも一息ついて、あざけるクラスメイト。


「小6にもなって、キャラ物のパジャマとかないわー」

 扉と同じくらい目立ちたがり屋で、そのくせ彼ほどありがたくない男子が一声。


「あははー、うけるー」

「それな!」

「みんな、はやし立てないで! 先生怒るよ!」


 まったく。きいろい声で小日向の言葉が聞こえないじゃないか。


 僕はセーラームーンの方が気になるよ。こっそりと、『声が大きくなる魔法』をかけてみよう。


「じぁあ明日は! 甚平を着てくるよ!」

「寝巻きはやめて!?」


 おどろいた、無自覚なんだ。


 小日向はみんなを楽しませる為にパジャマを着てきたんじゃない。

 パジャマで登校することに、なんら疑問を抱いていないのだ。


 常識なしだと一蹴することは簡単だけれど。僕は自由な魔法使いだ。常識のかたくるしさは、嫌というほどしっているつもり。

 思えば精読した校則に、『パジャマで登校してはならない』なんて文言はなかったはず。


 つまり先生は、ルール外のことわりでもって小日向を叱りつけているわけだ。

 自分が正解だと疑わない厚顔な姿勢に。なるほど教師に向いていると、密かにおもう。


 ある時ばぁばに『不文律』という言葉を教えてもらった。小日向はそんなモノに縛られない、自由な心と粋な反骨精神の持ち主で——。


「あ、はいわかりました! いまからダッシュで着替えてきます!」


 わお、ときめいた。ドキドキだ。おもわずだ。

 小日向はたしかに自由な子だけれど、小日向は自由にとらわれた愚か者でないようだ。


 自らの非をみとめ、すぐさま行動に移す。

 その姿勢は素直に評価すべき。人間にあまり関心がもてない僕だけれど、今は彼女に興味しんしん。

 小日向がとびだしてしばらく。廊下を駆ける足の音がもの寂しくもフェードアウト。


「ちょ、ちょっと小日向さん!?」

「先生、女の子が一人でおうちに帰るのは、危ないと思います! 僕もついていっていいですか!」


 小日向エンマを知るまたとないチャンス、逃す手はない。


木洩日こもれび じぞう君。だめです。もうすぐ一限目が始まります」

「一限目は美術です。先生は美術の先生です。では、僕がすでに作品を完成させていることは、知っていると思います」


「早く終わった子ようの課題は別途用意してあります。それにね、木洩日くん。気持ちは嬉しいけれど、あなただって子供です。事故などに巻き込まれる可能性があるのなら、認められません」


 うん、正論だ。しかたない、今は身を引くべきだろう。


「小日向さんのことは、先生に任せてください。みんな、朝の会は中止します。一限目の準備をしつつ、教室で待機していてください。うるさくしたらだめですよ、一組は授業があるのです」


 そう言うと先生は、足早に退出した。

 ざわざわと、クラスは喧騒に包まれ始めた。


「やべえよな小日向、俺あいつ苦手だわ」

「キャラ作りしてるよね、ぜったい」

「家庭環境やばいらしいぜ」


 さて、どうしたものか。パジャマ姿の小日向が心に居座って落ち着かない。いつまでもじっと見つめてくるんだ。


「木洩日が大きい声出すの珍しいね、もしかして小日向ちゃんのことが好きなの? いやいやまさかね〜」

 隣の席の女の子が、僕をつつく。

「ノイズだよ君の声音は」


 いたずらに、『口封じの魔法』をかけてやる。おどろいてるおどろいてる。なんだか胸もすく。もしかして、僕は腹を立てていたのかもしれない。


 なにに? 魔法少女をないがしろにするみんなに? 融通の利かない正解に? たぶん、ちがう。


「行動できない僕にだ」


 気づけてよかった。ありがとう、大好きな じじ様。


『やるかどうか迷ったら、絶対にやってやるって決めなさい。そしたらじぞうは間違えられる。間違えないなんて大間違いだからね。花丸ばかりがお腹に溜まると、ばぁ様みたいに丸くなってしまうよ』


 じじ様ありがとう。僕はたくさん間違えるよ。たくさん間違えて、やらない後悔なんてものはおき去りにしてやるんだ。


「足が速くなる魔法!」

 廊下を飛び出して。

「足が遅くなる魔法!」

 先生をおいぬく。


 2階の廊下窓から、校舎を切って校門へ駆ける小人がみえた。


 はやいな小日向。僕が迷ったらもう見えない。迷うな、ためらうな。

 いたずらは、晴れやかな心で楽しむものでしょ? 

 ほんの少しだけ、素直になろう。

 

「いっかいだけだ。やってやる」

『落ちても大丈夫な魔法』

 窓をあけて、春風をいっぱいに吸いこんで。渡鳥のようにさっと飛び立つ。

 四角く区切られた世界が、パノラマのように広がる。青空を太陽が泳いでいる。

 あぁ、心は晴れやかだ。


「こ、木洩日くん!?」

 先生の声はもう遠い。乾いたグラウンドを、わきめもふらず。

 白線はスタートライン、いま超えた!

 小日向エンマという物語が、いま始まるんだ。

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