三.函館戦争の始まり

 正議隊憎しの心を抑えながら、小藤太を含む他の家臣達が「御家大事」と戦支度を進める中、当の正議隊は未だ親徳川派の排除に勤しんでいた。江戸屋敷にまでわざわざ刺客を差し向け、自分達の権力を盤石なものにしようとしたのだ。

 正議隊に協力的だった中立の家臣達も、これには呆れるばかりであった。松前は一枚岩とは決して言えぬ状態が続いていた。


 だが、時は待ってはくれない。会津が落ちてから、おおよそ一月後の明治元年十月二十六日。蝦夷地入りした榎本釜次郎武揚率いる徳川残党軍が、函館五稜郭を占拠した。彼らは五稜郭を足掛かりとして、蝦夷地での支配権を確立する姿勢であった。


 翌二十七日には、新選組の「鬼の副長」土方歳三が率いる松前討伐軍が五稜郭を出立した。松前には最早一刻の猶予も残されていなかった。

 その頃、小藤太は函館からの侵攻に備え、松前の東に位置する及部川およべがわを背に防備に当たっていた。文字通りの背水の陣である。

 だが――。


「村田の先生よぅ、こんなんで勝てるんだべか?」


 腰に刀を取ってつけたように差し、旧式の火縄銃を携えた青年が、不安そうに話しかけてきた。武家ではない。近くの村から徴集された猟師である。

 部隊には他にも、商家や漁師、果ては僧籍や神主の中から徴集された者もいた。武装も間に合わせの物ばかりであり、青年が不安に思うのは無理もなかった。


「案ずるな。先発隊が上手くやれば、ここまで敵が攻めてくることもあるまい」


 青年の不安をほぐすように、小藤太は優しい言葉をかけた。だが、小藤太の武人としての本能は、この及部川周辺が瞬く間に戦場となることを告げていた。


 正議隊の面々は、五稜郭が徳川残党の手に落ちるや否や、自ら手勢を率い松前東方の福島村に陣を張っていた。陣代は蠣崎かきざき民部、隊長は鈴木織太郎が務めた。子飼いの精兵四百と、なけなしの最新鋭の銃や大砲も持ち出されていた。

 「お手並み拝見」といきたいところであったが、そんな気楽なことは言っていられまい。正議隊の首魁である鈴木織太郎は、性酷薄にして好戦的な男である。家中の親徳川勢力を説得ではなく暗殺という手でもって駆逐しようとしたのも、主に鈴木の企てだ。おおよそ戦略というものを解する武人ではない。


 一方、寄せ集めの残党軍とはいえ、榎本達は誇り高き徳川家臣団。恐らく、一気呵成に松前を攻め落とすような真似はしないだろう。まずは和睦の使者を遣わし、恭順を迫ってくるはずだ。

 今回の戦で松前に勝ちの目があるとすれば、この和睦をいかにのらりくらりと躱し、時間を稼げるか、その一点だろう。戦力だけで見れば徳川残党軍が圧倒的ではあるが、彼らは蝦夷地へと敗走してきたばかりだ。その足元は盤石ではない。

 加えて、松前には地の利がある。戦となれば、徳川方も消耗は避けられまい。やがて来るであろう新政府軍との戦いを考えれば、彼らとて無駄な戦は避けたいはずだ。松前は松前で、新政府が援軍を寄越すまで粘れば良い。


 だが、気性が激しく好戦的な鈴木に、そんな腹芸は期待出来そうになかった。「和睦など言語道断」と軽率に戦端を開いてしまう公算が高い。戦となれば、徳川残党軍は一気呵成に松前城へと攻め上って来るだろう。彼我の戦力差はそれほどのものだ。しかも、残党軍を指揮するのは、あの土方歳三である。


 ――結局、小藤太の懸念は正鵠を得ることとなった。

 徳川残党軍はいきなり攻め寄せることはせず、まずは和睦を申し入れてきた。当初、交渉にあたったのは函館に滞在していた松前家臣・渋谷十郎らであった。渋谷は、徳川残党軍の和睦の意志を伝えるべく、同行していた桜井怒三郎を福島村の鈴木の元へ遣わした。


 それに対する鈴木の返答は、実に愚かなものだった。

 鈴木は、桜井より徳川残党軍からの和睦の意志を伝えられるや否や、「家中を乱す不届き者」と恫喝し彼を処刑してしまった。

 鈴木の愚行はそれに留まらなかった。部下を遣わし徳川残党軍へ夜襲を仕掛け、遂に戦端を開いてしまったのだ。


 徳川残党軍の反撃は、尾を踏まれた虎のようであったという。

 一気呵成に福島村の松前兵を蹴散らすと、破竹の勢いで進撃を開始。同時に、徳川が誇った軍艦の一つ蟠竜ばんりゅうが先行して松前への威力偵察を行い、松前城へと数発の砲弾を撃ち込んだ。十一月一日のことだった。

 鈴木らは当初こそ必死に応戦したが、彼我の戦力差を思い知るや否や、福島村のそこかしこに火を放ち退却してしまった。徳川残党軍に兵糧が渡るのを恐れたらしい。彼らは松前城へ逃げ帰る途上でも、更に幾つかの村々に火を放ち、徳川残党軍への足止めとした。


(この戦、我々の負けだ)


 敗走してきた兵より鈴木達の暴挙を伝え聞いた小藤太は、松前の敗北を悟った。後の世に「函館戦争」と呼ばれる戦いの、緒戦の出来事であった。

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