四.松前炎上
十一月五日、昼。徳川残党軍は遂に松前城の目前まで迫っていた。
小藤太も及部川の陣で奮戦したものの、彼我の戦力差は覆しがたく、あえなく敗走していた――より正確に言えば、兵達を犬死にさせてはいけないと、早々に見切りをつけたのだ。
「む、村田の先生! オラ達、どうなるんだべ? このまま徳川のお侍に殺されるんだべか?」
遠方より散発的に銃声が響く中、共に松前城下まで逃れてきた猟師の青年が、恐怖に歪んだ顔で小藤太に泣きついてきた。及部川での戦闘の凄まじさを思えば、無理からぬことであった。
徳川残党軍の動きは実に整然としたものであり、銃や大砲の扱いにも熟練の技を感じた。松前兵は陸から海から雨あられと降り注ぐ銃弾と砲弾の中を、旧式の銃や大砲で必死に応戦し、あるいは逃げ回るしかなかった。
小藤太は腕の立つ者を集め遊撃隊を編成し、徳川残党軍に一矢報いようとした。だが、それも無駄なあがきであった。味方の援護射撃の中、抜刀し突撃を試みたが集中砲火を浴び、前に進むことさえ許されなかった。命を拾ったことが不思議なくらいである。
「なに、あやつらも一廉の武士だ。武家以外の命を無下に奪うことなどしないだろうさ。今の内に近くの村にでも逃げ込めば、殺されることはあるまい。皆にもそう伝えるがよい。小煩い正議隊の連中も、この期に及んで文句など言うまい」
「な、なら、先生も一緒に逃げねぇと! お殿様もお偉方も、とっくに逃げちまったんだろう?」
「気骨のある連中は、まだ城に籠って踏ん張っている。見捨てる訳にもいくまい。さあ、そち達は疾く逃げよ」
青年の言う通り、当主徳広や重臣達は去る十月二十八日、完成したばかりの館城へと避難していた。その決断自体は、戦略的には間違っていない。
だが、当主が本拠を捨てるとなれば、民が不安に駆られるものだ。そこで、正議隊の面々は姑息にも「戦の士気を高める為」と称し、町人に祭礼を強いて寒風吹きすさぶ城下を踊り練り歩くよう命じた。その祭りの騒ぎに乗じて、当主一家と重臣達を密かに避難させようとしたのだ。
しかし、時季外れの祭りなど不自然この上ない。当主達の移動はあっさり人々の知る所となった。「自分達を捨てるのか」と涙ながらに縋り付く人々を、正議隊は愚かにも見せしめとして何人か手討にし黙らせた。道理も何もあったものではない。
そんな下らない連中の為に、民草をむざむざ死なせる訳にはいかなかった。
それでも、武家である小藤太は逃げる訳にはいかない。松前に残った他の家臣達も同じ思いであろう。中には、城を枕に討ち死にする覚悟を決めた老兵もいる。小藤太は徴集された猟師や農民、城下に残っていた町人を避難させると、海へと向かった。その途上――。
「父上!」
良太郎が、数人の少年達と共に駆けてきた。いずれの少年もぎこちなく大小を腰に差し、銃で武装している。城下福山町を守る少年義勇兵の一団である。
「まだ城下におったのか。敵軍はすぐそこまで迫っておる。皆を連れて、どこか近くの村にでも匿ってもらうのだ」
「なんと! 父上のお言葉とも思えませぬ。私も皆も、一歩も退くつもりはございません!」
戦場の空気に酔っているのか、良太郎ら少年達は揃いも揃って目を爛々と輝かせ、好戦的な表情を見せていた。「御家大事」と教え育てられた子供達である。御家の危機に奮起するのは、むしろ自然な反応であった。
「血気にはやるな良太郎、もっと大局を観よ。我らの役割は勝つことではない。時を稼ぐことだ。既に戦の趨勢は決しておる。徳川残党はそれほどに精強だ。だが、それも官軍には敵うまい。既に官軍は、徳川残党を追討すべく兵を集めていると聞く。我らはそれが到着するまで、なんとしてでも生き延びるのだ」
小藤太はそう語って良太郎達を諭した。少年達は不満そうであったが、彼らの多くは小藤太が手ずから剣を指導した、言わば弟子である。弟子ならば師匠の言いつけを守ることもまた、彼らが幼い頃から教え込まれてきた事の一つであった。
良太郎達は渋々と言った体で頷くと、山側の方へと駆けて行った。彼らの無事を祈りつつその背中を見送ると、小藤太は逆の海側へと駆け出した。向かう先は枝ヶ崎の築島砲台である。
築島砲台は松前城の南東に位置する、暗礁の上に建てられた台場だ。言わば松前の海防の要である。事実、先日襲来した軍艦・蟠龍へ砲撃を行い、見事士官室に命中させていた。
既に、松前湾には徳川残党軍の軍艦・蟠龍と回天の姿があった。だが、築島砲台からの必死の砲撃により、両艦とも松前に近付けずにいる。恐らく、築島砲台では猫の手も借りたい状況であろう。
小藤太は、この時代の武芸者の例に漏れず砲術の心得もあった。きっと自分の技が役に立つだろうと考えたのだ。
だが――。
海岸線に出た小藤太が視界に築島砲台を捉えた、その時。立て続けに何発もの轟音が響き渡り、築島砲台から激しく土煙が上がった。小藤太が身を伏せながら視界を巡らすと、いた。築島砲台の北東、松前城を目と鼻の先に捉える高台に建つ法華寺に、何門もの大砲がずらりと並んでいるのが見えた。そこから立ち昇る煙さえもが、くっきりと。
いつの間にやら城下へと侵入した徳川残党軍が法華寺に陣を構え、築島砲台を背後からつるべ撃ちにしていたのだ。築島砲台はあっと言う間に阿鼻叫喚の地獄と化し、破壊された。
血みどろになり、あるいは手足を失った砲兵達が必死の形相で逃げ出してくる。小藤太は彼らに駆け寄り肩を貸しながら城へと逃げ込もうと踵を返す。が、その時。
「み、見ろ! 軍艦が、二隻とも」
誰かのそんな叫びに小藤太が海の方を見やると、沖合で様子を見ていた蟠龍と回天がぐんぐんとこちらに迫ってきていた。築島砲台の撃破を確認して、一気に攻め寄せてきたのだ。
それとほぼ同時に、城下のそこかしこから鬨の声が上がった。徳川残党軍が、遂に城への進軍を開始したのだ。
「これは……いかんな」
その破竹の如き勢いに、小藤太が思わず独り言ちる。松前城は守り易し城として近年築城されたものだ。歩兵相手だけならば、しばらくの間は持ちこたえるだろう。だが、海上の二隻の軍艦は次第に距離を詰め、城をその射程に捉えようとしている。このままでは、小藤太が予想していたよりも早く、城は落ちるだろう。
城内にはまだ、気骨ある者達が籠城に備え詰めていたはずだ。彼らをむざむざ見殺しにする訳にはいかない。砲兵達には悪いが彼らには自力で逃げてもらい、自らは城中の援護へ向かおう。そう小藤太が決意した時、砲兵の一人がまた叫んだ。
「おい……あすこの辺り、燃えてねぇべか!?」
その声に一同が目を向けると、城下のそこかしこから煙が立ち昇っているのが見えた。明らかに火の手が上がっている。しかも、徳川残党軍が攻め寄せている方ではない。その逆、西方から火の手が上がっていた。――松前側の誰かが火を付けて回ったに違いなかった。
(なんと。正議隊、そこまで愚かであったか!)
小藤太の心にも怒りの火が燃え盛った。尋常の精神の持ち主であれば――まともな松前の人間であれば、自らの城下町に火など放つはずがない。だが、正議隊は違う。自分達が逃げ延びる為ならば、故郷にも火をかけるのだ。
吹きすさぶ寒風により火はあっと言う間に勢いを増し、城下を包んでいった。海岸線を逃げていたお陰で小藤太達が火に巻かれなかったのは、不幸中の幸いであろう。だが、この猛火の中を城まで登るのは最早不可能であった。
「致し方なし。各々方、この上は館……いや、江差まで落ち延び、せめて殿をお守りしようぞ」
故郷が焼かれる姿を前に悲嘆にくれる兵達を鼓舞しながら、小藤太は炎上する松前を後にした。血が出る程に握りしめた拳と、良太郎の身を案じる心を必死に押し隠しながら。
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