第4話

 今時そんな人いるんだ。と透は顔を引き攣った。家業の御神送りについては伏せつつ彼が透に語った話は、なかなかの世間知らずに映ったことだろう。

 鳴が電車に最後に乗ったのは中学時代だという。高校も大学も徒歩圏内とは羨ましい。透は無意識の内に溜め息を吐いた。



「——すみません。帰省の途中……でしたよね?」



 現在透たちは彼の目的地に向かう電車に揺られていた。不意に彼から話し掛けられ、考え事をしていた透はハッとして目線を上げたが、彼の視線は透ではなく、透の足元にある小さなトランクに向いていた。困り眉をしている彼は、どうやら透に気を遣っているようだ。


「あ、えっと……」

「ああ、申し遅れました。僕は彼岸鳴と申します」

「あ、ども。私は冬塚透です。帰省といっても地元がこのあたりなので、そこまで大変というわけでもないですよ。大学が広島なんです」

「そうでしたか」

「彼岸さんはどうして広島に?」

「ちょっとこちらに用事がありまして」


 その笑う仕草の美しさに思わずドキリとしてしまう。


 どこかの茶道家や華道家の人なのか、それとも呉服屋のお坊ちゃんか。和服で仕事をする人なんてこの日本では国文化を重んじる家元か何かしか、透は思いつかなかった。

 少なくとも透の持つ知識ではその程度が限界であり、つまり「彼岸鳴なる人物はいいとこのお坊ちゃん」という結論に至った。


 次に思い浮かんだのは彼の一人旅についてだ。


 彼の話を聞く限り、透の中で「不慣れなのにどうして単身で広島へ?」という疑問が悶々と脳内を巡っていた。

 お付きの人がいたっておかしくないような風貌をしている彼のことだ。お付きの人……動物? はいるようだけれど……。

 それにこんな綺麗な人だから、何か悪い話があって広島の極道にでも脅されていたりしているんじゃなかろうか、と透は訝しみつつ心配になった。


「……あ、僕は東京で旅館の主人をしておりまして。広島には姉妹旅館への用事があって、そのついでに小旅行でもと」


 だから別に怪しい用事は無いですよ? と、まるで透の心を見透かしたような発言に彼女は思わず驚いた。さらに驚いたのはその用事の内容である。


「へっ、旅館?」

「はい。僕は『彼岸屋』という旅館を営んでいて、広島の姉妹旅館は『もみじ屋』と言います。今の時期だと、旅館までの道のりの紅葉並木が有名なようですね」

「あ! 『椛屋』! 知ってます!」


 大学へ通うこと以外、外出することが少ない透でもその名は知っていた。地元民はみな口を揃えて一生に一度は泊まりたいと言う『椛屋』。その系列旅館、それも本元の主人が鳴だと聞き、透は思わず興奮した。


「一度泊まってみたいなって思ってる旅館です! でも宿泊予約の倍率が高くて……。彼岸さんって凄い方だったんですね!」

「いえいえ。『椛屋』の主人が頑張ったからこそ、その知名度が全国に広まったんです。僕は何もしていませんよ。名ばかりの若旦那ですから」


 微笑みながら謙遜する鳴に嫌な気はしない。それはきっと彼の持つ雰囲気が柔らかいからだろう。


「でも『椛屋』とは割と反対方向にありますよね、厳島神社って……」


 そう、鳴の目的地というのは広島の代名詞、厳島神社だった。


「有名な観光名所とは知ってはいるのですが、なにぶん、外出するのが久々で……。時間が出来たので一度は行ってみたいと思い立ち、人に尋ねながら神社を目指していたのですが……いつの間にか反対方向に」

「ああ……市杵島いちきしま厳島いつくしまって音が似てますもんね」


 旅に不慣れと聞けばそれも頷ける。文字で見れば違いは一目瞭然であるが、音だけで判断となると聞き間違いひとつで答えから遠ざかってしまう。

 加えてこの鳴の容姿と性格である。尋ねていった相手はきっと地元のお年寄りに違いない。広島弁が強い人たちだ、聞き取るのもやっとだったことだろう。透は心の中で深く彼に同情するのだった。


 ちらりと横目に映る橙色の烏は、変わらず彼の膝の上で穏やかに眠っている。

 多分鳴はそこに烏がいることを分かっている。時折、眠る烏の頭を優しく撫でているからだ。

 烏はその手が気持ちいいのか、起きる気配がまったくなかった。


「あ。彼岸さん、次の駅で乗り換えをします」


 いつの間にか乗換駅が次に迫っていた。透が一言彼に伝えると、彼は「分かりました」と笑った。

 彼が下車の支度のために身じろいだ所為か、先ほどまで気持ち良さそうに眠っていた烏が目覚めてしまった。少しだけ起こしてしまったことを可哀想だなと思った透だったが、移動しなければ彼らの目的地には辿り着くことができない。透は申し訳なさそうに烏を見つめるのだった。

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