第2話

 ここは、東京は新宿の裏通りにある、知る人ぞ知る名旅館『彼岸屋』。


『彼岸屋』は、あの世とこの世を繋ぐ狭間の入口——宿に位置しており、古くから読んで字のごとく『宿』としてこんにちまで営まれている。

 この旅館は日本国に信仰のある八百万やおよろずの神々が、黄泉の国から現世へ渡る際に途中で休息を得るための休息所でもある。


 ◆◇◆◇◆


 その一報を受けたのは、透が駅で出会った青年こと『彼岸屋』の若旦那である彼岸鳴が朝食を今まさに食べ終わった頃だった。


「——……え? 晴が起きてこない?」


 ええ、と彼に報告をしてくれた従業員が頷く。

 珍しいこともあるものだ。鳴は首を傾げて、話の渦中の人である行実晴が起きてこない理由を考えた。



 昨晩は新月だっただろうか。

 晴は新月の日は決まってどこかへふらりと出掛け、早朝に戻ったかと思えば顔色を悪くして深い眠りについていることがほとんどで、それでも数時間もすれば朝食を取りに来るので、最近はあまり心配をしていなかった。

 それに、鳴が毎度のこと彼の布団に潜り込むという習慣もあるのだが、今回と翌日の仕事の関係で昨夜は彼の傍にいることができなかった。一日以上彼の顔を見ていないことに、急激な不安が鳴の心に波寄せた。


 また、無茶をして倒れていたりしていないだろうか。

 それとも、死んでしまったりしていないだろうか。


 新月の翌日は死んだ人のような顔色で眠っている。毎度のことながら心臓に悪いのだ。

 しかし、鳴が生きている、ということは晴が死んでいるという事実は無いに等しいことが分かっている。

 だとすれば、体調を崩し動けずにいると考えるのが妥当だろう。


「分かりました。報告ありがとうございます」


 様子を見てきます、と鳴は朝食を済ませた食器を片づけ、その足で晴の部屋へと向かった。


 ◆◇◆◇◆


「……晴ー?」


 晴のいるであろう部屋の戸を静かに開けると、そこには眉間に皺を寄せて苦しげな表情をした晴が畳上に倒れていた。


「ッ、晴⁉」


 一体何があったというのか。鳴の体は考えるよりも先に晴の許に駆け寄った。額に手をやれば、彼はとても熱を帯びていた。

 顔色はいつものような青さではなく、血の気が通っている。そのことに安心するも、高熱であることに変わりはなかった。鳴はすぐに医務官を呼びに彼の部屋を飛び出した。


 結果として、疲れからくる発熱だった。少し休めば自然と回復するだろうとのことだったので鳴は今度こそ心から安堵した。



 晴が倒れてしまった以上、その間の御神送おみおくりは実家に頼まざるを得なくなった。

 つまり、彼岸家本家に依頼する形となる。

 そのことを考えると、少しだけ息がしづらくなる。


(父さんに、お願いするのか)


 鳴とその家族は特に仲が悪いわけではないが、を境に彼らの間には隔たりができていた。

 仕方のないこととはいえ、家族を頼ることに気が乗らない鳴だった。だがそれは私情である。


 鳴は、神をもてなす宿を担う『彼岸屋』の当主。

 従業員の一人や二人が倒れたとしても、この日本国の時は留まってはくれない。

 四季を巡らせる潤滑油の役割を担うこともまた鳴のお役目だ。

 鳴はゆっくりと目を伏せる。そして二度深呼吸をしてから、その重い足を本家へと向け歩み始めた。

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