■水戸黄門だと思う

 ハイファンタジーでも異世界恋愛でもいいんですが、読者層が変わったり、主力のジャンルが変わったりしても、結局日本人の心の奥底に流れているのは「水戸黄門」なんだと思うんですよね。あ、最近の若い方はもう分からないかも知れないですが、言い換えると「勧善懲悪」です。


 水戸黄門とは長い歴史を持つ時代劇で、徳川光圀(水戸光圀)を主人公とした物語。御老公様(光圀公)が助さん、格さんをお供に日本中を旅して悪大名などを退治して回る、と言うストーリーです。最初は光圀公は身分を隠して「ちりめん問屋」の隠居と名乗っていて、終盤悪役と(助さん、格さんたちが)大立ち回りを演じた後、助さんだか格さんだかが、


「この紋所が目に入らぬか!」


と言って葵の御紋が入った印籠を見せつけるんですよね。その時初めて悪人は、相手が徳川光圀であることを知ってひれ伏すと言う、お決まりなんですがスカッとするストーリーな訳です。


 こういう流れって、ウルトラマンや仮面ライダー、戦隊ものでも大体同じですよね。ヒーロー・ヒロインが悪の組織と戦った後、必殺技などを用いて相手を倒す……つまり「勧善懲悪」で、日本のものは大体ヒーロー・ヒロイン側が相手を上回る力があったり、必殺技があったり。少年漫画であっても異世界ものであってもメタ的な大筋は一緒で、つまり日本人の心にはこのテンプレートによりスッキリすると刷り込まれているんだと思います。大体、子供の頃に最初に触れそうな「桃太郎」なんかもそうだもんなあ。


 これを踏まえて、ちょっと戻って「異世界恋愛」ジャンルの話ですが、このジャンルは「異世界もの」の上記の様な特徴と、「恋愛」にするためのスパダリの存在と、そのスパダリと主人公をくっつけるための仕組みとしての「婚約破棄」や「追放」があるんじゃないですかね。要は従来のハイファンタジーと恋愛ものの中間的なものを作り出したってことでしょうか。恐らく「小説家になろう」のジャンルが刷新された段階で、従来ハイファンタジーを書いておられた作者様たちが「恋愛」側に寄せるために作り出したのではないかと思います。そして「ざまぁ」と言うのはその中の「勧善懲悪(復讐)」部分をタグ化するために端的に表したも、なのかな?


 と、ここまで書いて「ざまぁ」に対する違和感の正体が分かった気がしました。「婚約破棄」や「追放」「復讐」と言ったタグは小説の中で起こる事象であるのに対し、「ざまぁ」は作者・読者の感想なんですね。こちらの感情を勝手にタグに指定されているので違和感があったんだと気が付きました。ああ、なんかスッキリした! 有り難う水戸黄門(そうじゃない(^^; )

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