第十九話
呟いた時、ふと、背後から奇妙な音が聞こえてきた。
てし。
てし。
見ると、火噛の尻尾がふりふりと動いている。
てし、てし、と尻尾で地面を打ちながら、妙にそわそわとした様子で、村の方をちらちらうかがっている。
(これは……)
ひょっとして、火噛は村を救うのも、やぶさかではないと考えているのではないか。
わざわざこんなところまでやって来たのも、月乃たちの存在を気にかけていたせいかもしれない。
しかし、あっさり頼みを聞くのは自尊心が許さないので渋っている。恐らく、月乃があと何度か必死で頼み込めば、受けてやってもいいと思っているのだろう。
(……でも、本当にそれでいいのかしら?)
願いと引き換えに、火噛は何を要求するかわからない。
たとえ、自分の身を差し出したとしても、銀作やお結達を救うためなら構わない……以前の月乃なら、そう考えていたかもしれない。
でも、今は違う。
多くの人に守られて、今の自分がある。
その自分を、月乃自身が粗末に扱うことはあってはならない。
(考えなくちゃ……村のみんなも、私自身も無事で済む方法を)
『いいかい、月乃』
ふと、ずっと昔に聞いた父の声が耳に蘇った。
『お前もいずれ、奉公人を差配する立場になるのだから、覚えておきなさい。人というものはね、言葉の通りには動かないものなんだ』
『どういうこと?』
『人間てのはたいてい天邪鬼なものだからね。怠け癖のある小僧に、怠けるな!と怒鳴ったところで聞きやしない。大切なのはね、知恵を働かせて、相手がこちらの望み通りに
不意に、
今思うと、あの時は本当に危なかったのだ。腰の胴乱に火をつけられれば、火薬に引火して爆発し、一瞬で命を落としていたかもしれない。かといって、慌てて胴乱を外せば、相手に隙を見せることになる。
だからこそ、銀作は大胆にも、先に
月乃は左手で口元を撫でながら、激しく思考を巡らせた。
願い通りのことを言っても、思うような結果にはならない。
だが、相手の一手先を読めば、おのずと望む結果に導けることもある。
考えなくては。
今、火噛が
「……仕方がないですね」
小さくため息をつくと、月乃はしゃんと背筋を伸ばし、毅然として前を向いた。
「銀作さんのことは諦めましょう」
「……えっ」
火噛は三つの目をまん丸く開いて振り返る。
わざと冷たい態度を装っていたはずなのに、すっかり忘れてしまっているようだ。
「え、あっ、あき……あき、あきらめちゃうの……?」
「ええ、諦めます。だって仕方がないもの」
鷹揚に頷きながら、同じ言葉を繰り返す。
てっきり、月乃が泣いて縋ってくるものと思っていたのだろう。火噛はあんぐりと口を開けている。
呆然とする火噛を他所に、月乃は懐から襷を取り出して手早く袖をからげ、裾を持ち上げて帯に挟んだ。
「えっ、何してんの?」
「決まっています。姥が火を止めに行くんです」
「ええ、お月ちゃんが⁉」
「動物や
「追っかけてきたらどうすんの?」
「うんと走って遠くに逃げます」
「いやいやいや、無茶だよ!」
「無茶でも何でもやらなきゃなりません。お世話になった彦一さん一家の畑が火の海になるのを、黙って見ているわけにはいかないもの」
火噛は立ち上がった。
月乃が本気で村に戻ろうとしているのを見て、慌てふためいている。
もどかしげにその場で唸りながら何度か足踏みし、忌々し気に頭を振り、遂に、キッと遠くの空に燃える姥が火を睨みつけた。
「ああ、くそっ!わかったよ!俺が行けばいいんだろ⁉」
ドン!と
時折、高い木の枝を足場にしながら宙を駆け、三つほど数えるうちに、村の上空へとやって来る。
「静まれェェェ!炎ども‼」
額の目をかっぴらき、大音声で吠えた途端、村中を襲っていた炎が幻のようにふっと消える。
後には、姥が火本体と、燃え上がる屋根の上でそれに対峙していた、銀作の不知火だけが残る。
「どけェ、小僧!」
どすの効いた声で吠える。
銀作が振り向き、切れ長の瞳を大きく開く。
火噛は大きく、その口を開いた。
勢いを殺さず、そのままとびかかった。
ばくんっ……
―――一瞬間、目を閉じた銀作は、開いた目の中に飛び込んできた光景に、ぎょっとした。
火噛が地面に降り立っていた。
半分ほど開いたその口から、もがく姥が火の頭がわずかにのぞいている。
火噛はもぐもぐと顎を動かすと、燃ゆる老婆の抵抗をものともせず、ごくりと呑み込んでゲップをした。
「あーァあ……やっぱ人間なんか食えたもんじゃねぇぜ。生きてても死んでてもな」
「……あの執念の塊さ、一瞬で」
あまりの出来事に、銀作も一時放心したようになって、ぼつりと呟く。
火噛は面倒くさそうに、じろりと彼を見て、せせら笑う。
「まァァた人間の悪い癖だ。心だとか想いだとか、そんなもんが何か特別なもんだと勘違いしてやがる。いいか、よく聞け。愛だの恋だの理想だの、怨念執着諸々言ってもなァ……」
火噛は銀作に向き直ると、小馬鹿にしたようにべえっと舌を出した。
「腹に
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