第十六話

 その若武者は戦場を駆けていた。

 手に長槍を持ち、向かい来るものを薙ぎ払いながら駆けていた。

 彼に味方はいない。

 前方からは雪崩のように雑兵が押し寄せ、後方からは雨のごとく無数の矢が降ってくる。


 えい、面倒だ。


 苛立ちを滲ませたうなり声をあげ、手にした槍を放り捨てる。

 ぽん、と大きく跳躍し、次に地に足をつけた時には、白い四つ足の獣の姿になっていた。

 足軽どもを蹴散らし、飛び交う弓矢を振り払いながら走る。時折、鉄砲玉が稲妻のように体のあちこちを掠めたが、構ってはいられなかった。

 正面に二つ。額に一つ。三つの目玉は、一心に前方を睨んでいた。


 目指す城には、既に火の手が上がっていた。

 堀を飛び越え、本丸に移り、九重にもなる天守の最上部を目指して石垣を上っていく。

 途中、ドッと肩に衝撃を受け、焼けるような痛みに、ずるりと足が滑った。

 中筒の弾だ。十匁の鉛弾が深々と肉に食い込んでいた。


「くそっ……」


 歯を食いしばってなんとか石垣を上り切る。

 天守閣の連子窓れんじまどに取りつき、中を覗く。大勢の人影が集まって座っているのが見えた。燃え盛る炎のせいで一人一人の判別はつかなかったが、ただ一人、泣きたくなるほど鮮やかに浮かびあがる人影が見えて、狼は声を張り上げた。


「おおい!俺だ!助けに来たぞ‼」


 人々がどよめく中、その人は一人、ハッとして立ち上がり、こちらに向かって駆けよって来た。地獄のような戦場のただ中にあってさえ、その姿は凛と咲く白百合のごとく美しい。


 彼女は花のかんばせを泣き出しそうに歪めながら、白い手をこちらに伸ばした。

 

「どうしてこんなところまで……」

「君がいたからさ。当たり前だろう?」

「本当に馬鹿なんだから……」

「馬でも鹿でもなんだっていいさ。とにかく無事でよかった。ここから出よう。早く!」


 言いながら、窓の連子子を数本噛み砕き、人ひとり通れるくらいの大穴を空けた。

 しかし、彼女は来ない。

 左右に首を振りながら、ゆっくりと後ずさった。


「私は一緒には行けない」

「なんで⁉」

「逃げないと決めたからよ。何もかも人に決められた人生だったけど、せめて死に場所くらいは自分で決めたいの」

「だからなんでだよ。それこそ馬鹿な話じゃないか。いいから、早くこっちに来いよ!」


 狼は右前脚をのばし、ぐっと指先を開いて気合を込めた。もう一度人間の姿になり、彼女の手を掴もうとしたのだ。

 しかし、できなかった。

 肩に埋まった銃弾のせいだ。鉛の弾丸や鋼の刃は、妖としての彼の力を弱める。


 彼女は微笑んだ。

 涙に濡れたその笑顔の向こうに、ひらめく刃を携えた武者の姿が見える。


「シロちゃん、早くお逃げなさい。悪い人間に捕まらない内に……」


 獣の足は必死に空をかいた。

 胃の腑が千切れそうなほど悲痛な声を上げた。


「俺と一緒に来いよ!お市ちゃん‼」


 黒鉄くろがねの刃が彼女の体を貫いた。

 炎があたりを駆け巡り、ガラガラと音を立てて天守は崩れていく。

 落ちゆく城のただ中に、狼の咆哮が響き渡った。

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