第十五話

 福寿郎狸は火噛の横柄な態度を見てため息をついた。


「やれやれ、また童のように不貞腐れておるのか……女子にふられたくらいでみっともない」

「別にふられちゃいねぇよ!」

「お主がいつまでもそんな風では、わしゃ心配で心配で、ろくに飯も喉を通らん。……今朝とて丼三杯しか入らなんだ」


 などと、のたまいながら太鼓腹をさする。

 火噛は鼻を鳴らすと、ごろりと寝返りをうち、かつての師匠に背を向けた。


「のう、そういつまでも子どものようにふるまっておらんで、お主も徳を積み、神を目指してはどうじゃ?神はいいぞぉ。何もせんでも人間が供え物をくれるし、社の掃除もしてくれる。かわゆい女子もしょっちゅうお参りに来るしの」


 福寿郎狸は彩雲をおりると、不詳の弟子の傍へやってきて、按摩でもするようにその背中を前足で踏む。

 火噛は目を閉じたまま、せせら笑った。


「いやァなこった。あんなちっぽけな社におさまって、日がな一日人間どもの願い事を聞かされ続けるなんざ、考えただけで虫唾が走るぜ」

「ならばせめて修行せい。我が『自然じねんどんどこ流幻化道げんげどう』。お主が免許皆伝となる日を、わしゃ首を長ぁ~くして待っておるのじゃぞ」


 狐狸族こりぞくというのは妖怪の中でも幻化道げんげどう―――簡単に言うと、化けたり化かしたりといった術に長けており、中には独自に編み出した流派を子々孫々伝えているものもいた。

 「自然じねんどんどこ流」というのは生前ノタ坊主が創始した流派で、対象に幻を見せる「幻術」と、おのが肉体を自在に変化させる「変化術」から成る。火噛はこの内、一方の変化術だけを中途半端に齧っただけで、ノタ坊主のもとを飛び出してしまっていた。


「まだ言ってんのかよ、それ!そんなもん、酒の席で見得張ってでっち上げた、へっぽこ流派だろうが!」

「へっぽこ流派、大いに結構。気に入らんなら、ぽんぽこ流でも、てんつく流でも好きに作って極めるがよい。わしが言いたいのはな、火噛。中途半端が一番いかんということなのだ」


 辺りでは退屈した豆狸達がかけっこや毬つきを始めている。

 一部の狸が白い毛皮を掴んでよじ登ってき始めたので、火噛はうっとうしげに胴震いをして振り落とした。

 福寿郎狸は構わずに続ける。


「お主はなまじ力があるだけに、余計危ういのだ。力ある者が、その力を何に使うでもなくふらふらしておっては、いつか悪の道に転ぶのではないかと危ぶまれても仕方がない。この世の理を司る神に目をつけられるか、はたまた、ただの妖怪として人間どもに調伏されることになるか……わしはそれが怖ろしゅうてならんのだ」


 噛んで含めるように言ってみるが、火噛は最早返事すらしない。自分を調伏しうるものなどいるはずがない、とその背中が語るのみだ。

 福寿郎狸は困った顔で頭を掻いたが、気持ちを切り替えるように、山裾の方へ首を向けた。


「それにしても、先ほどのは面白いわらべたちであったな。山神の加護を受けし男児おのこに、癒しの力を持つ娘とは……」


 里のある方向へ一歩、二歩踏み出し、遠くを見るように軽く背伸びする。

 その目は千里眼。

 遠く離れた麓の村をとっくりと眺めた後、ややあって福寿郎狸は口を開いた。


「……のう、火噛。あの二人の童とともに行ってはどうじゃ」

「あん?」


 火噛は殊のほか不機嫌そうに眉をしかめて振り返る。

 福寿郎狸は静かに弟子を見つめている。その目は未来を見通すような、不思議な色を湛えている。


「まこと、不思議な童たちじゃ。その道の先に、幾多の苦難と幸いとが感じられる。旅に同行し、手助けしてやるとよい。お主が徳を積むのにうってつけじゃと思うがの」

「馬鹿言ってんじゃねぇよ!お月ちゃんだけならまだしも、なんであんなクソ生意気な小僧を助けてやらなきゃなんねぇんだ!死んでも御免だね」


 考えるのも嫌だというように、かぶりを振ってそっぽを向く。


「そう頑なにならんでもよいじゃろう。男児はともかく、娘の方はお前とて気に入っておったではないか。男児はほどほどでよいから、娘だけでも守るつもりでついて行ってやってはどうじゃ」

「もう関係ないね。俺を選ばなかったんだから、この先どうなろうと知ったこっちゃねぇよ」

「……なにゆえそこまで頑なに」


 福寿郎狸は、ほとほと困り果てたように項垂れた。

 地べたに腰を下ろすと、でかい腹がたふたふと波打つ。

 遊びまわっていた豆狸達が、気遣うようにとことこと周りに集まり始めた。


「忘れたか、火噛。かつてのお主は苛烈ではあったが、決してひねくれ者でも自暴自棄でもなかった。夢と希望に胸を膨らませ、輝く瞳で未来を見つめておった。それがなぜ……ああ、思い起こせば300年前のあの日。お主が覚えたての変化の技を使って人前に飛び出して行った時、わしはもっと強く止めるべきじゃったのかもしれぬ。あの頃、あれほどまでに傷つくことさえなければ、今頃はきっと……」


 突然、火噛が振り向き、ゴウ!と炎を吐いた。

 ほんの一瞬のことではあったが、すさまじい炎が狸神を包み、そして消えた。


「いい加減にしろ!ただでさえ、俺ァ今、むしゃくしゃしてんだよ!それ以上 世迷言よまいごとを吐くなら、手前ェだって噛み殺すぞ、クソ狸!」


 体中の毛をちりちりに焦がされた福寿郎狸だが、曲がりなりにもそこは神。眉一つ動かさず泰然としている。……周りの豆狸達はまだそこまでの徳を積んでいないようで、ぎゃあぎゃあ騒ぎながら、半狂乱で火を消そうとしているが。


 不意に、福寿郎狸の表情が変わった。

 みるみる内に丸い目が涙で潤みだすのを見て、火噛はぎょっとして後ずさる。


「そ……そ……そこまで言わんでもええがね……ッ」


 神としての威厳はどこへやら。

 一転してノタ坊主であった頃の口調に戻り、袖で顔を覆っておいおいおいと泣き出してしまう。


「おい、親父……」

「そりゃ……そりゃ、俺とおみゃーは血がつながっとらんがよォ……それでも俺は、おみゃーを本当の子だて思って育ててきた。こんなに心配しとるのに、なんでわかってくれにゃーのか……うっ、うっ、うえっ、うええええん……っ」


 おんおんおん、と声を上げて泣くノタ坊主の袖が、涙で重くしおれてゆく。周りを取り囲む豆狸達まで、つられたようにめそめそし始めた。


 火噛は立ち上がり、もどかし気に足踏みをした。

 昔から、涙は苦手だ。

 目の前で誰かが泣いていると、どうにも気持ちが落ち着かず、何かをせねばならないような気がしてならない。

 とうとう火噛は弱り切って声を上げた。


「わーっぁったよ!!一先ず、あの小僧どもの面倒みりゃいいんだろ?旅でもなんでもつき合ってやるよ!朝飯前だ、そんなもん!」

「うっ、ううっ、ふっ、ふえっ……うふっ、うふ、うふふ……っ」

 

 何やら様子がおかしい。

 よく見ると、掲げた袖の影から覗くノタ坊主の口の端が、笑い出しそうにひくひくとしている。

 

 謀られたか。

 火噛は、真っ白な毛が赤く染まって見えるほど血を上らせた。


「この狸爺が!馬鹿にしてやがんのか!?」


 耐えかねたように、福寿郎狸は声を上げて大きく笑った。

 ひとしきり笑った後、ふうと息をつき、慈愛に満ちた瞳で火噛を見つめる。目じりには嘘ではない、本物の涙の粒が光っていた。


「火噛よ。わしにはお主のまことがわかっておる。

 お前は本当に良い子じゃ。目の前で涙する者があればいてもたってもいられず、笑うものがいればともに喜ばずにいられない……そういうさがを持って生まれた子じゃ」

「……何言ってんだかわかんねェよ、全く」


 全身のむずがゆさが止まらず、火噛は憎まれ口をたたきながら、その場に丸まって目を閉じた。狸の弟子だけに、狸寝入りである。

 福寿郎狸は、大きすぎる愛弟子の首に、短い腕を回して抱きしめた。


「悪ぶって自分を大きゅう見せる必要などない。お主は優しい。そして、強い。きっといつか、衆生を救う、よい神になれるよ。……わしはそう、信じておるよ」


 ……気がつくと、福寿郎狸も、大勢の豆狸達も消えていて、あたりはとっぷりと夜に暮れていた。

 火噛はどっと疲れを感じ、その場でうんと伸びをして、今度こそ本当に眠りの世界に落ちて行った。

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