第十五話
福寿郎狸は火噛の横柄な態度を見てため息をついた。
「やれやれ、また童のように不貞腐れておるのか……女子にふられたくらいでみっともない」
「別にふられちゃいねぇよ!」
「お主がいつまでもそんな風では、わしゃ心配で心配で、ろくに飯も喉を通らん。……今朝とて丼三杯しか入らなんだ」
などと、のたまいながら太鼓腹をさする。
火噛は鼻を鳴らすと、ごろりと寝返りをうち、かつての師匠に背を向けた。
「のう、そういつまでも子どものようにふるまっておらんで、お主も徳を積み、神を目指してはどうじゃ?神はいいぞぉ。何もせんでも人間が供え物をくれるし、社の掃除もしてくれる。かわゆい女子もしょっちゅうお参りに来るしの」
福寿郎狸は彩雲をおりると、不詳の弟子の傍へやってきて、按摩でもするようにその背中を前足で踏む。
火噛は目を閉じたまま、せせら笑った。
「いやァなこった。あんなちっぽけな社におさまって、日がな一日人間どもの願い事を聞かされ続けるなんざ、考えただけで虫唾が走るぜ」
「ならばせめて修行せい。我が『
「
「まだ言ってんのかよ、それ!そんなもん、酒の席で見得張ってでっち上げた、へっぽこ流派だろうが!」
「へっぽこ流派、大いに結構。気に入らんなら、ぽんぽこ流でも、てんつく流でも好きに作って極めるがよい。わしが言いたいのはな、火噛。中途半端が一番いかんということなのだ」
辺りでは退屈した豆狸達がかけっこや毬つきを始めている。
一部の狸が白い毛皮を掴んでよじ登ってき始めたので、火噛はうっとうしげに胴震いをして振り落とした。
福寿郎狸は構わずに続ける。
「お主はなまじ力があるだけに、余計危ういのだ。力ある者が、その力を何に使うでもなくふらふらしておっては、いつか悪の道に転ぶのではないかと危ぶまれても仕方がない。この世の理を司る神に目をつけられるか、はたまた、ただの妖怪として人間どもに調伏されることになるか……わしはそれが怖ろしゅうてならんのだ」
噛んで含めるように言ってみるが、火噛は最早返事すらしない。自分を調伏しうるものなどいるはずがない、とその背中が語るのみだ。
福寿郎狸は困った顔で頭を掻いたが、気持ちを切り替えるように、山裾の方へ首を向けた。
「それにしても、先ほどのは面白い
里のある方向へ一歩、二歩踏み出し、遠くを見るように軽く背伸びする。
その目は千里眼。
遠く離れた麓の村をとっくりと眺めた後、ややあって福寿郎狸は口を開いた。
「……のう、火噛。あの二人の童とともに行ってはどうじゃ」
「あん?」
火噛は殊のほか不機嫌そうに眉をしかめて振り返る。
福寿郎狸は静かに弟子を見つめている。その目は未来を見通すような、不思議な色を湛えている。
「まこと、不思議な童たちじゃ。その道の先に、幾多の苦難と幸いとが感じられる。旅に同行し、手助けしてやるとよい。お主が徳を積むのにうってつけじゃと思うがの」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ!お月ちゃんだけならまだしも、なんであんなクソ生意気な小僧を助けてやらなきゃなんねぇんだ!死んでも御免だね」
考えるのも嫌だというように、かぶりを振ってそっぽを向く。
「そう頑なにならんでもよいじゃろう。男児はともかく、娘の方はお前とて気に入っておったではないか。男児はほどほどでよいから、娘だけでも守るつもりでついて行ってやってはどうじゃ」
「もう関係ないね。俺を選ばなかったんだから、この先どうなろうと知ったこっちゃねぇよ」
「……なにゆえそこまで頑なに」
福寿郎狸は、ほとほと困り果てたように項垂れた。
地べたに腰を下ろすと、でかい腹がたふたふと波打つ。
遊びまわっていた豆狸達が、気遣うようにとことこと周りに集まり始めた。
「忘れたか、火噛。かつてのお主は苛烈ではあったが、決してひねくれ者でも自暴自棄でもなかった。夢と希望に胸を膨らませ、輝く瞳で未来を見つめておった。それがなぜ……ああ、思い起こせば300年前のあの日。お主が覚えたての変化の技を使って人前に飛び出して行った時、わしはもっと強く止めるべきじゃったのかもしれぬ。あの頃、あれほどまでに傷つくことさえなければ、今頃はきっと……」
突然、火噛が振り向き、ゴウ!と炎を吐いた。
ほんの一瞬のことではあったが、すさまじい炎が狸神を包み、そして消えた。
「いい加減にしろ!ただでさえ、俺ァ今、むしゃくしゃしてんだよ!それ以上
体中の毛をちりちりに焦がされた福寿郎狸だが、曲がりなりにもそこは神。眉一つ動かさず泰然としている。……周りの豆狸達はまだそこまでの徳を積んでいないようで、ぎゃあぎゃあ騒ぎながら、半狂乱で火を消そうとしているが。
不意に、福寿郎狸の表情が変わった。
みるみる内に丸い目が涙で潤みだすのを見て、火噛はぎょっとして後ずさる。
「そ……そ……そこまで言わんでもええがね……ッ」
神としての威厳はどこへやら。
一転してノタ坊主であった頃の口調に戻り、袖で顔を覆っておいおいおいと泣き出してしまう。
「おい、親父……」
「そりゃ……そりゃ、俺とおみゃーは血がつながっとらんがよォ……それでも俺は、おみゃーを本当の子だて思って育ててきた。こんなに心配しとるのに、なんでわかってくれにゃーのか……うっ、うっ、うえっ、うええええん……っ」
おんおんおん、と声を上げて泣くノタ坊主の袖が、涙で重くしおれてゆく。周りを取り囲む豆狸達まで、つられたようにめそめそし始めた。
火噛は立ち上がり、もどかし気に足踏みをした。
昔から、涙は苦手だ。
目の前で誰かが泣いていると、どうにも気持ちが落ち着かず、何かをせねばならないような気がしてならない。
とうとう火噛は弱り切って声を上げた。
「わーっぁったよ!!一先ず、あの小僧どもの面倒みりゃいいんだろ?旅でもなんでもつき合ってやるよ!朝飯前だ、そんなもん!」
「うっ、ううっ、ふっ、ふえっ……うふっ、うふ、うふふ……っ」
何やら様子がおかしい。
よく見ると、掲げた袖の影から覗くノタ坊主の口の端が、笑い出しそうにひくひくとしている。
謀られたか。
火噛は、真っ白な毛が赤く染まって見えるほど血を上らせた。
「この狸爺が!馬鹿にしてやがんのか!?」
耐えかねたように、福寿郎狸は声を上げて大きく笑った。
ひとしきり笑った後、ふうと息をつき、慈愛に満ちた瞳で火噛を見つめる。目じりには嘘ではない、本物の涙の粒が光っていた。
「火噛よ。わしにはお主の
お前は本当に良い子じゃ。目の前で涙する者があればいてもたってもいられず、笑うものがいればともに喜ばずにいられない……そういう
「……何言ってんだかわかんねェよ、全く」
全身のむずがゆさが止まらず、火噛は憎まれ口をたたきながら、その場に丸まって目を閉じた。狸の弟子だけに、狸寝入りである。
福寿郎狸は、大きすぎる愛弟子の首に、短い腕を回して抱きしめた。
「悪ぶって自分を大きゅう見せる必要などない。お主は優しい。そして、強い。きっといつか、衆生を救う、よい神になれるよ。……わしはそう、信じておるよ」
……気がつくと、福寿郎狸も、大勢の豆狸達も消えていて、あたりはとっぷりと夜に暮れていた。
火噛はどっと疲れを感じ、その場でうんと伸びをして、今度こそ本当に眠りの世界に落ちて行った。
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