第十三話

「……さっきは怒鳴ったりして、ごめんなさい」


 兎の背を撫でながら、出し抜けにぽつりと謝った。


「自分でも、めちゃくちゃなことを言っているのは、わかっているの。私を助けるために戦ってくれたのに、暴力はやめろだなんて……」

「……いや」

「心配したのは確か。でも、あなたのためじゃない。自分のせいで誰かが傷つくことに、耐えられなかっただけなの。私はもう既に、たくさんの人を犠牲にして生きてきたから……」


 震えそうになる声を、抑えながら言葉を続ける。

 涙で誤魔化したくはない。動揺を誘って、無理やり納得させるようなこともしたくない。ちゃんと言葉で伝えたい。

 銀作にもその気持ちが伝わるのか、黙って月乃の言葉を待ってくれている。


「あなたは私の恩人」

「…………」

「私にとっては、もう大事な人なの。だから、傷ついてほしくない。苦しい思いをしてほしくない。何もかも頼っておきながら、こんなこと言えた義理じゃないけど、お願いだから自分の身を危険にさらすようなことはしないでください」

「……だども、おらは男だし、そんたに心配しねでも……」


 カッと胸が熱くなり、月乃は銀作の方に身を乗り出した。膝の子兎も遂にびっくりして目を覚まし、ぴょんと跳ねて茂みの奥へ逃げていく。


「ん、もう!だから、それをやめてほしいって言ってるのに!」

「あ?」

「男だろうが女だろうが、人間、無理を越えれば倒れるんです!怪我や病を得た体には、滋養と薬と休息が必要なんです!あなたが自分より周りを優先して頑張ってしまう人なのはわかってる!でも、傷つくあなたを見ながら、何もできない周りの者だって辛いんです!そういう気持ちがあるってこと、わかりませんか⁉」

「……いや」


 急に五歳の子供のような顔になって、銀作はこくんと頷いた。


「わがる」

「そうでしょ⁉」

「うん。……すまながった」


 ふうっとため息をつく。ほっとした拍子に、月乃は思わず声を上げて笑ってしまった。

 銀作は目を細める。微笑み……とまではいかなかったが、強面の顔がわずかにゆるんだ。


「……そうやって、何でもはっきり言ってくれる方が助かる」

「そうですか?」

「何でもいい。疲れたとか、腹減っただとか……おらの顔がおっがなぇとか」


 あっけにとられて目を瞬く。最後の一つは月乃を笑わせようとしたのか、それとも本気で気にしているのか。


「お顔が怖いと思ったことは無いですよ」

「……んだか」

「そうですねぇ……」


 改めて銀作の顔を覗き込むと、銀作は驚いた様子で身を固くする。

 くっきりとした太い眉の下にある、一重瞼の両眼。

 黒々とした瞳の中に、自分の姿が映っているのが見える。

 見入っている内にうっかり鼻先が触れあいそうになり、銀作が居心地悪そうに視線を泳がせた。


「……どちらかというと、かわいらしいお顔だと思いますよ?」

「か……⁉」


 心外だと言うようにのけぞった銀作の顔が、見る見るうちに赤く染まっていく。

 目がまん丸に見開かれていて、いっそう幼く見える。


「かわいいですよ。銀作さんは、かわいいです」

「からかうんでね……」


 面白くなってつい言葉を重ねると、銀作は耐えかねたように片手で顔を覆った。

 月乃は、うふふと笑い声をもらした。

 一瞬、手を伸ばしてその頭を撫でてやりたいような衝動に駆られたが、流石に子ども扱いが過ぎると自重する。


(こんな気持ちなのかしら……子どもをもつ、お母さんの気持ちって。)


 銀作の母ならば、本来の月乃の年齢よりもずっと下のはずだ。七つになったばかりの我が子を遺してゆかねばならず、どんなにか辛かったことであろう。見も知らぬ若い母親の心に思いを重ね、月乃は胸が苦しくなった。


 いつのまにか笑みを消して、じっと銀作を見つめてしまっていたらしい。銀作はとまどった表情を見せたが、やがてひとつ咳ばらいをすると、強引に話題を変えた。

 

「あの番頭の……」

「庄九郎さん?」

「あんたに、幸せになれって言ってた。……そういう気持ちは、おらにも覚えがある」


 庄九郎は確かにそう言った。すべてを忘れて、幸せになってくれと。

 人生の全てをかけて傍にいてくれた人。

 それなのに幸せにすることはできなかった人。

 その想いが、自責の念が、いつか月乃のしがらみになるであろうことに、庄九郎は気づいていたのかもしれない。


(でも、忘れられないわよ。……忘れられるわけないじゃない)


 きっとこの先、何度でも思い出す。

 誰に望まれなくても、何の救いにもならなくとも、ずっとずっと思い出す。


 銀作の中にも、どうしようもない思いがあるのかもしれない。

 若くして亡くなったという母。病で長く患ったというその人に、幸せを感じさせたかったのかもしれない。世の中にある、美しいものや珍しいものを見せてやりたかったのかもしれない。


「迷惑なんかでねぇから……別に、いづまでだってついで来てかまわねから。あの屋敷では見られなかったもの、あんたが見づけられたらいいって……おらはそう思ってる」

「……ありがとうございます」


 震えそうになる声を抑えて、微笑んで見せる。


「まだまだ長生きしなくっちゃいけませんね……私」

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