第八話

「……おらとお月さんはそういう仲でねぇ。何べんも言ったべ?」


 お結は憤慨した様子で立ち上がった。左手を腰にあて、右手の人指し指を突きつけてくる。


「子どもだと思って甘く見ないでよ!」

「人を指さすんでね」

「おたなの娘と常連客が、手に手を取って家から逃げ出すなんて、なんかあるに決まってるでしょ⁉何て言ったっけ……そう、最近流行りの『中落ち』ってやつ!」


 『駆け落ち』と言いたいらしい。


「こないだなんて、二人して納屋でいやらしい話してたじゃない」

「はァ⁉」

「男の人のナントカがどうだとか、精をつける薬がどうだとか」

「………あれか」


 それには思い当たる節があったので、銀作は頭を抱えた。実際には製薬談義をしていただけで、想像されるような艶っぽい意味は全くないのだが、銀作が否定しないものだから、お結はますます勢いづいた。夢見るような顔で指を組み合わせる。


「可愛そうに……『もう子供じゃない』なんて、お月ちゃんたら、あんなに必死で訴えて。誤魔化してないで、ちゃんと考えてあげなきゃだめよ!花の命は短いんだから」


 やれやれ、と銀作はその場を離れた。

 縁側に腰を下ろし、煙草盆を引き寄せて、煙管に火を入れる。山では喫煙が厳禁なので普段から滅多に吸うことは無いが、煙が嫌いなお結が離れてくれればと思ったのである。

 お結は蚊取り線香を前にした夏の虫のように、じりじりと距離を取りながら銀作を睨んだ。


「……好きとか、嫌いとか、そういうんでねぇ」


 できるだけ時間をかけて紫煙を吐いた後、銀作はぼつりと呟いた。


「でも、大事には思ってるんでしょう」

「不幸せになれとは思わね」

「それは幸せにしたいってこと?」

「幸せに……なればいい、と思う。だども、それはお月さんが自分で考えるごどだ」

「ずるい男」


 思わず、ぶふ、と煙にむせる。

 お結は芝居がかったため息をつくと、いっぱしのいい女のような顔をつくり、頬に手を当てて流し目をする。


「女の子に優しくして、世話を焼いて、気ばっか持たせてさ。肝心なことは言わないで、最後は勝手に幸せになれなんて、ずるいじゃないの。あたし、銀作さんはもうちょっと骨のある人だと思ってたんだけどな」


 随分な言いようだが、少々耳が痛い部分もあり、銀作は苦い顔になる。銀作自身、中途半端に手を差し伸べているような現状に、そこはかとない後ろめたさのようなものは感じているのだ。


「ねえ。男の人は何にも考えないで気ままに振る舞ってるのかもしれないけどさ、女はその意味を考えちゃうのよ。お月ちゃん、時々すごく不安そうな顔してる。銀作さんの重荷になってるんじゃないかって、心配してたこともあったわ」

「…………」

「別に、すぐに所帯を持とうとか、そういうことじゃなくてもさ。せめて銀作さんが今思ってることを、ちゃんとお月ちゃんに言ってあげてよ。言葉にしないと伝わんないわよ」


 煙管の吸い口を噛む。上下する雁首を見つめながら、銀作はしばし考えに耽った。

 言葉が足りない……とは、確かによく言われる。沈黙は金というし、不用意に何か言って相手を傷つけるよりは、黙っている方がいいと思っていた。しかし、そうして黙している自分の姿は、思っている以上に、周囲の目には冷たく映るのかもしれない。

 

 どうしたものか考えていたところに、姉さんかぶりをしたお町がやって来た。心配そうに眉を寄せている。


「ね、あんたたち。お月さんを見たかい?」

「え?」

「朝、蓬取りに出て行ったきり、姿が見えないんだよ。そう遠くまでは行かないって言ってたんだけどねぇ……」


 そろそろ、時刻は昼八ツ半(午後二時)といったところである。弁当も持たずに出かけたらしいから、昼までには戻るつもりだったのだろう。何かあったのかもしれない。


「迷ったってこともないだろうけど、ちょっと迎えに行った方がいいかもしれないねぇ」 


 お結が脇腹を小突いてきた。良い機会だ、と意味ありげな視線を送ってくる。

 銀作はため息をつき、煙管を盆に打ちつけて、雁首の灰を落とす。

 カツン、と小気味のいい音がした。


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