第七話

 駕篭一杯に蓬を摘み終えると、つい欲が出てしまった。

 これだけいい日和ならば、山の中にも様々な山菜が芽吹いていることであろう。まだ日は高いので、ほんの少しだけ山裾を歩いてみよう。……そう思って、林の中に入ってしまったのである。


 異変に気付いたのは、それから間もなくのことだった。


「……あら?」


 ホー… ホケキョッ


 ほど近い木の枝に鶯がとまっている。

 春の鳥だからそれはおかしくない。しかし、これほど近くに人間がいるのに、三羽同時に集まって来るというのは、あり得るのだろうか。


 ホーホケキョッ

 ケキョケキョ

 ケキョピッ


 見ている間に、もう三羽集まって来た。どうやら、あまり歌が上手くないのも混じっているらしい。


「……みんなでお歌の練習?」


 首を傾げていたら、不意にくるぶしをふわっとした物が撫でた。悲鳴を上げて見下ろすと、野兎がまとわりついている。


「あらあら……」


 踏みつぶしては大変なので、一先ず兎を抱き上げて、その場に腰を下ろした。

 たちまち、背を預けた木の上から、ちょろちょろと降りてきた栗鼠リスが肩に乗る。

 ガサガサと茂みが動いたかと思うと、鹿の親子と、猪の親子が顔を出す。


「まあまあ……」


 大型の獣を前にして、流石に慌てたが、不思議なことに獣たちに害意は無い様子である。

 小鹿は月乃の膝に頭を預け、瓜坊はぐいぐいと鼻づらを押し付けてくる。彼らの親は、少しだけ距離を置いて膝を折り、眠るように目を閉じる。


 気がついたら、すっかり山の獣たちに囲まれていた。


「どうしたらいいの……?」


 動くこともできずに途方に暮れる。

 こんなことは初めてだ。一体、何に惹かれて獣たちが出てきたのか、とんと見当がつかない。


「私、食べ物なんて持っていないわよ。ねぇ……」


 兎の背を撫でながら話しかけてみるが、口元をもぐもぐさせるだけで、答えてはくれない。


 その状態のまま、しばしの時が流れた。

 家を出たのは朝四ツ(午前十時)頃だったというのに、いつのまにやら日は中天を通り過ぎ、やや傾きかけている。

 そろそろ帰りたいところだが、獣たちは月乃の事情などお構いなしに、のんびりとくつろいでいる。


「この調子じゃ、そのうち熊や狼でも出てきそうね……」


 深く考えず発した言葉だったが、噂をすれば影である。

 不意に、膝の上の兎が、ぴんと両耳を伸ばした。


「どうしたの?」


 問いかけると同時に、獣たちは一斉に立ち上がり、駆け出した。土埃が目に入りそうになり、月乃はとっさに袖で顔を覆う。

 傍の木々に安らいでいた鳥たちが、鳴きながら飛び立ってゆく。

 強い風が吹き、流れ来た雲が頭上の太陽を隠し、辺りは大きな影に包まれた。

 

 月乃は立ち上がり、蓬の駕篭を胸に抱いて、後ずさった。

 木立の奥に、輝く獣の眼が見える。

 一対ではない。

 ちょうど額と思しき所にもう一つ……合計三つの目玉が月乃を見据えている。

 荒い息遣いと、小枝を踏みしめる足音が聞こえる。

 さながら蛇に睨まれた蛙のごとく、月乃は息を殺してその場に立ちすくんだ。




――――


カン!と良い音を立てて、薪が二つに割れる。

 新しい薪を台に据え、銀作は再び斧を振りかぶった。

 少し離れた切り株にお結が腰を下ろし、こちらを眺めている。どことなくけだるい風情で頬杖をついており、十歳の子供にしては妙に大人びた雰囲気を醸している。


「銀作さん」

「……ん?」

「今日はお山に行かないの?」

「……んん」


 銀作は手を止めず、おざなりに返事を返す。

 マタギは山入りをするにも作法を守る。天気が荒れそうな日に出立を控えるのは当然だが、その他にも大安吉日を選ぶなど縁起の良し悪しも気にするのである。十二支で言えば、丑、虎、戌の日は良しとされ、逆に良くないのが申の日だとされていた。この日は壬申みずのえさるの日だったので、山入りを控え、彦一の手伝いをして過ごすことにしたのだ。


 カン!とまた一つ薪が二つに割れる。

 何が面白いのか、お結は作業をする銀作の様子をただじっと見ている。

 銀作もまた、気にせず黙々と仕事を続ける。

 女子供は苦手だ。何かと気を遣うことが多くて難儀する。しかし、お結は妙に胆の座ったところがあって、むやみに銀作を怖がったりしないので、気が楽なのだった。

 しばらく両者無言のまま時が流れたが、出し抜けにお結が口を開いた。


「ねえ。銀作さんはいつお月ちゃんと夫婦んなるの?」


 ゴン!……と先ほどまでとは違う音が響いた。 

振るっていた斧の先が、目算を大きく外れて、深々と台に突き刺さっていた。

 銀作は屈めていた腰を伸ばしつつ、首にかけた手拭いで額の汗を拭う。冷や汗が滲んでいるように思うのは、きっと気のせいだ。


「……なした?藪から棒に」

「別に藪から棒じゃないわよ。あたし、お月ちゃん大好きだもの。今は一緒に遊んでもらえるし、夜も隣で眠れるけど、旦那さんができたらそういうわけにもいかないでしょ?だから、いつか来るその日のために、心の準備をしておきたい。いつまでお月ちゃんを独り占めできるのか、知っておきたいわけよ」


 いつの間にやら随分と仲良くなったものだ。

 銀作は深々と突き刺さった斧をやっとこ引き抜き、散らばった薪を集めた。

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