第三話

「……あなたの後について行くことを、許してはいただけませんか」


 食事を終えた後、月乃は銀作の前に手をついて希った。

 『連れて行ってほしい』ではなく『ついて行きたい』と言ったのは、決して迷惑をかけないから、という意思を伝えるためだった。勝手について行くから、気を遣う必要はないと伝えたかった。


「決して迷惑はかけません。ずっととも申しません。生計たつきを立てることができたら、すぐにお暇します。ほんの少しの間だけ、どうか……」


 当てが何もないわけではなかった。月乃には製薬の知識と技術がある。販路を築くには時間がかかるだろうが、自分一人食べていくことくらいは、きっとできるだろう。

 しかし、自分は十四の時から屋敷の外へ出たことが無い。世間のことは何も知らず、また、その世間自体、幼い頃に見たものとは大きく変わってしまっているだろう。そこへ女の身一つで飛び出して行けるほど、向こう見ずにはなれなかった。


 銀作はしばし押し黙っていた。俯く月乃からはその顔が見えないが、硬く両腕を組む姿からは、目に見えるような困惑が伝わってくる。

 それでも、月乃は頭を上げることができなかった。

 銀作はこの家に吹き込んだ新しい「風」だ。

 この風に乗らなければ、二度と外には出ることはできない気がした。


「……おらァ、女の人の扱い方を知りません」


 ようやく開かれた重い口から紡がれたのは、妙にしゃちほこばった、たどたどしい言葉だった。


「山神様がおなごさ嫌うんで、マタギもおなごさ遠ざけるもんです。おらにとっちゃ当だりのごどでも、あんたにとっちゃ不快に思えるごどさあるがもしんね」


 はて……と月乃は内心首を傾げた。武骨な言葉には、思ったよりも細やかな気遣いが込められている。

 銀作は続ける。口調がやや早口になっている。


「少なぐとも、山さ入る時は、あんたはさどのごってもらう。……そんで得心してもらえんなら、別に……ついできでもらっても、かまわね」


 月乃は顔をあげた。

 銀作は腕を組んだまま、そっぽを向いている。

 しかし、確かに聞いた。「かまわない」と。

 

 雪がとけるように緊張がゆるんで、月乃は思わず微笑んだ。


「よろしくお願いします」

「……おう」


 こうして、マタギ猟師と町娘という、奇妙な二人組が結成されたのである。

 



―――


 庄九郎たちの弔いを終えた翌日、生家を出た。

 久方ぶりの外の世界は、まぶしかった。

 真上から降り注ぐ日の光を浴びたのは、いつぶりだろう。

 師走の町をゆく人波と人声の渦は、あまりにも活気にあふれていて慌ただしく、海原を漂うように息苦しい。

 

 この人たちには、私の姿がどう見えているのだろう―――ひとたびそんなことを考えてしまったら、なんだか自分の全てがみっともないように思えて落ち着かなくなる。穴倉から這い出たばかりの土竜もぐらのような気持ちで、月乃は銀作の背中に隠れるように身を縮めた。


 銀作は人波の中をずんずんと歩いた。

 どこへ行くのか、どこまで行くのか皆目わからないが、決まった目的地があることは確かなようだ。

 歩幅が全く違うので、月乃は小走りになる。

 置いて行かれる―――心細くて、思わず手を伸ばした。

 肘の辺りの袖をちょんとつまむ。

 瞬間、弾かれたように銀作が振り返った。


「ごめんなさい」


 不快だっただろうかと、すぐに袖を放す。

 銀作は何も言わずに前へ向き直った。しかし、歩調は少し緩やかになった。


 途中、手土産を買うと言って、菓子屋に立ち寄った。店が狭いので、月乃は近くの出店を見るともなく見て時間をつぶすことにした。

 この五十年で、やはり世の中は随分変わったようだ。町を歩く人々の着物も、髪型も、見たことがない形が多くある。売られている役者絵も、知らない顔ばかりだ。

 いつか、幼馴染のお千夏ちゃんが贔屓の役者を教えてくれたっけ……そう、ぼんやりと思い返しながら絵を眺めていた時、隣に立っていた男が、ずいと体を寄せてきた。


「失礼」


 邪魔だったか、と月乃は一歩離れる。

 男は何も言わず、なおもずいずいと体を押し付けてくる。男と人波の間に挟まれて、身動きがとれなくなった。

 どうしたものか……困っていた時、銀作が速足で戻って来た。


「おい」

 

 肩を掴まれ、怒気を含んだ低い声とともに引き寄せられる。何か粗相をしてしまったかと身をすくませたが、銀作は月乃を見ていなかった。


「おらが連れに何が用だか?」

「す、すんません……!」


 ぎろりと睨まれた男は、月乃の臀部の辺りに伸ばしていた手を慌てて引っ込めた。引きつった顔に、へつらうような下卑た笑みを浮かべ、ぺこぺこと体を折りながら、小走りに去っていく。

 パッと銀作の手が離れた。

 助けてくれたのだ―――一拍遅れて月乃は気づいた。


「あの……ありがとうございます」


 小走りに後を追うと、銀作は軽くうなずくだけで、こちらを見ようともしない。


 とん、と胸を押されて突き放されたような気がした。

 迷惑をかけているという自覚。そして、これからどうなるのかという不安で、胸がいっぱいになる。

 涙がこぼれないようにぐっとこらえながら、遅れないよう、必死に銀作の後に続いて歩く。

 吹き付ける寒風が頬を撫でるたびに、霜焼けになりかけの頬がひりひりと痛んだ。

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