第二話
突き抜けるような空の中に、真昼の白い月が浮かんでいる。
キンと冷えた空気の中、青空に向けてふうっと白い息を吹きながら、月乃はそっと顔の上に右手をかざした。
白い手指と爪の間に、まだ落ち切らない土が残っている。
障子を全て開け放してはいても、屋敷の中には、まだ湿った土と血の匂いが充満していた。
この屋敷の中で、月乃は六十年以上もの長い年月を生きた。しかし、その肌はふっくらとして皺ひとつなく、十七歳の乙女の姿をしている。
すべては『
叢雲が死んで間もなく、庄九郎もまた息を引き取った。長年、心臓の病を抱えていながら、無理を続けたのが祟ったのであろう。更には、屋敷の床下から、叢雲に喰われた七人の遺骨まで出てきた。
銀作は月乃に代わって町名主の屋敷に出かけ、事の次第を説明してくれた。町名主の美濃屋・与兵衛は話の分かる人物で、今日の内に庄九郎を含めた八人、そして『叢雲』を手厚く弔うよう手配すると約束してくれた。
準備が整うまで、庄九郎の遺体は別室に安置し、他の遺骨は壺に納めておくことになった。
銀作が土を掘り返し、月乃がひとつひとつの骨を拾って、丁重に壺に納めた。
一通りの仕事を終えた後、銀作は汚れた手と顔を井戸の水で清めた。そして、「
屋内とはいえ、師走の寒い朝のことである。月乃はその部屋の障子を締めると、たっぷりと綿の入った掻い巻きを運んで来て、銀作の上にかけた。そしてまた、うんうん言いながら火鉢を移してきて火を入れた。徐々にぬくもってゆく空気の中で、そっと銀作の顔を覗き込む。
(……険しい顔)
眠る銀作の眉間には、深い皺が一本刻まれている。心なしか息も乱れているようだ。もしかすると、怪我がもとで発熱しているのかもしれない。
(やっぱり、無理をしていたのね……)
いいや、違う。無理をさせてしまったのだ。
こんなにも無理をさせてしまったのは月乃のせいだ。
そっと額に手を当てると、やはり少し熱を持っていた。冷たい月乃の手が心地よいのか、ふっと銀作の面から力が抜けた。こわばりの溶けたその顔は、思いのほかあどけなく見える。
(……助けてくれて、ありがとう)
少しでもその安らぎが続くように、月乃はしばしの間、銀作の額に手を当て続けた。
――――
銀作が目を覚ましたら、何か温かい物でも腹に入れさせてやりたい。
厨を覗くと、昨日の晩の味噌汁が残っていた。
戸棚には香の物。
米は、その日一日食べる分だけを、毎朝庄九郎が炊いてくれていたから、お
「これじゃ足りないわよね……」
頬に手を当てながら、一人ごちる。
実のところ、月乃は料理をしたことがほとんどない。「台所仕事なんて、お嬢さんにさせられません」と言って、庄九郎がやらせてくれなかったのである。
とはいえ、この五十年、暇に飽かせて料理書は色々と読んだから、飯の炊き方自体は知っている。「なんとかなるわ」とおっかなびっくり火をおこし、米を炊いた。初めて炊いた米はふやふやで、そのくせ芯が残っていた。
膳を持って部屋に戻ると、銀作は既に目を覚ましていた。腕に巻いた晒し木綿を半分外し、怪訝そうな顔で傷の状態を見ている。
「おはようございます」
声をかけると、こちらを向き、黙って会釈をする。そのまますぐに晒しを巻きなおしてしまったので、月乃からは、傷の様子がよく見えなかった。
「こんなものしかないんですけど……」
言いながら、温め直した味噌汁と、てんこ盛りのふやふや飯が載った膳を出す。銀作は軽く会釈をすると、慇懃に両手を合わせ、箸を取った。
銀作はしばし無言でふやふや飯を頬張っていた。時折、お香こを口に放り込み、ぽりぽりと良い音をさせて噛む。
美味いとも不味いとも言わない。
顔にも出さない。
(……お米、大丈夫かしら)
気になってつい、じぃっと見つめてしまう。銀作は月乃の視線に気づくと、少し たじろいだ様子で箸を止めた。そして、じっくりと飯を咀嚼して呑み込んだ後、熱い汁をぐっと飲み、
「……
ほお、と熱い息と共に、ぼそりと言った。
結構なことである。とはいえ、その味噌汁は庄九郎が作ったものなのだが。
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