第三章 火喰いの真神 ー火噛編ー

序章

 ホノガミと呼ばれた狼の話をしよう。

 ただの狼ではない。額に第三の目を持ち、並外れて大きな体と力をもつ妖狼ようろうである。


 しかし、決して初めからそうだったわけではない。

 生まれたばかりの彼は普通の山犬……今でいう所のニホンオオカミであった。

 当然、三つ目ではなく、顔の前に二つの琥珀色の双眸を持つのみである。

 特別な技を持つわけでもなく、むしろ兄弟たちと比べても、体は小さく弱かったと言っていい。

 それゆえに群れからはぐれた。子どもの頃から、一匹狼として生きてゆくことを余儀なくされた。


 しかしホノガミ―――当時はまだ名もなき狼であったから、仮に「シロ」と呼ぶことにしようか―――シロには並の狼とは、少し違うところがあった。突き抜けて高い自尊心である。

 狼という種族は、もともと誇り高いものであるが、シロのそれは度を越えていた。ともすると身を滅ぼしかねない、愚かしいほどの負けん気の強さを先天的に宿していたと言ってもいい。


 ある年の秋、シロはひどく飢えていた。

 前年の秋は実りが少なかったために、狼の糧となる草食動物が激減していたためである。

 空腹のあまり判断力が著しく下がったところに、旅人が煮炊きに使い放置した焚火を見つけた。そして、そこに微かに残っていた食物の香りにつられて、燻ぶるおきを呑んでしまった。

 たちまち胃の腑を焼かれ、シロはその場でのたうち回った。

 もがき苦しむ彼の内に湧き上がって来たものは、しかし、死への恐れではない。

 強烈な怒りであった。


―――この野郎!

   誰に断って、俺様の腹の中で暴れまわっていやがる!

   従え!従わねば、腹中で溶かし、こなしてくれる!


 凄まじい怒りは狼の身の内を駆け回り、肉体をも変化させ、その額にぐわりと第三の目を開かせた。


 炎の神とは押しなべて苛烈なものである。

 有名どころでは、誕生と同時におのが母神を焼き殺した火之迦具土神ヒノカグツチの例があるが、この時シロを苦しめていた炎の神もまた、そういった怖しいさがを有していた。

 そんな荒神でさえ、腹の中で縮み、震えあがるほどの剣幕であった。すっかり大人しくなった火の神子は、この狼に服従し、炎を自在に操る力を授けた。

 以来、シロはあやかしとなり、「むもの」―――「火噛ホノガミ」とあだ名されるようになったのである。



―――


 さて、この火噛には、並の狼とは大きく異なる点がもう一つあった。人間の娘を好んだことである。食肉としてではない。性愛の対象としてである。

 なぜ?……なぜと問われても困る。そのように生まれついてしまったからとしか言いようがない。「好み」というのはそういうものであろう。


 始まりは、とある姫君であった。

 春の野山に遊びに出た、ひとりの美しい姫君に、火噛はすっかり恋に落ちてしまった。


「あの人間の姫を、なんとしても俺の嫁にしてやろう!」


 そのためにはまず、人間の姿になって、姫に会いに行く必要があると思ったが、あいにく狼は変化の術に長けてはいない。


 そこで火噛は考えた。不得意なことならば、得意な者に習えばよい。変化が得意な獣といえば、狐や狸をおいて他にはない。狐……狐はなんだかツンツンしていて、とっつきにくい。狸に習うのがよかろう、と。


 そこで、近くの山に住む、「ノタ坊主」という狸を訪ねてゆくことにした。ノタ坊主は大変酒好きな化け狸で、時折人間の姿に化けては、酒蔵に忍び込んで酒を喰らっているという。


 火噛がノタ坊主を訪ねてゆくと、山は一時騒然となった。何せ狼といえば、山の生態系の頂点に君臨する存在である。「逃げろ!食われるぞ!」と獣たちは一目散に駆けだした。

 当然、ノタ坊主も逃げようとしたが、当の狼が「ノタ坊主はいるかぁ」と大声で呼ばわるものだからたまらない。他の獣らのみならず、実の子どもらにまでせっつかれ、しかたなく、白黒のだんだら模様のでんちを来て、おずおずと姿を現したのである。


「わ、わしがお探しの『ノタ坊主』ですが……狼の旦那、此度は一体、どういうご用件で……?」

「あんたが化け狸のおっさんか!俺に化け方を教えてくれよ」

「へっ……」


 これにはノタ坊主も、もともと丸い目を一層丸くしたが、事情を聴いて「なるほど」とうなずいた。同時に、これはまたとない好機とも考えた。

 よく見ればこの狼、体こそ大きいものの、年の頃はまだまだ若い。妖として見れば赤子も同然である。変化の術を授けるとなれば、この狼はいわば、ノタ坊主の弟子。これを従え連れ回せば、まさしく虎の威を借る狐……いや、狼の威を借る狸だ。この若狼を利用せぬ手はない。

 ノタ坊主は喜んで火噛に変化の術を伝授し、返礼として、その背に乗って、野山をのし歩くことを許されたのである。狼と古狸。奇妙な組み合わせであったが、そこにはいつしか親子同然の絆さえ芽生えた。火噛はノタ坊主を「親父」と呼び、ノタ坊主もまた火噛を実の子のように慈しんだ。


 その後どうなったか―――結論をいえば、火噛の初恋は成就することは無く、ノタ坊主はその後間もなく、人間の駆る馬に蹴られて死ぬという、なんともあっけない最期を迎えた。 

 しかし、ここまで語って来た一連の出来事が、全くの無駄であったわけではない。これらのことがあったおかげで、かつてひ弱な一匹狼であった火噛は、炎を従え、変化を能くする妖狼として生まれ変わったからである。

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