第二十一話

 泣きむせぶ首の一つ一つに、人魂たちがふわりと近づいた。銀作の弾丸に宿っていた魂たちである。彼らは冷たい体を温めるように、やさしく首たちに寄り添った。

 首たちの声が少しずつ小さくなっていった。憂いが消えることは無かったが、眠るように静かに目を閉じている。


「……道は、見えだが?」


 ぽつりとこぼすように、銀作は不知火に話しかける。

 一番近くにいた人魂が、答えるように炎を揺らす。


「……まだ、わがらねが。ん……んだべな。だども、探してくれるんが。うん……頼む。……連れでってやってくれ」


 ふうっ……と人魂が宙に浮き上がった。

 首たちも、連れられるようにふうっと浮き上がる。

 耳まで裂けていた口は、いつの間にか端から癒えて人間の口になり、開いた瞼の下からは丸い瞳孔をもつ黒い瞳が現れた。

 真右衛門、長吉、お縞、巳之介、くちなわ、水太、そして五平……妖の一部ではなく、おのれを取り戻した七人の魂は、最後には人間の姿に戻り、静かにいずこかへ消えていった。


 


 瞬間、化生の叫びが屋敷に轟いた。

 ただ一つ残った蛇の首が、激高して暴れ出した。

 それこそが七人の人間を取り込み、長年月乃を狙い続けていた大元―――おぼろ堂の守り神・ “叢雲むらくも”の正体であった。

 七つの首を失い、身軽になった大蛇は、傷口からだらだらと血を流しながらも、すさまじい速さで銀作に襲い掛かって来た。


「あぶない!」


 月乃は悲鳴を上げた。

 噛みついてた一撃を、銀作は辛くもかわした。しかし、間髪入れず襲って来た二撃目はかわしきれなかった。とっさに火縄銃で顔を庇う。大蛇の鼻先が火縄銃を弾き飛ばし、銀作もまた畳に転がされた。


「銀作さん!」


 銀作は受身をとって転がると、マタギ犬のように身を低く屈めて、月乃のいる衝立の前に走った。腰の山刀を抜き、切っ先を大蛇に向ける。濡れたように光る刃は鋭く研ぎあげられているが、刃渡りは一尺にも満たない。到底渡り合えるとは思えないが、油断なく大蛇を見据える銀作の目は強い光を宿し、決してあきらめてはいなかった。


 大蛇が再び襲い掛かろうとした時、ぐん、とその身が後ろに引かれるようにして動きが止まった。

 庄九郎だ。庄九郎が、その身に抱き着いて、満身の力で引き留めていた。


「庄九郎さん!」


 衝立から身を乗り出して、月乃は叫んだ。

 庄九郎の両手は、大蛇の体に沈み込むように、ずぶりと突き刺さっていた。皮膚と皮膚が癒着したかのように継ぎ目がなくなり、庄九郎の腕にもふつふつと蛇の鱗が浮き上がっている。


「……何を驚いているんだ。私を取り込もうとしたのはお前自身じゃないか」


 皮肉な笑みを口元に浮かべながら、庄九郎は満身の力で大蛇を抑え込んでいる。


「銀作どの、撃て!」

「だめよ!」

「撃ってくれ!俺に当たってもかまわん!」


 銀作はパッと駆け出すと、弾き飛ばされた火縄銃を拾い、素早く装填を済ませた。不知火の炎を灯し、銃口を大蛇に向けるが、そのままぴたりと静止する。鋭く光る両目で、庄九郎を巻き込まずに撃てる隙を狙っている。眉間には深い皺が刻まれ、額にはふつふつと玉の汗が浮いている。

 大蛇はまとわりつく老人を振り払おうとするかのように、鞭のように体をしならせる。庄九郎は背中から壁に叩きつけられた。


「庄九郎さん!」


 涙に濡れた月乃の声が響く。

 庄九郎は壁と大蛇の体に挟まれ、両目を固く閉じ、浅い呼吸を繰り返していた。

 ふっと開いた瞼には、かつてのような優しい光が戻っている。


「お嬢さん……今更、何を言っても信じてはもらえないでしょうけどね。でも、思い出したことがあるんです。初めて変若水をちみずを求めて山を彷徨っていた十四の夜、私は満天の星に願ったんだ。必ず泉を見つけて帰るから、だからどうか……どうか、月乃お嬢さんを生かしてくださいって……」


 ぐんと、前に飛び出しかけた首を、庄九郎は再び引き戻す。

 弱った心臓に無理を強いたせいか、ひどく息があがり、苦し気にしている。

 苦しみながら、ひとつひとつ、真心をのせて言葉を吐き出す。


「俺は卑しい人間で……飲んだくれで助平な父親の汚い血をひく子どもだったから、あなたの隣を歩く未来なんて想像できなかったんだ。でも、それでもいいんだって……たとえ、一緒にはいられなくたって、あなたみたいな美しくて、心の清らかな人が、どこかで幸せに生きていてくれたら……そう思うだけで、救われる人間もいるんだって。そういう気持ちがあったのは、決して嘘じゃないんです。

 この世のどこかに愛しい花が咲いている……そう信じるだけで、世の中まだまだ捨てたもんじゃないって、そう思えるのが人間なんです。そのために、明日もお天道さんが昇るように、恵みの雨が降るように、心から願ってやまないのが人間なんです。そのためなら、なんだってできちまうのが人間なんです。おい、化物よ、聞こえるか。これが人間なんだよ。今までさんざ馬鹿にしてきてくれたもんだが、結局お前は、俺みたいなちっぽけな人間に抑え込まれて、手も足もでねェ。ああ……はじめっから手も足もなかったなァ。ざまァ見やがれ、こんちくしょうが!」


 泣き笑いの顔になりながら、庄九郎はぐいと大蛇の喉元を締め上げた。


「撃てェ!銀作どの!」


 大蛇が苦し気に大口を開ける。

 その瞬間を逃さず、銀作は引き金を引いた。

 ドン!と撃ち込まれた弾は、大蛇の口蓋を突き抜けて脳を撃ち抜いた。


 大木のような蛇体が傾いだ。

 ぐらり、ゆらりと、大きく左右に身をしならせた後、やがて大蛇は赤く染まった畳の上に、ずしんとその身を横たえた。

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