第十九話
今、月乃の目の前にいる庄九郎は、力を失くしてうなだれている。
胸の内をすべてさらけ出され、老いた体は抜け殻のようになって、妖たちに抱かれていた。
『のぉ、月乃嬢よ』
老人の首がゆらりと月乃の顔を覗き込んだ。
『なァ、もういいじゃあないか。あんた、この男をたぶらかして、今まで散々楽して生きてきたんだろう?もういい加減、生きるのにも飽いたはずさ。元旦など待つまでもない。早くこちらにおいでなさいよ』
老人の言葉を皮切りに、他の六つの首たちも口々に騒ぎ始めた。
『そうさ。働きもせず、三度三度飯を食って、この男が焚いた風呂に入って身を清めていたんだよなァ』
『日がな一日、むつかしいご本を読みふけってね』
『飢えも乾きも知らないで』
『夏の暑さも冬の寒さも知らねェで』
『最後に一度くらい、股を開いておやりよ』
『そうして、我らの所においで』
『そうすりゃ、俺らは、とうとうあんたを好きにできる』
『ああ、それにしても……』
女の首の一つが、婀娜っぽい溜息をつく。兵庫髷にいくつもの簪を挿した花魁のような首である。
『ほんに、つやつやとしたきれいな
『花びらのような爪は一枚ずつ剥がして、きれいな小箱に並べましょう』
『おいおい、そりゃあもったいない。あの白い手を肘から切り取って、剣山に生けるのも悪かねェよ。床の間に飾れば映えそうだ』
『きれいなおめめは、おいらにおくれよ。畳に転がしてあそぶんだい』
『ああ、くそ、忌々しい……生きてる頃なら真っ先に岡場所へ売ったものをよ。まァ、あんたの悲鳴を聞きながら、酒を呑むのも一興だわなァ』
次から次へと、無邪気な声音で、おぞましい言葉を吐きかけて来る。
月乃は両手で口を覆った。
震えが止まらない。
吐き気がする。
どんな未来も覚悟したつもりだった。
何もかも受け入れようと思っていた。
しかし、そんな覚悟などでは、到底足りなかったことを知る。
この家に眠っていたものが、これほど怖ろしいものだったなんて、想像もしていなかった。
口々に騒ぐ七つの首の中央で、小さく縮んだ蛇の頭が、しゃあしゃあと抗うような声を上げている。
頬に面皰のある少女の首が、うるさそうにかぶりを振った。
『ああ、うるさいねェ、
『あんたにゃ
『やかましいって?あんたが次から次へと節操なく人間を喰うから、こんなにたくさん首が生えたんじゃないか』
『今じゃァあんたが一番冴えない首さ。おとなしくしないと嚙みちぎっちまうよ』
七つの首は嗤う。
ますます、大きく口を開けて嗤う。
踊るようにくねくねと身をよじらせて、騒ぎ立てる。
わんわんと重なって響く哄笑にめまいがして、月乃はふっと気が遠くなった。
「―――ほおづき堂当主、
すう……と清涼な風が吹き抜けた気がした。
銀作が呟いた一言で、ぴたりと首たちの哄笑が止んだ。
老人の首が銀作を見つめている。愕然と目を見開き、凍りついたように動かない。
銀作は彼らに銃口を向けたまま再び口を開く。
青い炎を宿した瞳は、真実さえ射貫くようにまっすぐ前を見つめている。
「おぼろ堂の手代、長吉。女中のお
『やめろ』
強面の男の首が凄んだ。その名を聞くのを拒むように、ぶるぶると首を左右に振る。乱れた髷の下、むき出しの額にうっすらと「ナ」の字の入れ墨がある。
『やめろ。そいつらはもう
「関わりねェなんてごどねェぞ。芸州の盗人・
『やめろってんだよ、若造がよォ!』
カッと口を開け、五平の首が襲い掛かって来た。長い牙が銀作の喉を狙って真っすぐに向かってくる。
すかさず、銀作は引き金を引いた。ドン!と銃口が青い火を噴き、鉛の弾が五平の首を吹き飛ばした。ごん!と畳に落ちた首がひくひくと震えている。怖ろしい形相で銀作を睨みつけている。
残った六つの首は一瞬、ひるんだように身をすくませたが、やがて怖気をふるうと、次々に襲い掛かって来た。
「下がっでろ!」
銀作に言われ、とっさに月乃は衝立の影に身を隠した。
どっ!と足元に噛みついて来た遊女の首を、銀作は畳に転がってかわす。転がりながら
火縄銃は単発銃で、連射はできない。本来ならば、一発撃つごとに内部の清掃も必要である。そのため、銀作は大きさの異なる銃弾を数種類用意していた。徐々に弾の大きさを小さくしていくことで、清掃の手間を省いているのである。
ドン、ドン、と次々に不知火の弾丸が首を飛ばした。蛇の胴体から切り離された首が、熟れた果実のように、ぼとり、ぼとりと畳に落ちる。
「ひいぃぃ……っ」
子どもの首が怯えたように身を震わせた。逃げ場を求めて辺りを見回し、障子の方に向かって伸びる。
「動ぐな!水太!」
装填を終えた銀作が、火蓋を切りながら吠える。
水太は、びくりと動きを止めた。
火縄銃が青い炎を噴く。
弾丸は、水太の首と、鱗のある蛇の胴……そのつなぎ目を切り離すように撃ち抜いた。
七つの首が畳に落ちた。
ある者は呻き、ある者は恐怖に泣き、ある者は呆然と宙を見つめ、ある者は歯をむき出して銀作を威嚇する。
銀作は銃口を天に向けた。
左手で銃を抱え、右手で懐から何かを取り出し、首たちに見えるように高く掲げて見せる。
「思い出せ。お
十四の目が、銀作の手元に吸い寄せられる。
途端に彼らは震撼した。
全員がそれを食い入るように見つめながら、
銀作は彼らに向かって声を張り上げた。
「思い出せ。お前だちはそもそも、妖なんかでながったはずだ。お前だちさ殺しだんは誰だ。そんたどごに閉じ込めたんは誰だ。憎しみの
彼の手に握られていたもの―――それは、一つの位牌だった。
月乃の祖父・甚左衛門の名が記された位牌だ。
突然、少女の首が金切り声で叫び出した。
傷つけられた者が怒り、恐怖を振り払うために発する叫び声であった。
彼女はぶるぶると震え、泣きながらも、果敢に位牌に向かって体当たりし、床に落ちたそれに一撃を加えて叩き潰した。
途端に、他の首たちもまた動き出した。
甚右衛門の位牌に当て身を食らわせ、噛みつき、粉々になるまで打ち据え続けた。
打ち据えながら、彼らは泣いていた。
とめどない怒りと悲しみと虚しさに身を震わせながら、声を放って泣いていた。
「ちくしょう、ちくしょう、ふざけんな!ふざけんなよ、クソ
若い男の首が顔を真っ赤にさせ、地団太を踏むように何度も自身を畳に打ちつける。その下で位牌の破片は、既に砂粒よりも細かく粉砕されている。
ついに位牌が跡形もなくなると、彼らは疲れ果てたように、ぴたりと動きを止め、力なく畳の上に落ちて転がった。
深く重い悲しみが、慟哭とともに部屋に充満していった。
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