第十四話

「ま、『いばら姫』みたいに、みぃんな仲良う一緒に眠ってられたら、まだ救いがあったんやろうけどな。一人だけぽつんと取り残されたまま、周りの人間がどんどん死んでいくんは、しんどいことやったやろ。そのも、一人だけ残った番頭も、苦労したやろな」


 ひとしきりふざけて笑った後、幸吉はきりりと真顔に戻って、同情するように言った。銀作もまた、幸吉の襟首をつかんでいた手を放し、改めて与兵衛の方に体を向ける。


「名主様、正直に言っでけれ。……娘の噂が立つ前から、あの店の周りじゃ、何人も人が消えでだんでねが?」


 与兵衛は息を呑み、ややあって、感心したように嘆息しながら首を振った。


「流石ですね……いや、申し訳ない。隠していたわけではないのです。あの家との関わりがはっきりしなかったものですから、憶測で物を言うべきでないと思いまして……」


 与兵衛は懐から帳面を取り出してパラパラとめくり始めた。


「実は、方々に当たってみた所、先々代のおぼろ堂主、甚左衛門殿が存命の頃から、あの屋敷の近隣で、住人の不審死や神隠しが何度か起こっていたことがわかったのです。まず、かつてこの町内にあった売薬商、ほおづき堂の当主。おぼろ堂とは商売敵の間柄で、互いに互いを目の上のたんこぶのように思っていたようですね。この当主が、ある時不意に自邸で首を括った。きわめて快活な人物で、健康そのもの。前日の夜まで元気に酒を食らい、何かを思い詰めるような様子もなかったので、家中の者は皆、たいそう驚いたそうです。」


 そこまで言って、与兵衛は眉をひそめた。


「これだけでも引っかかる話ですが、問題はその後です。当主が自死したとあっては、外聞が悪い。店の評判が落ちることを恐れた息子は、病による急死ということにして、ひっそりと葬儀を終えたそうです。そして、御遺体を棺桶に入れて運ぶ途中……ちょうど、おぼろ堂の前にさしかかった頃、不意に担ぎ手が『桶が軽くなった』と騒ぎ始めた。―――蓋を開けてみると、確かに中は空っぽ。棺桶に入れたはずの御遺体が、煙のように消えてしまっていたそうです」


 似たような話はまだまだあるらしい。与兵衛は更に帳面の頁を繰る。


「二人目は新吉原の遊女、くちなわ。なかなか人気の遊女だったそうですが、これがまた何の前触れもなく、突然出奔した。楼主は方々手を尽くして探したそうですが行方は知れず。一時、おぼろ堂の甚左衛門が贔屓にしていた遊女だったため、そちらにも調べが入ったそうですが、甚左衛門は知らぬ存ぜぬの一点張りで、証となるものも何もなかったとか」


 与兵衛は更に頁を繰り、次いで痛まし気に顔をしかめた。


「三人目は……同じ町内に住んでいた、紺屋の子ども、水太みずた。まだ五つになる前の幼子です。夏風邪をひいて長屋で横になっていたはずなのに、母親がちょいと目を離した隙にいなくなっていたそうです。人さらいか、神隠しかと、当時は大騒ぎになったとか。……この子供も、見つかったという記録はありません」


 どれも不審な所があり、どれも少しずつおぼろ堂との関わりがあるが、確かに決定的なつながりまでは見えない。

 銀作は、自身の顎をさすりながら何事か考えていたが、やがて呟くように言った。


「……入れ墨」

「は?」

「額に『ナ』の字の入れ墨さある男はいねがっだか?三十路そごそごで、えらが張った、鷲鼻の……」


 ともに話に聞き入っていた幸吉が、興味深そうに眉を上げる。

 与兵衛はしばしあっけに取られていたが、やがてハッと何かに思い当たった顔になり、「ま、まさか……」と帳面の頁を繰った。

 

「あ!ありました。『蟒蛇うわばみ五平』。芸州出身の盗人で、国元で三度つかまって仕置きを受けている。この男が江戸に来ていたという噂があり、額にねじり鉢巻きをした下職のような格好で、おぼろ堂の付近をうろうろしていたのを目撃した者が何人かいたそうです。結局、五平によると思われる犯行は起こらず、捨て置かれていたそうですが、まさかこの男も……?し、しかし、どうして……」


 どうしてそれを、江戸に来たばかりの銀作が知っているのか?

 与兵衛はそう言いたげな顔で銀作を見つめたが、銀作は腕組みをして沈思黙考している。やがて顔を上げると、まるでその場にいる二人以外の誰かに聞かせるように声を大きくして、  

 

「今晩、もっぺん、あの店さ行ってみる」


 と言った。


 瞬間、パァン!と派手な音を立てて、床の間に飾られていた伊万里の飾り壺が弾けた。とがった破片が八方に散る。


「わっ!」


 床の間を背にして座っていた与兵衛は、驚いて飛びのき、袖で顔を庇った。

 幸吉が、さっと腰を浮かす。腰に提げた竹筒に手を添えていた。

 銀作は幸吉を手で制した。


「もう、いね」

「せやけど……」

「長くは留まれねようだ。おらがこの家さ出れば、もうこごさ来るごともね。生霊いきすだまだんてな」

「……生霊?」


 幸吉は訝し気に眉を顰める。

 しばらく、誰も何も言わず、身じろぎさえしなかった。しんと静まり返った部屋の中で、畳に散らばった伊万里の破片だけが、わが身に降りかかった不幸に怯えたように、カタカタと震えていた。




―――


「銀作さん」


 美濃屋を辞した後、おぼろ堂の方向へ足を向けた銀作を、幸吉は真面目な顔で呼び止めた。


「こないなこと、話をつないだ僕が言うんもおこがましいけどな……今回ばっかりは深入りせんで、手を引いた方がええんとちゃいますか。あんたの本業は祓い屋やのうて、マタギやろ。山以外の場所で命を張る必要があるんでっか」


 銀作は静かに幸吉を見返した。


「『そばにいる』っで娘に言っでまった。約束守らねばなんね」

「せやけど、大丈夫かいな。相手はもう既に、銀作さんを敵とみなしとるわけやろ。その腕の怪我・・・・・・といい、さっきの壺といい、あからさまにちょっかいかけてきとるやないか」


 幸吉は晒し木綿が巻かれた銀作の腕を顎でしゃくる。

 銀作は、傷ついた右腕をそっと左手で撫でた。

 幸吉の言う事はよくわかる。関係のないことに首を突っ込んで、無暗に命を散らすようなことになれば、故郷の父にも祖父にも申し訳が立たない。

 それでも、捨て置く気にはなれなかった。「できることがあればやってみる」と、銀作は庄九郎に言った。旅の途中、幸吉と再会したのも、おぼろ堂と関わることになったのも、それは銀作に何か「できること」があるからこそではないかという気がする。全てはめぐり合わせなのではないかと。それに……


「あの家で助げ求めでらのは、娘だけではねェような気がする」


 幸吉は少し困ったように眉を垂らしたが、もう引き留めるつもりはないようだった。銀作は軽く会釈すると、おぼろ堂に向かって歩き始めた。


「……銀作さん」


 ややあって、幸吉が再び声をかけてきた。

 振り返ると幸吉は微笑んでいた。その目が一瞬、微かに紅く光ったように見えた。幸吉は腰に提げた竹筒を左手で撫でながら、右手の人差し指で、すっと天を指した。


「今宵は荒れまっせ……お気をつけて」


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